どーしても甘い物が欲しくなったので、黒砂糖使用のお菓子を買ってきた。
 黒砂糖、小麦粉、水飴、ブドウ糖、膨張剤。
 極力余分な物がないようなもの。
 それだったら、黒砂糖を買ってきて自分で何か料理すれば一番良いのかもしれないけど。まあ、そこまでは今はしないので。

 しかしそもそもリンゴジュースを買ってこようと思ったんだけど、100%の物があまり置いてなかった。置いてあっても着色料だなんだと使用しているし。
「純粋リンゴジュース」と銘打たれた商品の果汁は30%だし。
 お前なんて純粋じゃないやい。スレてよごれっちまってるよ!
 ヤホーのオークションでいらぬ物を売りさばいてやろうかとシステムをチラ見してみたけど、色々と面倒臭きことこの上なし。

-----------------------------------------------------------------

「爆問学問」での浦沢直樹氏の話の中で、メジャーとアンダーグラウンドの関係についての話は興味深かった。
 また、余りにも突き抜けてしまうと読者の共感を得られなくなってしまうと言う点は、やはりそうなのだなという感じ。そう言う他者を顧みず、内圧だけを追求していくやり方というのは、結局時代に合うか合わないか、と言う点がほとんどになってしまう。

「爆問学問」の前に「あの人に会いたい」という短い番組を放送していて、黒澤明氏が取り上げられていた。
 売れなければ叩かれて、世界に評価されれば途端にチヤホヤされる。と言うところは面白かった。
 また、最後の「頭で作るんじゃなくて、心で作らなければいけない」と言うような発言が印象に残った。 
 作ったときに、そこに自然と、その人の主義主張が現れる。頭で作ると、歪になるという事だろうか。
「カンブリア宮殿」を見た。
 再春館製薬所の会長・西川通子氏がゲスト。

 再春館製薬所の社内や仕事の在り方、またシステムなど、独自の体系が発達し完成されていて、その事に圧倒されてしまう。
 これを起業していきなり全部やろうと思うとまず無理だろうけど、この人はたぶん逐次対応していって、次第にこういう形になったのだろう、と勝手に推測する。
 
 対応という点では、返品の嵐に襲われたときの決断だろう。
 素直に誤りを認め、丁寧な返事を出す。そしてまた、社内の仕組み、意識を変えるまで、それまでの主要な収入源であった売り込みをストップさせた。
 外から見ていて、普通だろう、と思うようなことでも、実際その中にいて決断を迫られるとなると、腰が重くなるものだ。責任があるから。
 野村監督は「判断」(正確性、確実性)と「決断」(賭け、勇気)の違いを挙げて、両方とも重要だが、最終的に決断力に優れた人物こそリーダーに相応しいと述べている。
 再春館製薬所の製品の中で、ドモホルンリンクルに着目して選択と集中を実行したことも、彼女の判断力と、決断力だろう。
 カンブリア宮殿でかつて紹介された他の企業でもやはり「選択と集中」に成功した企業があったが、物を見る目、そしてそれに賭ける勇気という物が必要になるのだ。

 関係ないかもしれないが、その点自民党は、どうだったのだろうか、などと思ってしまった。
 季節の変わり目と言うことで衣類のことが気になり始める今日この頃。
 捨てるべきか否か迷っている服なども結構ある。
 長いこと着てないのも、改めて着てみると、「うーん」と悩んでしまったり。
 でも結局着ないんだよなぁ。

 わかっちゃいるけど。
 こなすべき用事
 ↓
 散歩
 ↓
 入浴
 ↓
 夕食
 ↓
 TV
 ↓
 雑務
 ↓
 眠る

 ならいいんだけど、

 こなすべき用事
 ↓
 散歩
 ↓
 夕食(TV)
 ↓
 眠くなる
 ↓
 寝る
 ↓
 朝風呂

 が一番いけない。 
 そして、最近このパターンが多い。改善しなければ。
・小学校の数学やり直し法案
→審議中。

・ヨガを本格的に始めるのはどうだろうか素案
→却下。

・アンダーウェア・ボクサーパンツ化計画
→進行中。
 アメトークなどを見ていると、博多華丸大吉の大吉さんに注目してしまう。地味だし、前に出てこないんだけど、一言(一口)に集約する言葉のセンスは抜群の物がある。
 また、プロレスがテーマだったんだけど、普段見ないし知識がないのに笑わせてくれるところに彼ら芸人達の腕を感じる。番組の構成や見せ方も上手いんだろうなあ。
 アマルフィを見に行くときに割と長い距離を自転車で走った。
 結構急な坂も久し振りに全力で漕いだりした。
 足にかなり負荷がきたりしたけど気持ちよかった。
 中学の頃はアホみたいに(実際アホでしたが)自転車に乗っていた。
 徒歩、自転車、自動車と、それぞれに良さがある。
 改めて自転車の良さを感じた一日だった。
 ダイハツの車「cocoa」のCM。
 ウエンツと女性のやり取りに違和感を覚えてしまう。

 二人はカップルで、デートか何かをしている模様。ウエンツが彼女に話しかけるが、彼女は車を見ていて話を聞いていない。
彼女「なにか言った?」
彼氏「もう、いっつも cocoa のことしか考えてないよね」
彼女「じゃあ、いっつも私のこと考えてる?」

 いやいやいやいやいや。
「じゃあ」の意味がわからない。
 彼はつまり、
「いつも cocoa のことしか考えていないよね(だから、もうちょっと他のこと、例えば俺のことにも興味を持ってよ)」
 と言っているわけで、「俺のことだけ考えてよ」とは言っていない。
 なので答えとして、
「じゃあ、いつも(100%)私のこと考えてるの?」
 というのは明らかにおかしい。話しが噛み合っていない。筋が違っている。

 それとも、「cocoa に夢中な私に興味を持って欲しいなら、振り向かせるくらい私に興味を持ってるの?」という意味を込めて「じゃあ、いっつも私のこと考えてるの?」と言っているのだろうか?
 だとしてもだ、やはりわかりづらいことに変わりはない。その場合は、
「うん、大好きだもん。同じくらい私のこと考えてね」
 と言う感じになるのだろうか。ただし、こうなった場合のCMのテンポや質、二人のやり取りの面白さなどは保証しない。

 別パターンのCMで、こちらはそれほど酷くはないのだけど、ちょっと気になる。

 cocoa に駆け寄り、楽しげにしている彼女。
彼女(車に乗り込み)「どう?」
彼氏「もう、車なんて走れれば良いじゃん」
 彼女が腕で彼氏の首を締め上げる。
彼女「じゃあ、彼女なんて誰でもいい、って思ってる?」
彼氏「オシャレな方が良いです」

 確かに彼女の言っていることは比喩として成立しているのかもしれないけれど、彼氏はあくまで「車なんて」と前置きしているわけだ。それをわざわざ恋人の条件に置き換えるというのは無理矢理じゃないだろうか。
 ここでは比喩よりもむしろ、「走れるだけじゃ良くない」ということを説明する方が良いのではないだろうか。
 まあ、もう、CMという体裁を無視してますが。

 ユーモアを重視したシーエムに真面目にツッコミを入れる俺の野暮さは、この際無視します。
(CMは現在公式ホームページで公開されています)
 テロの情報を得て、邦人を守るためにイタリアへと派遣された外交官の黒田。イタリアの日本大使館ではG8に備えて着々と準備が進められていた。
 そんな折、日本人少女の失踪事件が発生。関わることになった黒田だが、それが誘拐事件へと発展。少女の母親、警察と共に犯人の要求に振り回され、イタリア各地の観光名所をたらい回しにされる。
 犯人の思惑が掴めない中、次第に解決の糸口となるような手掛かりを見つけていく黒田だったが、独断の行動は捜査権限がないために警察からのクレームを受け、上司からも体裁上の問題を指摘される。
 犯人からの要求が続き、障害の中一歩ずつ核心に近づいていく黒田。そして――。
-----------------------------------------------------------------
 結論から言うと、結構面白かった。

 この映画はたぶん面白いんじゃないか、と言うことは色々な情報から推測できていて、見たい見たいと思っていた。で、毎月1日、鑑賞料が安くなるので見に行ってきた。

 金のかかった大がかりな日本映画というとどうも空回りしがちで(特にアクション映画とか)、果たしてこの映画はどうなのかと思いながら観ていたのだけど、いや、久々に上映時間をほとんど全くと言っていいほど気にせずに見終わることが出来た。

 まず、テンポが非常に良い。導入から短時間で登場人物の人となりや状況などを把握させ、事件へと進んでいく。カットも展開もスピーディで中弛みをさせることがほとんど無い。編集が良かったのだろうか?
 人間関係においても、信頼関係の変化などは描かれるが、基本的に深入りはしない。つまり、そちらに時間を取られない分、事件絡みの事柄に集中することが出来、サスペンスとしてのボリュームや緊張感を持続させることが出来ている。
 ここの割り切りは結構重要で、観客受けを狙って両方入れようとすると返ってどっちつかずになり、失敗したりする。
 決して人間関係が描かれていないというわけではないのだけど、適当な間合いで終わらせていることによって、映画の核であるサスペンス部分が活き、後味も悪くなく、含みを持たせることが出来ていた。
 最後の最後に関しては、エンターテインメントとしてみると減速してしまった感は否めない。ここはさじ加減が難しいところだろう。娯楽映画としてのカタルシスを重視するならば軽薄になりかねないし、今回のように重みを出そうとすると興奮が薄れていく。
 ただ、じゃあ今回の最後が全くつまらなかったかというと、必ずしもそうではない。撮り方や見せ方の配慮もあったと思う。お涙頂戴でダラダラし過ぎなかったことも、功を奏したのではないだろうか。
 個人的には、犯人側の動機に感情移入できる本格的な強化シーンが欲しかったが、予算や撮影の手間、上映時間などもあるし、実際やろうと思ってもなかなか難しいのかもしれない。

 登場人物で言うと、皆良かったように思う。
 織田裕二と言う役者は、個人的な意見だけど、役を細かく演じ分けるのが凄く上手いという訳ではないような気がする。基本的に似たような演技になる。そういう点では大根なのだけど、絵になる容姿と雰囲気を出していているし、魅力的なのだ。また、(演じ分け以外の)演技力は確かな物があると思う。
 彼の場合、大雑把に2通りのキャラクターに強みがある。
 踊る大捜査線の青島に代表されるような、人間臭いキャラクター。
 もう一つは、(見たこと無いけど)「振り返れば奴がいる」とか、「県庁の星」に代表される、感情を殺したようなキャラクター。
 今回のアマルフィは後者。非常に雰囲気があって良かったし、「陽」の当たり役が青島ならば、「陰」の当たり役はこの黒田なのかもしれない。
 企画の規模からしてそう簡単にシリーズ化はされるとは思わないが、されたら面白そうだ。

 監督は「県庁の星」の西谷弘。
 県庁の星は地味だし最後が蛇足気味かなとも思ったけど、基本的にテンポも良く、秀作だと思えた作品だった。
 ちょっと、この監督は注目しなければならないような気がする。

 サラ・ブライトマンの歌も非常に聴き応えがあり、美食を口に含み舌で楽しんでいるときのような恍惚感があった。映画に非常に寄与していると思う。
 観客がスタッフロール中もほとんど席を立たなかった事が印象に残っている。
 政治の話と金の話は軋轢を生むものだが。

 とりあえず民主党が勝利。
 まあもうこの流れはどうしようもないね。
 自分が投票した個人や団体はこれまで勝利したことがないので、どこに投票したかは推して知るべし、と言う感じで。
 ある程度流れは予測できていたし、余りにもそちらに傾きすぎるのも良くないな、と思ったこともあり。個人的には思ったよりも自民が議席を獲得していたように映った。

 ただ、民主党の勝利や、自民党の敗北は、それほどネガティブに捉えていません。
 民主党(と連立を組む社民党)に怖さもありますが、魅力もある。正直民主党側に投票しようか迷ったくらいで。
 一方で、自民が負けたことによって、色々と整理され、考え直されることもあるだろうし、下野して一端考えてみてください、と言った感じ。老廃物を吐き出せるかどうか。この選挙で負けると言うことも、老廃物の排泄と似たような面がある。

 何でもプラスとマイナス面がある。そして、プラスに転じるためには、それまでの価値観や構造を壊す必要がある。そこで壊れたままになるのか、あるいはもう一つ器を大きくして再構築されるのか、が問題。

 霞ヶ関の解体も、良い面と悪い面があるだろうし、郵政民営化もしかり。
 民主のお手並み拝見と行きたい。
 以前買ったジェルボールペンのインクが無くなりかけていたので(黒色)、替え芯を購入しにいきました。黒色と緑色を購入。
 うーむ、やっぱり減るの早い気がするよジェルは。でも発色が良いし、一回使うと、良いんだこれが……。

 ところで文房具屋では興奮しましたよ?
 へえ! こんなんあんのか、こ、こんなにも種類が、こんなにもっ!
 と言う具合。
 自分が音楽好きになった理由は幾つかあると思うが、その内の一つにゲームミュージックがあると思う。
 昔子供の頃ゲームをやっていて、コントローラーをいじらずにひたすら音楽を聴いていたとか、そのまま寝てしまったとか、そう言うことが良くあった。
 結構良い音楽が多かったような印象がある。
 スーパーファミコンの頃とかは、音数が少ない分、今よりも一音一音がハッキリしていて、口ずさんだり、捉えやすかったりしたのかもしれない。
 現在はあまりやらないのでわからない。もちろん良い曲も数多あると思うが、音域が増えて、その分曖昧な表現、表情を持つようになった所はあると思う。そこが、昔のようなハッキリとしたわかりやすい音楽を減らしている面も、無いとは言えないのではないか。
 と、ロマンシング・サガ3やライブ・ア・ライブの音楽を聴きながらふと考えた。
 将来の一人暮らしを考えると、自転車は折りたたみが欲しいなあ。
 今の時代外に置いとくと、いつの間にか妖精さんがどこかへ持って行ってしまった、みたいなこともあるしね。
 折りたたみ、でも基本、カゴは欲しい。やっぱり使うからね。
 ホームセンターの自転車コーナーで、冷やかし。
 久々にちょっと興奮した。
8月27日の日記
 先日作ったチャーハン。
 料理はあまりしませんが、今まで作ったチャーハンの中で一番うまくいった出来だと思います。
 具材はピーマン、タマネギ、ベーコン。
 味付けは醤油、塩、コショウ。

 この先いつか一人暮らしをしようと目論んでいるわけで、その事を考えると簡単な料理くらい作れるようにならんといかんなーとか、思ったり思わなかったりしています。
 アトピー性皮膚炎の少年が同級生にその事をからかわれるなどいじめがあり、学校側の指導によってそれは一応解決されたことになった。が、その後時間を置いてその少年が焼身自殺をした、という事件。

 その少年の自殺理由はわからない。いじめか、精神的な悩み(交友、進路、将来など)か、アトピーか、或いはそれら全てが総合されてか。

 自分はアトピーを文明病だと考えている。これは正確な表現ではないかもしれないが、便宜上そうしておく。
 アトピーは精神的な要因と、肉体的な要因から発症しやすくなると考えているのだけど、都市に近ければ近いほど、身体に有害なものを取り込みやすい環境になり、また精神的なストレスも増大する傾向にあると思う。
 その一方で、肉体の重要性が軽視されるか、もしくは発揮しにくくなる傾向があり、また、それに伴ってメンタル面の力強さも失われてしまう。し、負担も大きくなる。

 自分は多くの医者にはかからなかったのでわからないが、皮膚科医は基本的にはステロイドを処方するのみで、根本的な解決法を提案、提示しない。(自分の場合、アトピー重症患者の写真を見せられ、恐怖を煽られたりした)

 理由もわからずこの奇怪な病気に冒され、痒みや皮膚の違和感で苦しみ、対処法も薬を塗るだけ。それを理解されず、バカにされ、嘆くがどうしようもない。
 治るとも思えず、未来に対して明るい展望を持ちにくくなる。

 食事や健康(新陳代謝)の重要性はもちろんのこと、アトピー(或いはアレルギー疾患全般)になりやすい気質というものもあると思うし、それを形成するのはその人の周囲の環境、人物だったりする。
 何が問題だと決めつけは出来ないが。

 今でこそほぼ克服して、対処法もわかるし、気持ちは晴れやかだが、以前の自分も心身両面で辛かった。
 彼がどういった理由で焼身自殺を図ったかはわからないが、きっと一因はあるのだろう。
 克服できていなければ、自分が彼のようになっていた可能性だってあるし、ただただ、切ない。

松のひとりごと

2009年8月25日 読書
 単行本 朝日新聞社 発売:2003/11/14 1,470円

 松たか子のフォト・エッセイ集。
 彼女が24~26歳頃に雑誌に掲載された物を集めた作品。
 とりあえずざっと読み切りました。

 人間一人一人が何を考えているかはわからないので、彼女が特別なのかどうかはわかりませんが、ただ芸能一家に生まれ、育ち、役者として、歌手として活動されている、感性の片鱗を窺うことは出来ました。
 彼女の実際の気質はどうなのかはわかりませんが、このエッセイ集を読んでいて感じるのは、どこか一歩引いて物事を見ているという、彼女の立ち位置。

「末っ子特有の性質なのか、環境のせいなのか、いつしか私は(自分で何とかしなきゃ)という感覚を身に着けた。甘えるのが下手になった。」

 と記しているように、自分自身と向き合う、自分自身で考える、という技を、身に着けていったのかもしれません。その事によって、物事を一面的に見ず、色々な解釈をすることが出来るようになってきたのかもしれません。

 ただし彼女は役者ですから、基本的に物事を見るとき、役者としての目線で見ているように見えました。
 テレビのお笑い番組で芸人がどのようにして人を笑わせるか、野球選手の勝利の表情から覗える心情、街角を歩く少女達の内面、そう言ったことを自分なりに感じとろうとしているように見えました。
 その内面に踏み込んでいこうとする姿勢や共感、影響される部分は、一歩引いて物事を見ている彼女の立ち位置と記した先程の文章とは相反するように思えるかもしれません。
 その点に関しては、彼女の唯一の趣味(と自分で言っている)写真が関係してくるのではないでしょうか。
「真剣な遊び」とも言い換えているこの趣味。

「目で見た風景を、改めて一枚の写真として見直すと、色々なイメージが広がる。物言わぬ写真が、私を刺激し、想像を膨らませる。そのとき自分が何を見ていたか、どんな風に見つめていたか……。そのことと向き合うのが面白い。
 人もまた、一人で自分を知るのは困難なことかもしれない。人と関わり、その形に自分自身の姿が映し出され、自分を知っていく。
 写真を撮るとき、ファインダーを覗いていると、対象となるものと一対一の関係になる。その集中した感じが、個人的な空間の雰囲気が、好きなのかもしれない。或いは、そこにある微妙な距離感が好きなのかもしれない。」

 写真というものを日常よく使っているようですが、自分の目でものを見るときも、ファインダーを覗くようにして距離感を計り、窺っているのかもしれません。

 写真自体はどうかというと。素晴らしいとは思えませんでした。正直な話ですが。
 日常で彼女の心に留まったものを撮影しているので、彼女自身には思い入れのあるものですが、自分としてはとりとめのない作品が多かったです。良く言えば、素朴な良さはありますが。
 ただそんな中でも幾つか自分でも気に入ったものはありました。
 ビルの窓に映った夕焼けのアップ。これは、色彩が豊かで、ルービックキューブのようにも見えました。また、共演した役者さんの豊かな表情を抑えた写真。それに、最後、犬たちの写真。

 犬間関係というエッセイで、実家で飼っている犬たちの微妙な関係を記していました。
 3匹いる内の2匹が兄弟で、もう一匹がその2匹の仲間に入ろうとしても、なかなか入れず、終いに背中に孤独な陰を漂わすようになった、という話です。
 それを象徴的に捉えた写真がありました。ベッドで寝ている3匹ですが、兄弟は比較的近いところで寝ているのに、もう一匹は間を空けて一匹で寝ているのです。これには何だか、切ないなあと思ってしまいました。
 バーベキューってました。昨日。
 川で水遊びしたり、その後ボーリングしたりと、結局終日出ずっぱりでちょっと疲れてしまった。運転もしたし。下手なので事故らないように気を張ってしまった。

 ボーリングに関しては、2ラウンドプレイ。
 1ラウンド目の成績はさんざんながら、とにかくどのように投げれば良い球が行くのかを探っていた。
 2ラウンド目の途中から完全にコツを掴む。それからはストライクも多く出るようになったし、取りこぼしが少なくなった。
 単純に言えば、腹(ハラ・臍下丹田)に力を込めるということ。下半身を充実させ、歩く。投げる際に身体を沈み込ませるが、フォームとしてしっかりとした土台が形成できれば、投球に力が加わり、勢いが増す。
 そうすれば球筋がぶれないし、倒しきれなかったピンも力で持って行ける。後は手を離す位置(角度)を間違えないことだけ。

 素人ボーラーではここまで。当たり前の(基本的な)ことなのかもしれないし、偶然だったのかもしれないし。
 個人的に、中芯は意識したが、中心軸を意識するまでには行けなかったから、機会があれば試してみたいなと思ったり。
 夏と言えば怪談。
 なんて言っても最近はあまりテレビでそう言う特集ないなー。
 怪談話好きとしてはガッカリ。
 ただし、怪談好きとはいえ、心霊写真とか、霊能力者が出てきて霊視したりとか、ああいうのはほんとどうでもいい。
 怖い話を聞きたいだけなんです。(再現VTRが怖ければ尚良い)
 特になしおちゃん。

< 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 >