広告の端から端まで片っ端から目を通して興奮が最高潮に達し、「服、買ってやるぜ!」と意気込んでユニクロに喧嘩を売るくらいの勢いで入店したのですが人の多さと商品の種類の多さに目が回ってシュンとなって帰って来ました。
身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生 (NHKブックス)
2009年6月11日 読書
とりあえず先日読み終えました。まず触れておきたいのは、本書が色々と思い入れの深い作品になった、と言うことです。
と言うのも、最初から最後まで多色ボールペンで線を引きながら読み終えたのもこの本が初めてですし、途中から本の上の余白に要約を入れ始めるという試みもしましたし、「齋藤孝の速読塾」の一部方法論を後半部分から用いたりもしたからです。
要するに読書における様々な工夫、試みを、読み始めた当初から読み終わるまで次々導入し実行したと言うことです。
間違いなく読むスピードや理解力は以前よりも上がったと思います。
一方、本書に関しては、そのような変遷を辿ったため、最初の方と最後の方では理解に差があるかもしれません。また、理解力が上がったと言っても、そもそもの能力がしれているので、あまりエッセンスを読み取れていないかもしれません。
つまりうまく紹介できていないかもしれませんが、その点はあしからず。
-----------------------------------------------------------------
著者は日本には固有の伝統的な身体感覚が脈々と受け継がれてきていたとする。それらは日常生活における各行為の中で、あるいは年長者からの指導によって技術として身につけ、そしてまた次代に受け継がれていったと。
ところがこの身体文化の断絶が唐突に起こることとなる。
敗戦のショック。文明化に伴う生活様式の変化。そして、青年期にカウンターカルチャーを経験した現在の60前後の親たちが、自分の子供達に躾けることをしなくなったことが大きな要因となったと述べる。
普段これらの感覚という物は意識されにくい。数百年間にわたって引き継がれ、培われてきた身体の技術や感覚が失われつつあることに危機感を抱いた著者はそれらを「文化」として認識しやすい形として提示した。
著者の提示する(衰退傾向にある)日本の身体文化の中心軸は「腰ハラ文化」と「息の文化」の主に二点。1~4章あたりまではそれがかつての日本人に根付いていたと言うことと、その事の意義、重要性を説明している。
そして5章で身体と精神の関係、終章で現時点から未来へ向けての具体的な提言を記して締めくくっている。
日本ではとりわけ腰や腹(丹田)を重要視した言葉が多いとする。それは腰やハラを重要視していた事から来るのだろうと言っている。実際の武道や芸道に於いても腰ハラの需要性を強調しているらしい。
腰やハラの構えは身体的状態感を生む。身体的状態感とはその構えによって生まれる気分や心の状態のことだ。そこが正しく決まっていれば、腰ハラはどっしりとし、力強さが漲る。と同時に上半身の力が抜ける「上虚下実」の状態となる。
これはつまり、「腰ハラ文化」とは、「中心感覚」として自己の存在感を確かめる場所として機能し、拠り所となる感覚のことを言う。
また一方で、「息の文化」は身体と精神、自己と他者、あるいは自己と世界を繋ぐ「距離感覚」(空間感覚)を養う点で重要としている。
その場の空気と身体の状態感とは連関している。身体が息苦しいのに心理的に楽しんでいると言うことは考えられない。息は一種のセンサーなのである。
逆に言えば、息を変えることで心身に変化を与えることも出来るのである。堪え忍ばなければならないときに、息を溜めることで、踏ん張りが聞くようになったりする。
息とはコミュニケーションである。相手の呼吸を感じ取り、積極的受動性でもって相手と呼吸を合わせる。これが両者のやり取りや、自己の心身のやり取りを円滑にする。
また、呼吸とはコツであって、世の中のあらゆる現象の押し引きも、この呼吸の感覚が重要となる。
これらの感覚を昔の日本人が重要視していたことは「からだ言葉」にも表れている。からだの部位やからだを使った行為を言葉として表現しているのが「からだ言葉」だ。
「背負う」「腑に落ちる」「清濁併せ呑む」と言った言葉などに代表される。
著者は「練る」「研ぐ」「絞る」「背負う」など、社会の変化につれて衰退傾向にあるからだ言葉を上げる。
こういったからだ言葉はかつて、実際に自身の体で感じた感覚を言葉のニュアンスの一部として使っていた。ところが現在は身体文化が軽んじられ、からだの重要性が低下している。と言うことは、それに伴って「からだ言葉」に含まれる実際的なニュアンスも当然薄くなる。
例えば「責任を背負う」と言うときの背負う。これはかつてのようにかなりの重量の荷物を長時間・長距離、背負い歩いていた時というのは、身体技術によって体で重さを受け止め、踏ん張って(あるいは安定した状態感で)歩いていたという実感があった。
「責任を背負う」という言葉を使うときの表現や決意にはそう言った培われた感覚があった。ただ辞書に載っている意味としての「背負う」とは違うわけである。
からだ言葉が廃れつつある、あるいは、使われていてもそのニュアンスが薄まっていると言うことは、現在とかつての身体感覚に対する重要性の、一つの指標となる。
こういった、「身体文化」は実際的な身体技術に基づいている。ただなんとなく身につくと言うものではない。実際に意識して行うことで身につけていく技術である。と著者は言う。
そこで型の重要性が述べられる。
型とは本質を凝縮したものである。自分にどの型が有効かを見極めることは重要であるが、型自体が自分を制限することはない。型を身につけることによって自然と高度にまとめられた基本を扱えるし、そこから応用も可能となる。
型自体は反復することで習熟できるので、その型の意味を問う前に、まず身体で覚えてしまった方が早い。というより、強制的に覚えさせられる物である。型に付随する豊かな意味は後からわかっても問題ない。
そういう点で型は教育的概念だという。
型は基準線となる。型が設定されていなければ、前後の結果を比較できない。型を基にしてズレを修正するのである。
そして幾つか設定したチェックポイントを基に、感覚を通して技は磨かれる。
まずは頭で云々と言うことではなく、からだを通して得ていくのだ。
日本文化は精神主義的であると言われるが、実はその精神性の基盤には具体的な身体技術があると著者は言う。むしろ身体性が重視された文化なのだ。
しかし身体性と精神性は分けて考えられる物ではない。むしろそれは連関している。
身体を通して感じとられる自己の感覚を「身体的自己」と呼ぶとする。
自分の内側にある「自我」にばかり着目するのではなく、むしろ、そう言った「身体的自己」が自己の意識の基盤をなすのだと言う考えに立つとすれば、自己形成に対するイメージも異なってくる。
つまり、実際の自分の身体に中心を見いだし、また世界を通して自分の身体で他者との距離を測るということを、実際の身体の感覚として感じられると言うことが大切なのだ。
と同時に、自分の身体にだけ焦点を当てていても安定しない。自転車を漕ぐときも、自分の足下ではなく、視線を遠くへ飛ばすと安定する。だから意識を遠くへ放つことも必要になる。
例えば東洋に於いては下方への方向性が重要な意義をもっている。リラックスして、地球の中心をイメージする。そこをもう一つの中心点とする。自分を頭から垂直に貫く中心軸が、地球の中央まで届いているイメージ(あるいは重力に身を任す感じ)だ。これは頭で考えるだけでなく、ぶら下げ運動などの実際の行為とセットにすると器として大きくなる。
身体で感じると言うこと、そしてその感覚や、そこから生まれるイメージなどが、自分という存在感をはっきりとさせる。分裂病患者のように、自分の身体がよそよそしく感じられると言うこととは、大きく違ってくるはずだ、と主張する。
著者は最後に身体文化を継承するためのカリキュラムを提案する。
が、考え方としては柔軟だ。つまり、生活様式事態変わってしまったのだから、昔の(江戸時代の)感覚をそのまま取り戻そうなどとは考えていない。
現在の生活様式の中で身体文化を再生していく発想が重要であるとしている。基本を抽出して、現代にアレンジしていくべきだろうという考えは、現実的だ。
そして、昭和の子供達をモデルとすべきだとし、かつてを生き、自然に身体文化を身につけていた今の大人達に、その継承を促している。
自分自身の充実や、世界との距離を測り、円滑なコミュニケーションをとること、それらの基盤には身体がある。そして、それらは貴重な文化である。現代はそれらがないがしろにされている。なので、それを現代に合う形で取り戻していこう、と言うのが著者の主張なのだと思う。
-----------------------------------------------------------------
長くなってしまった。うまくまとまっているかはわからない。正直なところ、自分自身、今回本の内容の総決算というか、全体を通したまとめを把握するために書いていた部分も多い。
著者の思惑と違って受け取ってしまっている部分もあるかもしれない。あくまで一読者のまとめとして受け取っていただきたい。
個人的には先に挙げたように読書をする際の試みを幾つも取り入れた本として思い入れの深い作品になったが、それ以外にも実際に生活する中で、自分の身体に関して有用だった点でも評価したい作品だ。
例えば足の踏ん張りに関して。最近は踵に重心が移っていて、それは良くないと言うような旨の引用があった。全ての動作の基本は直立能力という。武道の基本も、足の指をしっかり開いて地面を掴むとされている。
著者の言う自然体とは足を均等に開き、膝を軽く曲げ、腰とハラをしっかりとさせておき、すっと背筋が伸びて肩の力が抜けた状態。という。
自然体に於いて親指の付け根の膨らんだ部分に体重が乗っている。ここは踏ん張るときに力が入りやすい部分だという。
こういったことを意識して日常生活の中で動作をこなすと確かに力が生まれるし、踏ん張れる。
また、これは偶然のことなのだが。
散歩(ウォーキング)や、バットを振ったり、球を投げたりという事をしている中で、自分独自に「中心軸の感覚」というものを得た。
これは、頭頂部から棒を突っ込んで股間と肛門の間(会陰)から突き抜けていると言うイメージだ。
以前、現マリナーズで、前ホークスの城島捕手も、バッティングの感覚として似たようなことを言っていた。独楽(コマ)をイメージしてい打っているという。つまり、自分の中心に棒が通っていて、コマのように棒に沿って、クルッと回転しながら打つ、と言う感覚だ。
自分の場合はその中心軸を意識すると、顎が引かれ、背筋が伸びる。また、棒に沿っているという感覚があると、遠心力ではないが、何か抵抗を減らそうと、身体をスッとまとめようという感じになる。
この中心軸の感覚は姿勢の在り方を正したり、動作をしっかりさせる際に有効だったりする。
また最近、アトピー対策で健康に気を使って生活している。運動などでも身体を引き締めたりしているのだけど、身体がしっかりしてくると確かに、内側にも変化がある。身体が土台となりエネルギーが漲る。それが精神を向上させ、身体を動かす原動力ともなる。
自分にとっては意義深い一冊となった。
と言うのも、最初から最後まで多色ボールペンで線を引きながら読み終えたのもこの本が初めてですし、途中から本の上の余白に要約を入れ始めるという試みもしましたし、「齋藤孝の速読塾」の一部方法論を後半部分から用いたりもしたからです。
要するに読書における様々な工夫、試みを、読み始めた当初から読み終わるまで次々導入し実行したと言うことです。
間違いなく読むスピードや理解力は以前よりも上がったと思います。
一方、本書に関しては、そのような変遷を辿ったため、最初の方と最後の方では理解に差があるかもしれません。また、理解力が上がったと言っても、そもそもの能力がしれているので、あまりエッセンスを読み取れていないかもしれません。
つまりうまく紹介できていないかもしれませんが、その点はあしからず。
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著者は日本には固有の伝統的な身体感覚が脈々と受け継がれてきていたとする。それらは日常生活における各行為の中で、あるいは年長者からの指導によって技術として身につけ、そしてまた次代に受け継がれていったと。
ところがこの身体文化の断絶が唐突に起こることとなる。
敗戦のショック。文明化に伴う生活様式の変化。そして、青年期にカウンターカルチャーを経験した現在の60前後の親たちが、自分の子供達に躾けることをしなくなったことが大きな要因となったと述べる。
普段これらの感覚という物は意識されにくい。数百年間にわたって引き継がれ、培われてきた身体の技術や感覚が失われつつあることに危機感を抱いた著者はそれらを「文化」として認識しやすい形として提示した。
著者の提示する(衰退傾向にある)日本の身体文化の中心軸は「腰ハラ文化」と「息の文化」の主に二点。1~4章あたりまではそれがかつての日本人に根付いていたと言うことと、その事の意義、重要性を説明している。
そして5章で身体と精神の関係、終章で現時点から未来へ向けての具体的な提言を記して締めくくっている。
日本ではとりわけ腰や腹(丹田)を重要視した言葉が多いとする。それは腰やハラを重要視していた事から来るのだろうと言っている。実際の武道や芸道に於いても腰ハラの需要性を強調しているらしい。
腰やハラの構えは身体的状態感を生む。身体的状態感とはその構えによって生まれる気分や心の状態のことだ。そこが正しく決まっていれば、腰ハラはどっしりとし、力強さが漲る。と同時に上半身の力が抜ける「上虚下実」の状態となる。
これはつまり、「腰ハラ文化」とは、「中心感覚」として自己の存在感を確かめる場所として機能し、拠り所となる感覚のことを言う。
また一方で、「息の文化」は身体と精神、自己と他者、あるいは自己と世界を繋ぐ「距離感覚」(空間感覚)を養う点で重要としている。
その場の空気と身体の状態感とは連関している。身体が息苦しいのに心理的に楽しんでいると言うことは考えられない。息は一種のセンサーなのである。
逆に言えば、息を変えることで心身に変化を与えることも出来るのである。堪え忍ばなければならないときに、息を溜めることで、踏ん張りが聞くようになったりする。
息とはコミュニケーションである。相手の呼吸を感じ取り、積極的受動性でもって相手と呼吸を合わせる。これが両者のやり取りや、自己の心身のやり取りを円滑にする。
また、呼吸とはコツであって、世の中のあらゆる現象の押し引きも、この呼吸の感覚が重要となる。
これらの感覚を昔の日本人が重要視していたことは「からだ言葉」にも表れている。からだの部位やからだを使った行為を言葉として表現しているのが「からだ言葉」だ。
「背負う」「腑に落ちる」「清濁併せ呑む」と言った言葉などに代表される。
著者は「練る」「研ぐ」「絞る」「背負う」など、社会の変化につれて衰退傾向にあるからだ言葉を上げる。
こういったからだ言葉はかつて、実際に自身の体で感じた感覚を言葉のニュアンスの一部として使っていた。ところが現在は身体文化が軽んじられ、からだの重要性が低下している。と言うことは、それに伴って「からだ言葉」に含まれる実際的なニュアンスも当然薄くなる。
例えば「責任を背負う」と言うときの背負う。これはかつてのようにかなりの重量の荷物を長時間・長距離、背負い歩いていた時というのは、身体技術によって体で重さを受け止め、踏ん張って(あるいは安定した状態感で)歩いていたという実感があった。
「責任を背負う」という言葉を使うときの表現や決意にはそう言った培われた感覚があった。ただ辞書に載っている意味としての「背負う」とは違うわけである。
からだ言葉が廃れつつある、あるいは、使われていてもそのニュアンスが薄まっていると言うことは、現在とかつての身体感覚に対する重要性の、一つの指標となる。
こういった、「身体文化」は実際的な身体技術に基づいている。ただなんとなく身につくと言うものではない。実際に意識して行うことで身につけていく技術である。と著者は言う。
そこで型の重要性が述べられる。
型とは本質を凝縮したものである。自分にどの型が有効かを見極めることは重要であるが、型自体が自分を制限することはない。型を身につけることによって自然と高度にまとめられた基本を扱えるし、そこから応用も可能となる。
型自体は反復することで習熟できるので、その型の意味を問う前に、まず身体で覚えてしまった方が早い。というより、強制的に覚えさせられる物である。型に付随する豊かな意味は後からわかっても問題ない。
そういう点で型は教育的概念だという。
型は基準線となる。型が設定されていなければ、前後の結果を比較できない。型を基にしてズレを修正するのである。
そして幾つか設定したチェックポイントを基に、感覚を通して技は磨かれる。
まずは頭で云々と言うことではなく、からだを通して得ていくのだ。
日本文化は精神主義的であると言われるが、実はその精神性の基盤には具体的な身体技術があると著者は言う。むしろ身体性が重視された文化なのだ。
しかし身体性と精神性は分けて考えられる物ではない。むしろそれは連関している。
身体を通して感じとられる自己の感覚を「身体的自己」と呼ぶとする。
自分の内側にある「自我」にばかり着目するのではなく、むしろ、そう言った「身体的自己」が自己の意識の基盤をなすのだと言う考えに立つとすれば、自己形成に対するイメージも異なってくる。
つまり、実際の自分の身体に中心を見いだし、また世界を通して自分の身体で他者との距離を測るということを、実際の身体の感覚として感じられると言うことが大切なのだ。
と同時に、自分の身体にだけ焦点を当てていても安定しない。自転車を漕ぐときも、自分の足下ではなく、視線を遠くへ飛ばすと安定する。だから意識を遠くへ放つことも必要になる。
例えば東洋に於いては下方への方向性が重要な意義をもっている。リラックスして、地球の中心をイメージする。そこをもう一つの中心点とする。自分を頭から垂直に貫く中心軸が、地球の中央まで届いているイメージ(あるいは重力に身を任す感じ)だ。これは頭で考えるだけでなく、ぶら下げ運動などの実際の行為とセットにすると器として大きくなる。
身体で感じると言うこと、そしてその感覚や、そこから生まれるイメージなどが、自分という存在感をはっきりとさせる。分裂病患者のように、自分の身体がよそよそしく感じられると言うこととは、大きく違ってくるはずだ、と主張する。
著者は最後に身体文化を継承するためのカリキュラムを提案する。
が、考え方としては柔軟だ。つまり、生活様式事態変わってしまったのだから、昔の(江戸時代の)感覚をそのまま取り戻そうなどとは考えていない。
現在の生活様式の中で身体文化を再生していく発想が重要であるとしている。基本を抽出して、現代にアレンジしていくべきだろうという考えは、現実的だ。
そして、昭和の子供達をモデルとすべきだとし、かつてを生き、自然に身体文化を身につけていた今の大人達に、その継承を促している。
自分自身の充実や、世界との距離を測り、円滑なコミュニケーションをとること、それらの基盤には身体がある。そして、それらは貴重な文化である。現代はそれらがないがしろにされている。なので、それを現代に合う形で取り戻していこう、と言うのが著者の主張なのだと思う。
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長くなってしまった。うまくまとまっているかはわからない。正直なところ、自分自身、今回本の内容の総決算というか、全体を通したまとめを把握するために書いていた部分も多い。
著者の思惑と違って受け取ってしまっている部分もあるかもしれない。あくまで一読者のまとめとして受け取っていただきたい。
個人的には先に挙げたように読書をする際の試みを幾つも取り入れた本として思い入れの深い作品になったが、それ以外にも実際に生活する中で、自分の身体に関して有用だった点でも評価したい作品だ。
例えば足の踏ん張りに関して。最近は踵に重心が移っていて、それは良くないと言うような旨の引用があった。全ての動作の基本は直立能力という。武道の基本も、足の指をしっかり開いて地面を掴むとされている。
著者の言う自然体とは足を均等に開き、膝を軽く曲げ、腰とハラをしっかりとさせておき、すっと背筋が伸びて肩の力が抜けた状態。という。
自然体に於いて親指の付け根の膨らんだ部分に体重が乗っている。ここは踏ん張るときに力が入りやすい部分だという。
こういったことを意識して日常生活の中で動作をこなすと確かに力が生まれるし、踏ん張れる。
また、これは偶然のことなのだが。
散歩(ウォーキング)や、バットを振ったり、球を投げたりという事をしている中で、自分独自に「中心軸の感覚」というものを得た。
これは、頭頂部から棒を突っ込んで股間と肛門の間(会陰)から突き抜けていると言うイメージだ。
以前、現マリナーズで、前ホークスの城島捕手も、バッティングの感覚として似たようなことを言っていた。独楽(コマ)をイメージしてい打っているという。つまり、自分の中心に棒が通っていて、コマのように棒に沿って、クルッと回転しながら打つ、と言う感覚だ。
自分の場合はその中心軸を意識すると、顎が引かれ、背筋が伸びる。また、棒に沿っているという感覚があると、遠心力ではないが、何か抵抗を減らそうと、身体をスッとまとめようという感じになる。
この中心軸の感覚は姿勢の在り方を正したり、動作をしっかりさせる際に有効だったりする。
また最近、アトピー対策で健康に気を使って生活している。運動などでも身体を引き締めたりしているのだけど、身体がしっかりしてくると確かに、内側にも変化がある。身体が土台となりエネルギーが漲る。それが精神を向上させ、身体を動かす原動力ともなる。
自分にとっては意義深い一冊となった。
あー。ようやく読み終わった。
「身体感覚を取り戻す」ですが、序章から終章までの全7章ありまして、一番苦戦した第5章をようやく読み終わりました。正直半分も理解出来たかわからないんですが……(苦笑
時間が無いので感想はまた明日以降にでも。
「身体感覚を取り戻す」ですが、序章から終章までの全7章ありまして、一番苦戦した第5章をようやく読み終わりました。正直半分も理解出来たかわからないんですが……(苦笑
時間が無いので感想はまた明日以降にでも。
パンをトーストで焼いていて。
所用を済ませてから戻ると。
パンの耳がかじられていた。
隣にいた母に、これ誰が食べた。
って聞いたら。
「さあっ」て言った。
口をもぐもぐさせながら。
所用を済ませてから戻ると。
パンの耳がかじられていた。
隣にいた母に、これ誰が食べた。
って聞いたら。
「さあっ」て言った。
口をもぐもぐさせながら。
注文した野球本は3冊とももうとっくに届いていて、「身体感覚を取り戻す」を読み終わってから開封しようと思っていたんだけど、なかなか読み終えることが出来ずに、今日開封した。
チラッと見てみたけど、面白そう。早く読みたい。
「身体感覚を取り戻す」自体はもう実は最初から最後まで一通り目を通している。今は第5章、力と形の「自己形成」感覚、の要約をしているところ。要約作業自体はそれほど時間はかからないが、なかなか時間自体を取れずにいた。
読み方(型)がだんだん定着してきた。
まず一通り駆け足でざっくり全体に目を通す。その際に重要と思われる言葉や文章に線や丸をつけていく。このときはじっくり考えすぎず、駆け足の状態でもそれとわかるような箇所にだけつけていく。
そうやって通して読むとまず全体の内容や著者の主張を薄ぼんやりと理解出来る。
それを基として、また最初から、今度はさっきより丁寧に読んで(引いて)いく。一度読んでいるため、全体の文脈との関わりにおける重要な部分などが掴みやすくなっている。ので、割合早く理解し、線を引いていける。
そうやって最後まで進み、最後にまた最初から、本の上の部分の余白を使って要約を書いていく。これは自分で始めたことだけど、これがあると(あっているかどうかはともかくとして)最終的な理解度が全然違う。
意味がはっきりと理解出来なかったり、全体の文章の中における、前後との意味の繋がりがわからないような所も、はっきりするようになる。
目下の悩みは今度新しい本を読むときに、この工程の区切りをどこまでとするか、ということ。
一旦本全部を読むのか、章ごとに繰り返すのか。これもまあ、試行錯誤していけばいいか。
チラッと見てみたけど、面白そう。早く読みたい。
「身体感覚を取り戻す」自体はもう実は最初から最後まで一通り目を通している。今は第5章、力と形の「自己形成」感覚、の要約をしているところ。要約作業自体はそれほど時間はかからないが、なかなか時間自体を取れずにいた。
読み方(型)がだんだん定着してきた。
まず一通り駆け足でざっくり全体に目を通す。その際に重要と思われる言葉や文章に線や丸をつけていく。このときはじっくり考えすぎず、駆け足の状態でもそれとわかるような箇所にだけつけていく。
そうやって通して読むとまず全体の内容や著者の主張を薄ぼんやりと理解出来る。
それを基として、また最初から、今度はさっきより丁寧に読んで(引いて)いく。一度読んでいるため、全体の文脈との関わりにおける重要な部分などが掴みやすくなっている。ので、割合早く理解し、線を引いていける。
そうやって最後まで進み、最後にまた最初から、本の上の部分の余白を使って要約を書いていく。これは自分で始めたことだけど、これがあると(あっているかどうかはともかくとして)最終的な理解度が全然違う。
意味がはっきりと理解出来なかったり、全体の文章の中における、前後との意味の繋がりがわからないような所も、はっきりするようになる。
目下の悩みは今度新しい本を読むときに、この工程の区切りをどこまでとするか、ということ。
一旦本全部を読むのか、章ごとに繰り返すのか。これもまあ、試行錯誤していけばいいか。
今利用している主要なボールペンは4つ。内3つが多色ボールペン。
この間ボールペンの替え芯を文具屋に行ってアホほど買ってきたんですが、ついでにもう一つボールペンが欲しいなと思って買っちゃいました。
多色(4色)でスリムなのがないかなーと思って探したんですが、そこでは見つけられず、結局やや太めの物を購入。でも芯の太さは細くなっているから、細い罫線の中に書かなければならないリアル日記用に使おうと考える。
帰宅して使ってみると、あれ? 何かおかしい。
発色が。手応えが……。
これ、ジェルボールペンだった。
今までは全部油性ボールペンを使っていて、今回も油性を買ったつもりだったんだけど、ジェルボールペンだった。
しょうがないからとりあえず今使ってます。感想としては、まあ、悪くはないかな、という感じ。
最初裏写りが心配だったんですが今の所、筆圧を緩めにしていることもあってか、割と大丈夫です。鮮やかで見やすいです。
インクの減り具合が心配ですが……。当面はこれで。
この間ボールペンの替え芯を文具屋に行ってアホほど買ってきたんですが、ついでにもう一つボールペンが欲しいなと思って買っちゃいました。
多色(4色)でスリムなのがないかなーと思って探したんですが、そこでは見つけられず、結局やや太めの物を購入。でも芯の太さは細くなっているから、細い罫線の中に書かなければならないリアル日記用に使おうと考える。
帰宅して使ってみると、あれ? 何かおかしい。
発色が。手応えが……。
これ、ジェルボールペンだった。
今までは全部油性ボールペンを使っていて、今回も油性を買ったつもりだったんだけど、ジェルボールペンだった。
しょうがないからとりあえず今使ってます。感想としては、まあ、悪くはないかな、という感じ。
最初裏写りが心配だったんですが今の所、筆圧を緩めにしていることもあってか、割と大丈夫です。鮮やかで見やすいです。
インクの減り具合が心配ですが……。当面はこれで。
ここ一ヶ月近くほぼ毎日更新してきたけど昨日久々に更新しなかったなー。
ちょっと生活サイクルや為すべき用事の優先順位を替えたり。しています。試行錯誤。
ちょっと生活サイクルや為すべき用事の優先順位を替えたり。しています。試行錯誤。
関連のある系譜で本を買うべし、と言うことで悩んでいた選定ですが、結局とりあえず野球関連の本を買うことで決着しました。
「野村ノート」
「あぁ、監督 - 名将、奇将、珍将」
「一球の心理学 勝敗を分ける微妙なアヤを読み解く」
以上の3点です。上記2点は野村監督の著作。最後のは米国人の著作を大リーグで活躍した長谷川元投手などが翻訳した物らしいです。
自分の場合スワローズファンと言うことで、黄金時代を作った野村監督にはやはり好感を持っています。自分の野球観をおそらく形作った一人であることは間違いないですし、また現代日本野球を進化発展させた重要な存在として、その理論、論理を知っておくことは必要なことだと思いました。
-----------------------------------------------------------------
最近ちょっと仮眠癖が付いてしまって、まずいなあ。それだけ寝るのが遅いって事なんだけどね。ちゃんとしなければ。
「野村ノート」
「あぁ、監督 - 名将、奇将、珍将」
「一球の心理学 勝敗を分ける微妙なアヤを読み解く」
以上の3点です。上記2点は野村監督の著作。最後のは米国人の著作を大リーグで活躍した長谷川元投手などが翻訳した物らしいです。
自分の場合スワローズファンと言うことで、黄金時代を作った野村監督にはやはり好感を持っています。自分の野球観をおそらく形作った一人であることは間違いないですし、また現代日本野球を進化発展させた重要な存在として、その理論、論理を知っておくことは必要なことだと思いました。
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最近ちょっと仮眠癖が付いてしまって、まずいなあ。それだけ寝るのが遅いって事なんだけどね。ちゃんとしなければ。
特別な髪型にするわけでもなく、ただ短くして貰うためだけに散髪屋に行っていた自分としては、その度事に支払う高額な散髪代におっかなびっくり。なるべく期間を延ばして髪も伸ばし、行く回数を減らすなど、文字通り頭を悩ませていたわけです。
と言うか、それだったらいっそ自分で切っちまえばいいじゃない。
と言うことで昨年辺りからもうずっと自宅にある散髪機を使い、自分で処理していたんですが、なにせ型が古い。尋常でなく古い。ナウでヤングという言葉から感じる古さと遜色ないくらいに。
そこで不満に思っていまして、じゃあ買っちまおうと。新しく買っちまおうじゃないのということで買ったのがこのパナソニックのカットモード。
届いてから即使ってみましたが、使いやすいですね!!
いや、今までのが今までのだから、最近の型から乗り換える人にとっては特別感動もないのかもしれませんが、自分としては使いやすかった。
重さは若干重量感を感じるほど。最近の縦長のテレビのリモコンをもうちょっと中身を詰めて重くした感じ。
アタッチメント各種あります。高さを調節したり出来るんですが、基本的に刈っている最中にずれないような工夫が為されています。こちらがきちんと確認してセットすればそこは大丈夫です。
なおかつ、表示されている刈り高さよりも若干少なめに切るようになっているらしく、使っていてあまり切りすぎるという感じはしませんでした。
全体的に安心設計です。
一番の売りはナチュラルアタッチメントというアタッチメントでしょうか。
これは、毛先の方を中心にをランダムでカットするもので、シャギーカットというか、要するに不揃いにしてナチュラルな感じに仕上げると言うものです。今までのだとどうしても毛先が揃いすぎてしまって不自然な印象を生みやすかったですからね。仕上げでそれを解消すると言うことでしょう。
実際使ってみた感想としては、それほど劇的に「凄い!」とは思いませんでしたが、一定の効果はあるように思います。
商品はアタッチメントの増減により値段が変わります。自分が買ったのは全て揃ったタイプ(写真の物)です。これだと、ある程度の長い髪にも対応しているみたいですね。
ヘアーカットのテクニック集なども付いていてきちんと説明がされていますし、全体的に作りが丁寧です。うまい人ならこれでも全然良い感じに仕上がるのではないでしょうか。
ただし、付属していた刃先に垂らすためのオイルですが、口がなぜか大きすぎるというか、適切な量を適切な位置に出しづらい作りで、そこが不満でしたが……まあ全体の評価にはほとんど影響ないでしょう。
水洗いできますが、これはあくまで大雑把に髪を落とすだけ。あとは付属の小さなブラシで綺麗にすることが必要になります。まあそこは個人個人の感覚で。
総体的にとても満足しています。この値段で数年間(あるいは数十年間)はずっと自分で刈れるわけですから、コストパフォーマンスは非常に高いですね。
もっとも、オサレ命という方にはどうかと思いすが。まあそう言う人はこういうの興味ないか。
と言うか、それだったらいっそ自分で切っちまえばいいじゃない。
と言うことで昨年辺りからもうずっと自宅にある散髪機を使い、自分で処理していたんですが、なにせ型が古い。尋常でなく古い。ナウでヤングという言葉から感じる古さと遜色ないくらいに。
そこで不満に思っていまして、じゃあ買っちまおうと。新しく買っちまおうじゃないのということで買ったのがこのパナソニックのカットモード。
届いてから即使ってみましたが、使いやすいですね!!
いや、今までのが今までのだから、最近の型から乗り換える人にとっては特別感動もないのかもしれませんが、自分としては使いやすかった。
重さは若干重量感を感じるほど。最近の縦長のテレビのリモコンをもうちょっと中身を詰めて重くした感じ。
アタッチメント各種あります。高さを調節したり出来るんですが、基本的に刈っている最中にずれないような工夫が為されています。こちらがきちんと確認してセットすればそこは大丈夫です。
なおかつ、表示されている刈り高さよりも若干少なめに切るようになっているらしく、使っていてあまり切りすぎるという感じはしませんでした。
全体的に安心設計です。
一番の売りはナチュラルアタッチメントというアタッチメントでしょうか。
これは、毛先の方を中心にをランダムでカットするもので、シャギーカットというか、要するに不揃いにしてナチュラルな感じに仕上げると言うものです。今までのだとどうしても毛先が揃いすぎてしまって不自然な印象を生みやすかったですからね。仕上げでそれを解消すると言うことでしょう。
実際使ってみた感想としては、それほど劇的に「凄い!」とは思いませんでしたが、一定の効果はあるように思います。
商品はアタッチメントの増減により値段が変わります。自分が買ったのは全て揃ったタイプ(写真の物)です。これだと、ある程度の長い髪にも対応しているみたいですね。
ヘアーカットのテクニック集なども付いていてきちんと説明がされていますし、全体的に作りが丁寧です。うまい人ならこれでも全然良い感じに仕上がるのではないでしょうか。
ただし、付属していた刃先に垂らすためのオイルですが、口がなぜか大きすぎるというか、適切な量を適切な位置に出しづらい作りで、そこが不満でしたが……まあ全体の評価にはほとんど影響ないでしょう。
水洗いできますが、これはあくまで大雑把に髪を落とすだけ。あとは付属の小さなブラシで綺麗にすることが必要になります。まあそこは個人個人の感覚で。
総体的にとても満足しています。この値段で数年間(あるいは数十年間)はずっと自分で刈れるわけですから、コストパフォーマンスは非常に高いですね。
もっとも、オサレ命という方にはどうかと思いすが。まあそう言う人はこういうの興味ないか。
昨日バラエティ番組の「お試しかっ!」を見ていた。「行きつけの料理店の味を見極められるか?」と言う企画で、今田耕司さんが出てきて見事に当てていた。
ダミー料理が2品、作るのはタカと料理好きのタレントという2人(実質1人)なので、まあプロと比べれば確かに味の差などは出そうなものだが、でも凄いと思う。
特に今田さんの洞察力。音や見た目、食感など、五感から見事に細部の違いを見極めていた。彼が数多の番組で様々な出演者を見事に仕切り、回せている理由がわかった気がする。
俺なんかは安くても美味ければそれで良いという食通と真逆の道を歩む男だけに感心してしまう。数千円もするチャーハンとか考えられない。チャーハンの素で良いじゃないか。(でも食ったら食ったで感動するんだろうけどさ)
ダミー料理が2品、作るのはタカと料理好きのタレントという2人(実質1人)なので、まあプロと比べれば確かに味の差などは出そうなものだが、でも凄いと思う。
特に今田さんの洞察力。音や見た目、食感など、五感から見事に細部の違いを見極めていた。彼が数多の番組で様々な出演者を見事に仕切り、回せている理由がわかった気がする。
俺なんかは安くても美味ければそれで良いという食通と真逆の道を歩む男だけに感心してしまう。数千円もするチャーハンとか考えられない。チャーハンの素で良いじゃないか。(でも食ったら食ったで感動するんだろうけどさ)
ここのところずっと体力的に充実した日々を送っていたせいで、自分に無理をさせていたようです。もう少し労ってやらないとダメですね。でも、楽しかったんだよー、今までの貧弱な状態と比べて、凄く精力的に動けていることが。
これは確信に近いですが、やはり体力的な充実、つまり体を鍛えると言うことは、結果的に精神面を鍛えることになります。無理をさせると言うことではないです。しっかりとした体を作るということです。食事などに気を使って内側を綺麗にすると同時に、運動などで引き締めるわけです。
アトピーの悪化要素は肉体的な面と精神的な面の2つの要素が大きな柱としてあると自分は考えているのですが、精神的な面をどう改善するのかが大きな課題でした。人にアドバイスを送る場合、肉体的な面でのことは言いやすいのですが、事、精神的な部分になるとなかなか何も言えなくなってしまっていました。
ただ、もちろん人に寄るとは思うのですが、結局の所肉体をしっかりさせることというのは精神を安定させる手っ取り早い方法なのではないかと思います。
代謝を活発にして、血の巡りを良くする。体のエネルギー(栄養)の循環が良くなりますから、発せられる熱量も上がるし、体(土台)が出来ていればそれを運動に回せる。ハキハキとした動作は脳味噌を刺激します。脳味噌は刺激が少なければマイナスの方向に落ちやすいのです。
また、ネガティブな思考に対抗するにもエネルギー(栄養)が要りますから、エネルギーの循環を良くすることは必要なのです。
食事をしなければアトピーの症状が軽減するというのは実際ある話のようです。自分もある時期は食事量をかなり少なくしていました。しかし、鏡で見る自分の顔はその時、あまり健康的とは言えませんでした。
食事を摂らないということが健康なのではなく、食事を摂って、精気ある表情・体格を維持しつつ、症状が出ないことが一番なのです。そう言ったことが出来る体の仕組みを作らなければいけません。
現在は以前に比べて格段に表情に精気が通ってきていると自負できます。ただ良くなってきたせいで、ちょっと無理をさせすぎたなと反省する面はあります。
これは確信に近いですが、やはり体力的な充実、つまり体を鍛えると言うことは、結果的に精神面を鍛えることになります。無理をさせると言うことではないです。しっかりとした体を作るということです。食事などに気を使って内側を綺麗にすると同時に、運動などで引き締めるわけです。
アトピーの悪化要素は肉体的な面と精神的な面の2つの要素が大きな柱としてあると自分は考えているのですが、精神的な面をどう改善するのかが大きな課題でした。人にアドバイスを送る場合、肉体的な面でのことは言いやすいのですが、事、精神的な部分になるとなかなか何も言えなくなってしまっていました。
ただ、もちろん人に寄るとは思うのですが、結局の所肉体をしっかりさせることというのは精神を安定させる手っ取り早い方法なのではないかと思います。
代謝を活発にして、血の巡りを良くする。体のエネルギー(栄養)の循環が良くなりますから、発せられる熱量も上がるし、体(土台)が出来ていればそれを運動に回せる。ハキハキとした動作は脳味噌を刺激します。脳味噌は刺激が少なければマイナスの方向に落ちやすいのです。
また、ネガティブな思考に対抗するにもエネルギー(栄養)が要りますから、エネルギーの循環を良くすることは必要なのです。
食事をしなければアトピーの症状が軽減するというのは実際ある話のようです。自分もある時期は食事量をかなり少なくしていました。しかし、鏡で見る自分の顔はその時、あまり健康的とは言えませんでした。
食事を摂らないということが健康なのではなく、食事を摂って、精気ある表情・体格を維持しつつ、症状が出ないことが一番なのです。そう言ったことが出来る体の仕組みを作らなければいけません。
現在は以前に比べて格段に表情に精気が通ってきていると自負できます。ただ良くなってきたせいで、ちょっと無理をさせすぎたなと反省する面はあります。
朝起きたら首とか腕とかそこら中キスマークだらけになっていた。
まあ、相手は蚊だけどな。
母親が趣味で華道をしていて、家にもそこここに花が生けてあるわけですよ。で、夏になると蚊が大発生します。我が家は。発生しやすい環境があるので、不用意にそこら辺で寝ていると、奴らの格好の標的になるわけです。で、起きるとぼっこぼこに。
献血はあまりしませんが。奴らには散々提供しています。眠たくなって横になった時点でなんとなくそうなることはわかるんですが、
でも吸わせねえよ!?(我が家っぽく)
などと言って不意打ちをかまして一匹ずつ殺していくような気力はもうその時にはありません。眠たいので。蚊取り線香を発動しなければ。
ただ綺麗な女性にはいっぱい吸って貰いたい下ネタじゃねえか!(我が家っぽく)
まあ、相手は蚊だけどな。
母親が趣味で華道をしていて、家にもそこここに花が生けてあるわけですよ。で、夏になると蚊が大発生します。我が家は。発生しやすい環境があるので、不用意にそこら辺で寝ていると、奴らの格好の標的になるわけです。で、起きるとぼっこぼこに。
献血はあまりしませんが。奴らには散々提供しています。眠たくなって横になった時点でなんとなくそうなることはわかるんですが、
でも吸わせねえよ!?(我が家っぽく)
などと言って不意打ちをかまして一匹ずつ殺していくような気力はもうその時にはありません。眠たいので。蚊取り線香を発動しなければ。
ただ綺麗な女性にはいっぱい吸って貰いたい下ネタじゃねえか!(我が家っぽく)
5月30日の日記「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」
2009年5月30日 映画・放送文化基金賞でNHKスペシャルの、
「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」が本賞を受賞したと新聞に載っていた。
これは自分も昨年見ていて(8月の放送だった)、一度目で深く印象に残り、再放送を録画したドキュメンタリーだ。
米国人カメラマンが占領軍として長崎にやってきた。彼は、軍に隠れてその当時の長崎の風景や人物を撮影していく。帰国後、彼はその写真と記憶を封印し、家庭を持ち、仕事をしながら平穏な暮らしを続けていた。
ところが晩年、突然に彼はその封印を解いた。そして、原爆投下という悪夢を告発していく。しかし母国を告発するという行為は周囲の人間からの非難を呼び込むことになる(事にアメリカは原爆投下を正当化して教育しているし、愛国心も強い)。
平和だった家庭は崩壊し、彼は理解を得られないまま人生を没する。
彼は長崎で何を見たのか。長崎での体験は彼の中でどのような意味を持っていたのか。そして、晩年の彼にどのような心境の変化があったのか。
ということが彼の撮影した写真や、決意を吹き込んだ録音テープと共に語られていく。
彼の意志を継いだのは、彼の息子だった。父の行動を引き継ぎ、活動している。
父の思いの全てを理解は出来なかったと思うが、それでもわかろうとした。非難が集まる中、新聞の投書に父を擁護する文章を送った。その事を録音テープの父が語る場面で、涙ぐんだ場面が印象に残る。
以前はほとんど理解を得られなかったが、最近反応が変わってきたと息子は語る。共感する意見が、徐々に見られ始めるようになったという。中には、イラク戦争に絡んだものもあった。
また、写真に衝撃を受ける人もいた。中でも、瓦礫の中に、直立で佇む少年の写真に惹きつけられたという意見があった。
この番組の中で色々と感じる箇所はあったが、自分もその少年の写真に一番惹かれた。唇を真一文字に結び、眉をひそめて、遠くを見るように直立した少年。背中には天を仰ぐように崩れた少女が背負われている。その姿勢の美しさと、もの悲しさは、得も言われぬ風情を醸していた。
(また余談ながら齋藤孝の「身体感覚を取り戻す」という本を今読んでいるのだけど、その中で昭和の少年にはまだ日本独自の身体文化が引き継がれていたという主張が出て来る。この写真を見ているとまさにその立ち姿の美しさに日本の身体文化を感じることが出来た)
原爆投下直後の中、カメラマンとしてやってきたその男性は様々な惨状を目にした。彼を突き動かしたものはまさにそれだろう。そのリアリティや催す感情は、なかなか体験しなければ伝わるものではないし、理解もされない。ましてや、フィルターのかかった教育や、遠隔地からの客観的、合理的な見方では。
現実を目にしたときに、それら全てを吹き飛ばしてしまう衝撃というものがある。まさに事件は現場で起きているのだ。
彼の写真は大変意義のあるものだった。自身の感情を伝えるのに大きく役立つだけでなく、人に様々な気持ちを喚起させる要素があった。
偏った価値観が多くを占める中に、こういった写真と彼の活動は、ほんの小さな、それでも大変貴重な穴を削ってくれる。その事が、本当の平和について考える、大きな材料になっていくのだ。
(また、この話は何だかフランダースの犬に似ている。正直に、真摯に生きようとした人間が理解されず、苦境の中に没する。が、やがて彼は、周囲に理解されていく。例え敗北したとしても、しっかりとした信義に生きて死んだのならば、そこに崇高な価値を見いだす。日本人好みの、滅びの美学。このドキュメンタリーが評価された理由の一端かもしれない)
-----------------------------------------------------------------
・ツレがうつになりまして
NHKがドラマ化。原作の漫画本を持っているのでどのように映像化されるのかと思って見てみました。まずまず良かったです。藤原紀香(最初起用に驚いたけど)の雰囲気も原田泰造の演技も。
またツレの神経質な性格を知らせるための描写だとか貂さんのいい加減でしかも愚痴っぽい感じとか、色々必要な情報、伏線は入っていると思います。
きっちり頭から見ていないので何とも言えませんが、ウツに陥っていく会社での出来事などもう少し欲しかったかな、と言う印象。まあこれはいいか。
ツレのシグナルとそれに気づけていなかったことがわかる終盤付近や、全く誇れるところがない自分に気づくあたりの、落ちきった部分がハイライト。か。
ここに条件が揃った。ここからどう再生していくのか、と言うのが今後の見せどころ。
漫画だとゆる~い描写で、自分はそれしか読んでいない。しかしその他の関連書ではもっと深刻だったことが書かれているらしい。実際ドラマでも、なんとなくそれが覗える。
総合的に取り入れていくんだろうけど、どれをベースにするのか気になるところ。やはり原作漫画だろうか。となると、次回以降、あのゆる~い、茶化した感じをどう出していくのか気になる。
「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」が本賞を受賞したと新聞に載っていた。
これは自分も昨年見ていて(8月の放送だった)、一度目で深く印象に残り、再放送を録画したドキュメンタリーだ。
米国人カメラマンが占領軍として長崎にやってきた。彼は、軍に隠れてその当時の長崎の風景や人物を撮影していく。帰国後、彼はその写真と記憶を封印し、家庭を持ち、仕事をしながら平穏な暮らしを続けていた。
ところが晩年、突然に彼はその封印を解いた。そして、原爆投下という悪夢を告発していく。しかし母国を告発するという行為は周囲の人間からの非難を呼び込むことになる(事にアメリカは原爆投下を正当化して教育しているし、愛国心も強い)。
平和だった家庭は崩壊し、彼は理解を得られないまま人生を没する。
彼は長崎で何を見たのか。長崎での体験は彼の中でどのような意味を持っていたのか。そして、晩年の彼にどのような心境の変化があったのか。
ということが彼の撮影した写真や、決意を吹き込んだ録音テープと共に語られていく。
彼の意志を継いだのは、彼の息子だった。父の行動を引き継ぎ、活動している。
父の思いの全てを理解は出来なかったと思うが、それでもわかろうとした。非難が集まる中、新聞の投書に父を擁護する文章を送った。その事を録音テープの父が語る場面で、涙ぐんだ場面が印象に残る。
以前はほとんど理解を得られなかったが、最近反応が変わってきたと息子は語る。共感する意見が、徐々に見られ始めるようになったという。中には、イラク戦争に絡んだものもあった。
また、写真に衝撃を受ける人もいた。中でも、瓦礫の中に、直立で佇む少年の写真に惹きつけられたという意見があった。
この番組の中で色々と感じる箇所はあったが、自分もその少年の写真に一番惹かれた。唇を真一文字に結び、眉をひそめて、遠くを見るように直立した少年。背中には天を仰ぐように崩れた少女が背負われている。その姿勢の美しさと、もの悲しさは、得も言われぬ風情を醸していた。
(また余談ながら齋藤孝の「身体感覚を取り戻す」という本を今読んでいるのだけど、その中で昭和の少年にはまだ日本独自の身体文化が引き継がれていたという主張が出て来る。この写真を見ているとまさにその立ち姿の美しさに日本の身体文化を感じることが出来た)
原爆投下直後の中、カメラマンとしてやってきたその男性は様々な惨状を目にした。彼を突き動かしたものはまさにそれだろう。そのリアリティや催す感情は、なかなか体験しなければ伝わるものではないし、理解もされない。ましてや、フィルターのかかった教育や、遠隔地からの客観的、合理的な見方では。
現実を目にしたときに、それら全てを吹き飛ばしてしまう衝撃というものがある。まさに事件は現場で起きているのだ。
彼の写真は大変意義のあるものだった。自身の感情を伝えるのに大きく役立つだけでなく、人に様々な気持ちを喚起させる要素があった。
偏った価値観が多くを占める中に、こういった写真と彼の活動は、ほんの小さな、それでも大変貴重な穴を削ってくれる。その事が、本当の平和について考える、大きな材料になっていくのだ。
(また、この話は何だかフランダースの犬に似ている。正直に、真摯に生きようとした人間が理解されず、苦境の中に没する。が、やがて彼は、周囲に理解されていく。例え敗北したとしても、しっかりとした信義に生きて死んだのならば、そこに崇高な価値を見いだす。日本人好みの、滅びの美学。このドキュメンタリーが評価された理由の一端かもしれない)
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・ツレがうつになりまして
NHKがドラマ化。原作の漫画本を持っているのでどのように映像化されるのかと思って見てみました。まずまず良かったです。藤原紀香(最初起用に驚いたけど)の雰囲気も原田泰造の演技も。
またツレの神経質な性格を知らせるための描写だとか貂さんのいい加減でしかも愚痴っぽい感じとか、色々必要な情報、伏線は入っていると思います。
きっちり頭から見ていないので何とも言えませんが、ウツに陥っていく会社での出来事などもう少し欲しかったかな、と言う印象。まあこれはいいか。
ツレのシグナルとそれに気づけていなかったことがわかる終盤付近や、全く誇れるところがない自分に気づくあたりの、落ちきった部分がハイライト。か。
ここに条件が揃った。ここからどう再生していくのか、と言うのが今後の見せどころ。
漫画だとゆる~い描写で、自分はそれしか読んでいない。しかしその他の関連書ではもっと深刻だったことが書かれているらしい。実際ドラマでも、なんとなくそれが覗える。
総合的に取り入れていくんだろうけど、どれをベースにするのか気になるところ。やはり原作漫画だろうか。となると、次回以降、あのゆる~い、茶化した感じをどう出していくのか気になる。
「齋藤孝の速読塾」に、「系譜意識を持って読め」という節が出て来る。つまり、その本に関連したその他の本を同じ時期に集中して読んだ方が、理解が深まると言うことだ。
例えば同じ著者の作品や、その作品のテーマとしていることについての関連本など。
以前自分は本を色んなジャンルから無関連にまとめて買っていたので(まあ読んでないからあまり関係ないけど)、その分野に造詣を深くすることが出来なかったし、深くしようと思っても単発的でその気になれなかった。
ということで、近いうちにある分野に絞って買おうと思うのだけど、色々候補がありすぎてどれにして良いのかがわからない……。
宇宙、生命進化、社会、社会心理、経済関連(金融、経済入門、ノウハウや成功体験、自伝など)、仏教、宗教、世界史、(アトピーを理解するための)人体の仕組みやアトピー本関連、野球に関する本、軍事関連(戦略、戦術、外交)、小説、日本の中世・古代史、猫飼育本などなどなど。
どこから手をつけて良いのかわからん。
例えば同じ著者の作品や、その作品のテーマとしていることについての関連本など。
以前自分は本を色んなジャンルから無関連にまとめて買っていたので(まあ読んでないからあまり関係ないけど)、その分野に造詣を深くすることが出来なかったし、深くしようと思っても単発的でその気になれなかった。
ということで、近いうちにある分野に絞って買おうと思うのだけど、色々候補がありすぎてどれにして良いのかがわからない……。
宇宙、生命進化、社会、社会心理、経済関連(金融、経済入門、ノウハウや成功体験、自伝など)、仏教、宗教、世界史、(アトピーを理解するための)人体の仕組みやアトピー本関連、野球に関する本、軍事関連(戦略、戦術、外交)、小説、日本の中世・古代史、猫飼育本などなどなど。
どこから手をつけて良いのかわからん。
結局昨日一昨日の不調は風邪だろうということに。
先週に貰ってきて潜伏していた奴が出てきたのだろう。
今の所は平常に戻りつつあります。
-----------------------------------------------------------------
野球ブログ、ほぼ毎日更新していますが、今までセリーグの試合のみ記していたのに、パリーグも記載するようになってから更新時間が倍以上かかってしまって大変困っています。
慣れればそのうち短くなるだろうと思っていたのですが。今の所全然。シーズン前に下調べしてなかったこともあって手こずってます。
うーん。時間対効果という観点からどうなんだろう。
とりあえず今シーズンは続けてみようと思うんですがね。
-----------------------------------------------------------------
本を読むときに「齋藤孝の速読塾」にあった方法を実践してみようと心がけています。まだコツは掴めてないんですが、なんとなくわかってきた感じが。100%書いてある通りにしようとは思ってません。自分流にアレンジできればいいです。
今までは文章を順番にいちいち全て全力で読んでいたんですが。今は全体を大局的に見て、そこから局所に絞っていくイメージです。
先週に貰ってきて潜伏していた奴が出てきたのだろう。
今の所は平常に戻りつつあります。
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野球ブログ、ほぼ毎日更新していますが、今までセリーグの試合のみ記していたのに、パリーグも記載するようになってから更新時間が倍以上かかってしまって大変困っています。
慣れればそのうち短くなるだろうと思っていたのですが。今の所全然。シーズン前に下調べしてなかったこともあって手こずってます。
うーん。時間対効果という観点からどうなんだろう。
とりあえず今シーズンは続けてみようと思うんですがね。
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本を読むときに「齋藤孝の速読塾」にあった方法を実践してみようと心がけています。まだコツは掴めてないんですが、なんとなくわかってきた感じが。100%書いてある通りにしようとは思ってません。自分流にアレンジできればいいです。
今までは文章を順番にいちいち全て全力で読んでいたんですが。今は全体を大局的に見て、そこから局所に絞っていくイメージです。
ここのところ鼻水やくしゃみが出たり、それがなくても体が非常にだるかったりする。今日もそうだった。と言うか現在進行形でそう。
理由は何だろうか。
ある程度の期間の中で、様子を見つつ過ごそうと思う。
理由は何だろうか。
ある程度の期間の中で、様子を見つつ過ごそうと思う。
親が知人から貰ったお菓子を仏壇に上げてこいと言うので、浜松名菓「うなぎパイ」を持って仏壇へ。
仏壇の座布団に座ったときに何だか体がダルいというか凝っているというか、そんな感じだったので、ついでにその場でヨガを披露。先祖にらくだのポーズをこれでもかと見せつけてその場を去る。
先祖ぽかーん。(°Д°)
仏壇の座布団に座ったときに何だか体がダルいというか凝っているというか、そんな感じだったので、ついでにその場でヨガを披露。先祖にらくだのポーズをこれでもかと見せつけてその場を去る。
先祖ぽかーん。(°Д°)
・押切もえ。
食事の管理を徹底しているとか。見ていて確かに綺麗だしスタイルはいい。特に脚線美は目を見張る物がある。また、性格的にも勉強家で真面目に物事に取り組むようだ。NHKが釈由美子の後任として「英語でしゃべらナイト」に起用したくらいだし。実際どんどん英語を身につけているように見えた。
しかし、顔を見ていると、どうも何か、栄養が足りてないんじゃないか、と感じることがある。これは単純にそう言う顔の作りなのか、俺自身の好みの問題なのだろうか?
真に健康な体とは何か、健康な美しさとは何だろうか?
-----------------------------------------------------------------
・重力障害。
最近エレベーターに乗る機会が多いのです。エレベーターから降りると、なにやら感覚が一瞬おかしくなることがあります。
NUMBER GIRLの曲にこのような歌詞があります。
「隣接する 百貨店のエレベーター レイディは 重力障害」
今身をもって重力障害を実感中。
こんがらがってる in my brain こんがらがってる in my brain……
食事の管理を徹底しているとか。見ていて確かに綺麗だしスタイルはいい。特に脚線美は目を見張る物がある。また、性格的にも勉強家で真面目に物事に取り組むようだ。NHKが釈由美子の後任として「英語でしゃべらナイト」に起用したくらいだし。実際どんどん英語を身につけているように見えた。
しかし、顔を見ていると、どうも何か、栄養が足りてないんじゃないか、と感じることがある。これは単純にそう言う顔の作りなのか、俺自身の好みの問題なのだろうか?
真に健康な体とは何か、健康な美しさとは何だろうか?
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・重力障害。
最近エレベーターに乗る機会が多いのです。エレベーターから降りると、なにやら感覚が一瞬おかしくなることがあります。
NUMBER GIRLの曲にこのような歌詞があります。
「隣接する 百貨店のエレベーター レイディは 重力障害」
今身をもって重力障害を実感中。
こんがらがってる in my brain こんがらがってる in my brain……
先月、今月とかなり苦しかった金銭的やり繰り。何とか乗り切れる目処が立ちました。
とは言え、一番苦しいのは今月末から来月末までの一ヶ月間。スッカラカンになるので、その間をどう凌ぐか。まあ、どう凌ぐも何も、ただひたすら我慢するしかないですがね(笑
-----------------------------------------------------------------
最近音楽を聴く時にベースラインに意識を傾けるようにし始めました。
弾いたことはないんで技術的にどうとかはわかりませんが、このベースラインはいいなあと思ったり、ここのリズムはそうでもないと思ったり、という、感想を持てるくらいにはなってきました。
もちろんギターのメロディラインも好きなんですが、自分の場合ベースやドラムの生み出すリズム、それに乗れるかどうか、と言うのが大きいんだと思います。
-----------------------------------------------------------------
アトピー改善の要素は色々あるんですが、その中の重要なものの一つとして血行を自分は重視しています。
何らかの理由によって体の部分部分に凝りが生じると、悪化しやすいですからね。ほぐしてやると改善したり、少なくとも極端に悪くなることは少なくなりますから、関係はあると思います。
自分の場合、歯を強く噛み締めてしまう癖がありまして、それによって首や顎周辺が悪化しやすいのですが、最近これに最も効果のある改善法(ほぐし方)を見つけまして、それ以来あまり悪化しなくなりました。
とは言え、一番苦しいのは今月末から来月末までの一ヶ月間。スッカラカンになるので、その間をどう凌ぐか。まあ、どう凌ぐも何も、ただひたすら我慢するしかないですがね(笑
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最近音楽を聴く時にベースラインに意識を傾けるようにし始めました。
弾いたことはないんで技術的にどうとかはわかりませんが、このベースラインはいいなあと思ったり、ここのリズムはそうでもないと思ったり、という、感想を持てるくらいにはなってきました。
もちろんギターのメロディラインも好きなんですが、自分の場合ベースやドラムの生み出すリズム、それに乗れるかどうか、と言うのが大きいんだと思います。
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アトピー改善の要素は色々あるんですが、その中の重要なものの一つとして血行を自分は重視しています。
何らかの理由によって体の部分部分に凝りが生じると、悪化しやすいですからね。ほぐしてやると改善したり、少なくとも極端に悪くなることは少なくなりますから、関係はあると思います。
自分の場合、歯を強く噛み締めてしまう癖がありまして、それによって首や顎周辺が悪化しやすいのですが、最近これに最も効果のある改善法(ほぐし方)を見つけまして、それ以来あまり悪化しなくなりました。