ISBN:4840221286 コミック あずま きよひこ メディアワークス 2002/06/06 ¥714

久しぶりに読み返してみた。

学園風景を中心に女子高生の日常を描いた作品。
4コマながら、独特の「間」や繋ぎ方でとてもユーモアに溢れた描写になっている。
もちろんキャラクターがそれぞれしっかりと個性を打ち出されているからこそで。
この4巻は最終巻。とても人気があったのに、きっちり進級〜卒業までやって終わったっていう。潔かったなぁ。

個人的に一番楽しかった学生生活が高校時代で、一番最後の学生生活も高校。
だからなんか、この巻の最後の方、卒業あたりはとっても感慨深いものがある。
つーか、卒業風景の描写が凄い生々しい。思い出すなぁ。
登場キャラクターの「美浜ちよ」が、最後とても寂しがっているけど、心情的には自分もああいう感じだったよーな気がする。

今読み返してみて、ようやくゆかり先生の言っていた言葉の意味がわかった気がした。

ある日の昼下がり。

2004年8月23日
吉田「あぁ、あっちーな。ここまで暑いともうなんか全てのことにやる気が起きないよな」

中村「まあなぁー、しょうがねえだろ。それが夏だから。だから夏休みってのは長いんだろ」

吉田「くっそー。テレビもなんか面白いもんやってないし。って言うか徳光がムカツクんだよ。こいつの笑顔を見るくらいだったら包茎になってもいいね」

中村「じゃあなれよ」

吉田「あっちーな。なんかもう、夏休み半ばにして遊び尽くしたって感じだな。何して遊んだっけ。昨日は高野豆腐をひたすら近所の壁にぶつけて遊んだし……もうやることねーな」

中村「昨日の時点でもうすでにやってる俺達が意味わからなかったからな」

吉田「……あっちー」

中村「あちーな」

吉田「……んじゃもうそろそろ人殺しとく?」

中村「意味わかんねーよ。何がもうそろそろなんだよ」

吉田「いや、わかんないけど。いいじゃん。殺しに行こうよ」

中村「まあいいや。んじゃ行くか」

吉田「よし、じゃ行こう。あ、ちょっと待って。ちょっと処分しとかないといけない物が」

中村「何だよ」

吉田「これこれ、昔書いたポエム。人殺したら絶対警察来るじゃん。絶対持ってかれるって。報道機関にダダ漏れになるから、今のうちに処理しとかないと」

中村「ああー。『少年の心の闇』、みたいに取り上げられるからな。なになに、何書いてあんの?」

吉田「これ、これとか絶対やばい。『ワタクシハ、カミデス。オマエラゼイイン、イテマウド』」

中村「ギャハハハハッ!!!! 何だそれ!! 頭悪ッ!!」

吉田「なんかもう、笑いながら書いてた記憶あるもんな、これ。すげえテキトウ」

中村「そんなの読まれねえよ」

吉田「いやいやいや、絶対この文章ワイドショーで読まれるって!!! んで、必要以上に暗い声でふてぶてしく読み上げられるんだって!! 間違いないよこれは。断言できる」

中村「まあなー、あるからなーそういうの。お前それ、読み方だけやんけ!! みたいなのがなぁ。読み方変えたらそれは普通の文章だろ、みたいなの結構あるからなぁ」

吉田「だろ? これヤバイよマジで。破っとく」

中村「うし、んじゃもういいだろ。行くか」

吉田「オッケー」

中村「あ、お前包丁持った?」

吉田「あん、今持ちに行く。お前は?」

中村「ああ、あっちで買うわ」

吉田「マジで? 一本貸したるのに」

中村「いいよ。それよか早く行こ。じっとしてたら逆に暑いし」

吉田「ういー。靴紐ちょっとほどけてるし。外出て待っといて」

中村「はいはい。早くしてくれ」

吉田「……オッケー。行こう」

7:3でバカ。

2004年8月19日
えー、風邪(?)をひいているわけです。

鼻水出ないし鼻も詰まってないし咳も出ないし、風邪かどうか判断しかねるんですが、熱計ったら38℃近く出てまして、平熱が低めな自分にとりましては、結構これで出てるんですね。ええ。
まー、んなわけで、なんかいますげーやる気が無いわけです。
あー、だる。
熱いよ。なんかさあ、水飲んでも飲んでも乾いてくんだよねえ。
あっついなーしかし。
でも「水曜どーでしょう」は見とかないといけないしね。やっぱり。

あれ。
なんだっけ、「夏に風邪ひく奴は馬鹿だ」とか言う、すげー根拠の無い、いわれの無い差別みたいな感じのことが平然とこの日本の大地をのさばっててさぁ、正直お前、オレの何を知ってんの? 俺の青春をお前、知ってんの? みたいに熱くなっちゃいがちだけど、実際俺バカだから当たってんだよなーこれ。これ否定の仕様が無い。マジで。正味の話当たってるんだもん。ごめんなさいとしか言いようがないよね。実際ね。いや、ほんとごめんなさい。あの、ほんと……土下座します。

「馬鹿は風邪ひかない」って言うでしょ?
俺普段はひかないんだよね。風邪。夏場に限ってこじらせんの。すげえでしょ? 2冠よ? 2冠。両方揃っちゃてるんだから。これは正真正銘のバカでしょ。夏は大抵の確率で風邪をこじらせるからね。凄いよ。凄い確率だからねぇ。あれ、川相のバント並みの成功率。物凄いキッチリ決めてくる、みたいな。「あー川相でた、送られるよ、なんだよぉ。いつもこーだよ。もぉーだめだ……」、みたいな。ワンアウト2,3塁かよ!! みたいな。そんな感じ。

だから普段ひかないから普通にあれ、動揺すんの。
熱だとかわからないうちは、なんか変な病気になったんじゃないか、とか、ガンじゃないのか、とか。動揺すんだけど、いつも普通に風邪で、普通に治ってくの。
「あー、死ぬかも」とか思ってるうちは大丈夫、見たいなことをきいたことあるけど、お前、悲劇の主人公的な部分まで剥奪すんなって感じでね。浸らせろ!!
みたいな。

でもさぁ、夏に風邪ひく奴の中にも、すげえ頭のいい奴とかいるでしょ絶対。
一流高校卒、一流大学卒、一流企業就職、みたいな奴が、
「ああ夏風邪ひいちゃいましたぁグシュグシュポーーーーん!!!!
みたいな感じでさ。
だから夏風邪=バカとか限らなそうだけど、たぶんそういう奴はどっかがおかしいんだよ。どっかが、おかしいんだよ
あの……たぶんあれ、膝、膝とかがパックリ割れてるんだよ。普段からパックリ逝っちゃってるんだと思うよ。
あと、挨拶をするだけで放尿しちゃうんじゃないかな、たぶん。耐え切れなくて。喋るか尿を我慢するかのどっちかしか出来ない人間とかじゃないの?

……ね、もう無理矢理すぎてね、失笑失笑みたいなことになってるんですが。
まあいいや。
すっげー熱い。
俺が居るだけで冷房を無効化できるし。
それくらいの威力です今。最終兵器です。たった今最終兵器になりました。
それでは。
世界よ滅べ☆(なるべく爽やかな口調で)

虫。

2004年8月16日
この前お山の中にある母の実家へ行ってきたわけです。

日が照っていたし、特別することも無かったので、山の中へ入っていきました。
蝉が鳴き、蜩がカナカナ言います。
スイーッチョンやら何やら、名前の知らない虫どもの鳴き声が林の中を覆うように降り注いできました。
得体の知れない恐怖、薄気味悪さを覚えました。

高校の頃の国語で、「虫」という言葉は、昔の人は得体の知れないもの・得体の知れないことにも使ったというのをきいたことがあります。
そういうことを書いてあった文章があったのです。
「虫の居所が悪い」だとか、「虫の知らせ」などですね。

まあ確かに、あの山道を歩いている時に、そういう使われ方をするのも、何となく納得できたような気がしました。
あの何とも言えない感覚。

あと、もう少し虫の名前を覚えようと思いました。
あと、ゴキブリみたいなでっかい黒い虫が、置いてあった服に接近しているのを発見して、ギリギリのところで取り上げました。危なかったです。
何の虫かはわからなかったのですが、ゴキブリか蜩か、それ以外の何かです。
あと今日、ボーリングをしていたら、親指の爪が部分的に剥がれかかりました。
それからはガーターガーターでグダグダでした。
投げる前に振りかぶった瞬間落としました。
剥がれきってからは復調しました。

半裸生活。

2004年8月16日
あぁ〜あ、人の肌をも溶かす勢いで酸性雨が降らないかなぁ……。
あ、どうもこんにちは、ジンです。
いやぁ、恥ずかしい独り言をきかれてしまいましたね。絶対誰にも言わないでくださいね。もし誰かに喋った場合は、独自に開発した呪術で前歯を差し歯に変えたりろっ骨を2,3本継ぎ足したりします。

さて、皆様最近はいかがお過ごしでしょうか。
8月も半ば、まだまだ強い日差しが降り注ぐ毎日ですが、私は常に半裸でこの暑さをやり過ごしています。私の言葉で「半裸生活」と名付けているのですが、一体どのような生活スタイルなのでしょう?
簡単なことです。
1.半裸になる。 2.日常生活を送る。
これだけのことなのです。これだけのことで日々のクソ暑くて皮膚がただれ落ちてしまいそうになる感覚から開放されるのです!! それでは私の主な実践方法を下記に挙げましょう。
半裸で新聞を取りに出ます(人目を気にしたら負けだ、という意識を持ちましょう)。鏡の前に立って、半裸でストレッチをします(鏡に目線を合わせて)。半裸でパソコンの前に座って無表情のままマウスをクリックします。クリックします(二回目のクリックがポイントです)。半裸で食器を洗います(この時に水のはねっ返りが予想外に冷たくて体がビクッとしてしまうので注意しましょう)。
とても簡単でしたね? この素晴らしい日常を是非とも体験していただきたいものです。
皆様もこの「半裸生活」、いかがですか?
ああ、そうそう。私、大手の出版社と契約を交えまして、「半裸生活」のガイドブックを書き下ろしました。欲しい方はメールで電話番号を送ってくだされば、当方より、
「あ、オレオレ」
と電話を送ります。その際にこちらが指定した口座にお金を振り込むと、本が送られるという形を取っております。
さあレッツトライ!! 半裸生活☆
DVD アミューズビデオ 2002/02/22 ¥3,990

(ネタバレっぽいのとか多分書いてありますよ)
この前BSでやっていたので、いい機会だからと思って観てみた。
観てみて、これがヒットしなかった理由が何となくわかった気がした。
ストーリーや構成の問題ではないか、と。
素人の考えですが。

映像はとてもよく出来ています。
う〜ん、というのはちょっと言い過ぎかもしれない。
表情や動きや、全体の作りとしてはまだ拙い部分も見られます。
そもそもCG技術なんて日進月歩の分野ですから、作ってる期間が長ければ多少ムラも出るのかもしれないし、時間が経ってからこれを見たら評価は下がるのかもしれない。
でもまあ、CGでこれだけのことをやれたんだから、ある程度の評価されるべきラインはクリアしているでしょう。実際、「オオ」と思うような場面も多々ありましたし。

問題なのが、ストーリーだと個人的に思います。
CGというものが力を発揮するのはやはりエンターテイメントのような作品でしょう。ファイナルファンタジーだってエンターテイメント性の強い「ゲーム」が元の出所です。
そこを全編フルCGで映画化するってんだから、やはり観る者の多くがエンターテイメント的な部分も期待してしまうのは当然だと思うわけです(実際皆がそこを期待してたかはわかりませんけどね)。
そういう意味で、今回のはあまりにも哲学的っぽい内容になりすぎたのかな、と。
しかも、ゲームよろしく専門用語がちょこちょこ出てきて、設定自体もそういう方向なので、それを2時間で理解するには少し難しかったかもしれない。
いや、それくらいだったらまた観に来ればいいわけで、そうならなかったのは、もう一回観たいと思わせるような内容じゃなかったから。ストーリーが。あと構成が。
全体を掴めないし、次なんでそうなるのか、そういう行動なのかもわからない。
いや、実は当日野球中継も観てて、ちょこちょこ変えたりしてたんで、それのせいでわかり辛かったのかもしれないのですが、と一応弁解しておきます。でもそれでもどうかと思うのです。

そういった部分も、エンターテイメントの要素が強ければ補えるのかもしれませんが、今回のはそういうわけには行きませんでした。
もちろん戦闘シーンなど、ドキドキハラハラさせられるような部分が無かったかといったらそんなことはないですが、妙に冷めた感じで見れてしまうわけです。
映画館で見てたらまた違ったのかもしれないですけど、どうも迫力に欠けるというか、ぐっと来ない。
しかも敵がファントムって言う幽霊みたいなぼんやりとしてるやつだから、飛行機でかいくぐろうとする場面も観づらくていまいちだし、銃が当たっても効果音がボヨンボヨンいっててカタルシスのようなものが全くない。
というか銃自体の音もなんか気の抜けるような感じだし。

ヒューマンドラマのような部分を書きたいなら、CGじゃなくて実写で出来る。
監督はもしかしたらそれを実写じゃなくて、CGで表現することに意義があると思っているのかもしれない。真意はわからないし、それが価値のあることかどうかも自分の考えは無いので書きませんが、しかしです。
今回のレベルでCG映画を一本作るとなると、莫大なお金がかかるわけです。自腹を切って個人の楽しみで作るなら別ですよ。でもこれはたぶん会社の金とか使ってるんでしょう?
そうなれば当然採算が取れなきゃいけないわけです。いかにして客を寄せるか、リピーターを作るか、その部分をもっと徹底的に考えなければいけないと思います。
哲学的なものをやるなって言ってるわけじゃなく、興行として成立させるためにエンターテイメント性は必要だし、その部分をもっとしっかりと作って欲しかったと思った次第です。
終わった時、
「え?」
って感じだったからねぇ……。
爽快感とか無縁。
ラルクアンシエル、ハイドの英語は大丈夫なのかとか気になっちゃったよ……。

これはもしかしたら監督の資質に関係するのかもしれない。
別の監督が指揮をとっていたらまた違ったものになったのかもしれないですが……。
ゲーム畑の人が突然映画を作っちゃう(しかもン億円も使って)ところの怖さが出たって感じかもしれない。

もう一回よくじっくり観れば、この映画に対する意見とかも固まると思うんですが、なにぶん、あんまりDVDとか借りる性質じゃないんでねぇ……。

ああでも、ファントムに触れた時に人の魂のようなものが抜け出て食われるの。
あれには恐怖を感じました。
ジタバタしてる所とかね。
……まさかあれって、人の体は人形で、その中の魂のようなものが本質だって言いたかったのかも……。
だからCGで人間なのか……。あのぎこちなさも狙ってたりして(笑
どうもこんにちは。世界が滅べばいいと思っているジンです。
ここ毎日毎日とても暑いので、このまま世界が溶けて無くなってしまったらいいんだよと切に願いながらクーラーの効いた部屋で過ごしています。

さて、最近の私のブーム、俗に言うマイブームというやつは、「新聞のテレビ欄を見ながら番組と番組を、局と局をどう梯子するかに付いて考察する」、という事です。
私は朝刊を手に、自分にとって有益なものを取り入れるべく、朝方からテレビ欄を凝視し、一日の設計図を組み立てるのです。
これは非常に重大なテーマです。この梯子のかけ方を一つ間違えば、とんでもない事態に陥ってしまうという、極めて慎重かつ適切な判断を要求されるものであるからです。
そういった高度な選択技術を要することを強いられながら、日々鍛錬を重ねてきた私は、最近一つの、慎重にならなければいけない状況に気が付きました。
一体どういう場面が慎重にならざるをえないか、例を交えて書き記しておきましょう。

例えば、昼の一時半から、日本テレビで「踊る!さんま御殿」のスペシャル版が再放送されていたとします。
この番組は司会を務める明石屋さんまの力もあって、(笑えるという点に於いて)とても有益な時間を過ごせる、質の高いバラエティ番組である。なので、私の目はこれを捉えると、嬉々としてまずこの番組を見るということを前提に他を探ります。
しかしです。
昼の一時半という放送時間に問題がありました。この一見何の変哲も無いような部分に、重大な落とし穴があるのです。

私はマイタイムテーブル(通称MT。その日の予定表と言ってもいい)を埋めるべく、他の自分にとって有益な番組を探します。
そうすると、午後一時から、フジテレビで「奇跡体験!アンビリバボー」の再放送があるではありませんか!!
この番組はまるで神の意志が働いたかのごとく奇跡的な展開を見せる実話や、神秘的な出来事を紹介する番組である。放送時間は一時間であるので、計算だと、放送終了は午後の二時になる。
つまり、である。
「踊る!さんま御殿」が放送を開始する午後一時半から、「奇跡体験!アンビリバボー」の終了時刻である午後二時までの間、どちらを見るべきか悩む三十分間の「グレーゾーン」が発生してしまうのである!!!
これはまことに遺憾な事態である。
どちらの番組もある程度質は保証されているし、簡単にどちらかを捨てきれる話ではないのである。しかも、仮に「奇跡体験!アンビリバボー」を途中で放棄し、「踊る!さんま御殿」に梯子した場合どうなるか。
うまく話の切り替わりの時に移れればいいが、もし中途で移動した場合、両局を行ったり来たりして結局どちらも中途半端にしか見れなかった、という事態になりかねない。これでは消化不良である。
片方に集中したとしても、やはり他方が気になり、後悔の念を抱いてしまうことも否定できない。
この問題は精神的健康状態を左右しかねない、まさに一大事なのである。
この点は最大限の注意を払い、慎重な行動を取るべきです。
この「グレーゾーン」によって、私たちは日常に於いてどれだけの有益な時間と情報を損失しているか、計り知れません。

私はこういった状況に陥った場合、どういった選択を取るべきか悩み、途方もない苦悶を強いられます。音楽を聴いて気違いのようにのた打ち回ります。クーラーの効いた部屋で「今日の昼ご飯何やろ。ハーゲンダッツ食いたい」などと思案に暮れます。
いずれにしても十分自分で割り切れる結論に至らなかった場合、または決断を下すことが出来なかった場合に於いて、まるで神が私のこの苦悩を優しく諭されるように、その御意思を働かせてくれます。

寝ます。
いや、正確には自然と深い眠りに落ちるのです。神の御意思によって私は深い眠りに落ちるのです。
目を覚ますと、私はこの深遠なるご配慮に感謝の念を抱き、また同時にその御意思に内包された真理を探すのです。
そこで得た結論とは、要するに、一言で表しますと、

「見なきゃいいじゃん」

ということです。「そんなに悩むなら見なきゃいいじゃん」という神の御言を耳の内で聞いた様な気がしました。
「寝ちゃいなさいよ。あんた寝ちゃいなさいよ」
と仰られる神の声は私に安息を与えてくださるのです。
こうやってひと時を安らかな状態で過ごした私は、真夜中に起きてひたすらゲームをします。ゲームに没頭できるように疲れを取り除く方法を取っていただいた神の御意思に私は深く深くお礼申し上げ、精神の安静を享受するのです。

つまり、私は、腐ったダメ人間だということです。
これが言いたかった。
あぁ、あと、タイトルに腹筋しながら打っていると書いてありますが、嘘です。どうしようもない嘘です。信じた人はたぶん明日くらいに骨折します。

メモっておく。

2004年8月1日
ちょっと都合上「愛」というものについて軽く調べようと、辞書を開いた。
「愛されたい」という感情は本能なのか?
とか考えてしまって。

「愛」(を説明する文面の最初の方)にはこう記してある。
「1・損得ぬきで、相手に尽くそうとする気持ち。2・(男女の間の)愛情」

という事で、「愛情」の載っているページを開いてみた。
「1・愛の気持ち(親としての――)2・異性を恋い慕う感情等々」

異性を恋い慕う気持ち。
この「気持ち」ってのが厄介。
突然変異とか発現しなかったとかそういうのを除いて、大概の人間に於いて、生殖本能は持ち合わせているはず。男女間で惹かれあうのは当然、その性的差異、(快楽を含めた)生殖という行為・結果に対してであるし(同性で親友はあっても、夫婦に成り得ないのはその部分もあるだろうなぁ)、自然の成り立ちだ。
大概、自分の理性とは違うところで発生するし、それを抑えようとする葛藤なんかは日常でよくあることだ(特に男性はそうだろう)。
つまり生殖本能とは生命の進化過程における淘汰の中で生き残ったものといっていい。

さて、愛が本能なのかどうか。
同姓で愛情という言葉は、それほど使わない。異性や親子に対して使うのがほとんどである。
この異性や親子に関してだけど、共通なのが遺伝的な本能だろう。異性を愛するだとかそういうのは、生殖行為と結びつくし、親子間の(特に親から子への)愛情は子供が育っていくために必要なものだ。
自分の遺伝子を後世に残していくというのが遺伝子の考え方なので、繋げていきやすいように、前頭葉を発達させた人間は感情の中に「愛」とか「愛情」というものが生まれたのではないか。
本能としてあるものを、「愛」という風に言葉にしているだけで。
もちろん他の哺乳類も、ちゃんと雌雄の生殖行為で子を産み落とすし、ほとんどの物は親が育てるが、その間に「愛」という感情が存在するのかはわからない。
いや、感情自体は存在するのかもしれないけど。その中に「愛」という概念があるのかどうか。

理性の対義語に「感情」というのがあったけど、感情が本能と直結しているのかどうか。
……。
うーん。これに自分なりの答えを出すには、まだ必要な知識が足りないかな。
まあとにかく、「愛されたい」ってのは、本能なのかそうでないのか。
違うならなんなのかってことですよ。

わかんなくなってきたから終わり。
(そういえば極楽トンボ・加藤の娘って無茶苦茶可愛いよね。ぽよぽよしてて。他人の子供だし、ほとんど性的興味もわかないけど、感じるこの愛のようなものはなんですか。「愛されるキャラクター」という使われ方もしている「愛」。情なのかなぁ。愛=情ってのも、あながち間違いではないような気がする。だから愛情なのくゎっ!!)

変身

2004年7月29日 読書
ISBN:4102071016 文庫 高橋 義孝 新潮社 1985/06 ¥340

(ネタバレっぽいの書いて有りますよ。)
フランツ・カフカ著の有名な作品で、文学(芸術)・思想に大きな影響を与えたらしいです。
自分が初めてこれを知ったのは高校の頃の国語の時間で、日本人の作品にこの「変身」の引用があったのを、先生が説明してくれた時でした。
内容は、この時は全然知らなかった。
その、「変身」するということ以外。

主人公と思わしきグレーゴル・ザムザが、朝起きると自分が巨大な虫になっているのに気付くところから話は始まる。
(何の虫かは特定されていない)
この話が有名になっている所以は、この部分が大きい。
しかも、何で虫になってしまったのか説明が無いし、グレーゴル自身、虫になったことを特別不思議がるような場面もほぼ皆無だ。
そういった発想の突飛さから内容の不条理さまで驚かされるというかなんというか。
虫になったと想像するだけでも気持ち悪いのに、文章力でそれが引き立って、読んでてちょっと肌に粟が立ったりもしました。
家族は怖気、厭いながらも彼の世話をするんですが、扱いがぞんざいなところもあります。
でも普通、家にどでかい虫がいると思うだけで嫌なわけで、この家族が施している世話が最大限の扱いだと思います。言葉も通じないので、虫が一体どんな行動をするのかとか考えただけで怖いですからね。
特に健気にしてくれる妹のグレーテをいとおしく思っちゃいます。

グレーゴルの心情の変化など、自他を含めた周囲の様々な描写にとてもリアリティがあり、読んでいて非常に興味深かった。
やはり、ずっとその姿をしていて、そういう生き物の動きをしていなければならない生活をしていると、自然と思考なども姿に近寄っていって、人間的なモノが消えていくのは仕方が無いのかなとも思った。
中島敦の山月記とかもそうだけど、その部分に関しては何となく有無を言わさないものがある。
グレーゴルの場合はそこまで極端に症状が進行していかなくて、人間としての心情も持ち合わせてはいるけど、やはり変化はあると思うし。

文章自体は、訳の問題等あるとは思いますが、わりと読みやすかったと思います。
2〜3時間あれば読めちゃいます。
個人的にはこれとはともて面白かったです。
笑っていいのかわからないけど、思わず、不覚にも噴き出してしまう部分とかあったりして(新趣向の這い歩きに気をとられて、の部分とか)、結構楽しめましたよ。
最後は一粒だけ涙がこぼれてしまいました。
色々な意味で読めてよかった。
カフカの他のタイトルもまた読んでみたいですね。
それでは。明日虫になるのは君かもよッ!! アッハハハハ☆(アニメの次回予告みたいに)

妄想エクスプレス。

2004年7月28日
今年の27時間テレビ、面白かった。
視聴率も上々のようで、ナイナイ好きの自分としてはその点でも良かったです。
ホッとしました。
笑っていいともの途中で力尽きて3時半まで寝ちゃったけど、見たかったなぁ。
今回のは、お笑い好きの自分からしたら、ほんとに凄かったです。
とんねるずのネタ見せとか、なかなか見れないでしょ。
テレ朝と相互同時中継やら、TBSの敷地に入ってTBSの番組を宣伝しちゃったり、(スーパーサッカーにバリー出ちゃったしね)、無茶苦茶なことやって非常に楽しませてくれたわけですが(リモコンでフジとテレ朝行ったりきたりとかやってしまうでしょうが)、最後の最後にはちょっとうるっと来たりしてねぇ……。
サマージャンボバカ決定の時もちょっと、良かったよなぁ……。
ものごっつ幸せそうやん。佐賀の人。
ああ、あと、ブチ切れ秘書さん良かったなぁ……。

で、最後のボクシング見てて、感動しまして。
岡村さんかっこいいなぁ。あの人って、ちゃんと仕事しっかりやるからね。自分には無いよなあ。そういう資質。
みんな、見てた人は結構感動してたんだろうけど、もしあそこで、変なところにパンチはいっちゃって、岡村さんが死んじゃったってことになったら、やっぱみんな泣くやろなぁ。
なんてことを勝手に妄想していたわけですよ。
めちゃイケのメンバーも泣くだろうし、普段遊んだりとかはしないといっても、やっぱ矢部さんも物凄い泣くだろうし、好かれてる人なんだろうなぁ。
ってことを勝手に想像していたわけですよ。

……まあ要するに何が言いたいかというと、オレは全く見当違いのところで感動しているわけで、俺がボクサーに殴られて死ぬべきではないかということです(今つくりました。特に言いたい事などありません)。
ISBN:4334032508 新書 齋藤 孝 光文社 2004/05/15 ¥735

ゲーテが名言吐きまくり。

それを齋藤が解説しまくり。

俺は俺で読みまくり。
とりあえず本日をもって会社とは切れました。
紙切れにいろいろ署名をしてきました。
明日までの在籍ですが、会社に残してきたものは何もありません。
ええ、挨拶に行ったりとかもしませんでした。
必要なものに、必要な事柄を記入して、帰りました。
帰りにミニストップに寄りました。
CD聴きながら帰りました。
Base Ball Bear の新曲を聴きながら。

ここ数日、会社を辞めて、ひたすらダラダラと過ごしていたのですが、自分は結構疲れていたんだなと実感しました。
もちろん疲れていたというのはある程度自覚していましたけど、割と結構、本当に、なかなか深く疲れていたんだなと。
会社に行っていた頃は頬とかもこけていたんですが、まあ、元々そういう顔立ちなんだと思っていたわけで。最近顔が少しふっくらしてきたのを見ると、あの頃はやっぱちょっと疲れてたんだなと。いや、顔立ちは元々そんなんなんですけどね。さらに酷かったと。

小説書きたいですけど、とりあえず、土台しっかりしないと。
プロット書いて、それに沿った形で書く。
とにかくそれしかないでしょ。ここをしっかりしないと。
いろいろ、今は吸収しなければいけない立場で、それとはまるっきり逆な生活をしているわけですが。
先日某氏と近場の花火大会を観に行った時、彼はまだ青春を満喫しているといっていたなぁ。
俺の青春終わってもうてるしな。
というか、20っていったらまだまだ、ティーンエイジャーほどではないにしても、青春を謳歌していておかしくない年齢だ。俺何やってんだろう。

コンビニから買い物を終えて出てくると、夏ですね。
夕方でも空はとても青かったです。
かえりの車の中で、彼はこう歌っていました。
「幸せになろう」と。
なにも思わずに、何も考えずに、アクセルを踏み続けることだけしかできませんでした。
Base Ball Bear CD 日音 2003/11/26 ¥1,600
SAYONARA-NOSTALGIA
つよがり少女
メタモルフォーゼ真っ最中
微熱ボーイ
SUNSET-KI・RE・I
夕方ジェネレーション
BOY MEETS GIRL
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え、もろナンバーガールなんじゃないんですか?
と言いたくなるほどナンバーガールの影響を色濃く受けた音を響かせている。
特に2曲目なんかのイントロは初期ナンバーガールじゃないっすか!!! じゃないっスか兄さん!!!
と叫びたくなるほどだ。

まだ彼らがリリースしている音源と言うのは、コンピなどを除けばこれと、あと7月7日に出たシングルだけだ。
俺はまだこのミニアルバムしか聴いていないから(予約したけど、まだ届いてない)彼らの音楽が本当に好きかはいえないが、少なくともこの音源は何回もリピートして聴いている。
ナンバーガールだろうとなんだろうと、影響を受けて音にする時、その作品に人を惹きつけられるものがあるかどうか?
そういうのが大きいだろう。
そういう意味では、この作品にはセンスを感じた。
言葉の運びやら、音楽自体に。

タイトルとか歌詞とかメロディに思いっきり向井さん、及びナンバーガールの影響を見受けられるのですが、一番の違いは何かと言ったら、歌詞の内容。
え、今歌詞は影響受けてるって言うたやん、言うたやんこの人生の敗者!!! 廃人!!!! ですって?
まあまあまあまあ、抑えて。
歌詞の内容は違います。歌詞が影響受けてると言うのは、要するに書き方ですわ。
夕方ジェネレーションと言うタイトルや、メタモルフォーゼ真っ最中と言うトラックを見てもらえばわかるとおり、言い回しが独特。向井節と酷似。
そういうことです。

歌詞の内容だけど、Base Ball Bear の場合は、学生生活やら、あるいは男と女の子とだったり、青春センチメンタル的なものが多いように思います。現時点で。
こんな歌詞があります。

早い者勝ちのシステムになってどれ位経ったのだろう。
君もそんな恋にノッてしまうの?
サリンジャーの少年は通用しないってことなんだね?

ああ、けどあるなー、あるっぽいなー。事実は置いといて、そういうのありそう。
と思えます。

まあとにかく、いいです。好きです。全体的に。
これからも追いかけていきたいです。

つーか、メンバーのうち、三人がタメなんだよなぁ。
同学年。
嫉妬したいところだけど、嫉妬できるほどこちらが良い身分じゃないのでやめときます。
-----------------------------------------------------------
追記。
影響云々書いたけど、俺はナンバーガールくらいしかわからなかったけど、聴く人が聴いたらもっといろんなバンドの影響が見られるのかもしれない。

蹴りたい背中

2004年7月7日 読書
ネタバレ有り。

綿矢りさ「蹴りたい背中」。
少し前に読み終わっていました。
今から書いてある文章は、著者の発言等を全く知らない人間の感想です。

文章はとてもリアルと言うか、自分の過去を思い出して舌打ちしたくなるような気分さえしてくる、とても自然体と言うか、そんな風がするし、読みやすい。
しかし、その全く日常風景、共感性の高い文章の中で、にな川に対する主人公の独特の感情だけがわからなかった。そこだけ凄く浮き立って、全く異質なものとして映った。
たぶんこれは綿矢りさの、人に対して向ける数ある感情の中の一つで、「多少わかるように努力はしたけど、特別、明確にわかるよう説明する気は無いので、想像するなりしてください」といったスタンス、姿勢で書いたんじゃないかな、と、個人的に思った。

あくまで予想です。
あと、にな川が最後オリちゃんに近づいて拒絶されて、「近くに行ったのに今までで一番遠く感じた」と言ったのと、主人公が友人と床を共にしている時、友人が「早くみんなに話したいなぁー」と言ったのを聞いて、友人の世界が自分のところには無いというのを実感した状況が似ていた。
二人とも遠くから眺めていた「近くのモノ」が、近くに接したことで「遠くのモノ」だと実感する辺りがね。

まあしかし、結構この終わり方っていうのも怖いなぁ。
前途暗雲漂う、みたいな感じですけど。
羅生門みたいな、暗喩なのかな。直接的なようにも思えるし。でも、どうなっていくかなんのは、わからないけどね。だいたい最後、朝焼けで終わるんだから、なんとも判断しがたい。
やっぱそれこそ、どうなるかわからんな。

全体を通して、自分の洞察力・理解力が低いので、言いたいこと、得る物が、見えなかった。
でもこれが芥川賞を取ったのだから、それなりに何かあるのだろう。
自分はこれを読んで、やはりどこか含みを持たせたような、完璧に明快ではない作品でもいいのか、と思った次第です。
人の考えで補完されるような。少し気が楽になった。
読みやすいし、楽しいと言えば楽しい。
綿矢りさは、ユーモアのセンスがあるね。
あと、少し怖いね。この人は。
知っているから書けるっていうのもあるし。
何か、怖いなぁ。
ISBN:4484881047 単行本 今井 茂雄 訳
ティビーエス・ブリタニカ 著 1988/03 ¥816

厚さはそれほど無い。と言うか、かなり薄い。
帯に書いてあるように、読書家は一時間あれば読めてしまうだろう。
自分は読むのが遅いので、解説等含め数時間かかったけど、それでもなんと一日で読むことが出来てしまった。
これは特筆すべきことですよ。
一日で読んじゃったなんて、高校生の頃の「チーズはどこへ消えた?」以来なのでね。

さて、そんな自分のことはどうでもいいですね。
この本はタイトルにもあるように、「アイデア」のつくり方を5段階に分けて記した本です。
まだよく咀嚼していないので、完全に飲み込めたとはいえないですが、しかしとても良い本です。
「60分で読めるけれど一生あなたを離さない本」という通り、この本の中で述べられていることはシンプルです。
それでいて、とても為になる。ハッとさせられる。
およそ半世紀も生き残ってきた本だけあって、その内容には頷かされるばかりです。

おそらく書かれていることを見てみれば、「ああ、それは知らず知らず自分も実践していた」とか、「多少意識していたところもあった」など、言われてみれば「ああそれは確かに」と思うようなものばかりです。
しかし、人間と言うのはそれを忘れがちだったり、ハッキリとは意識していなかったり、あるいは面倒臭さや忍耐不足から、通らなければいけない道順をすっ飛ばして、一足飛びに上のことをやってしまったりします。
この本は一からわかりやすく説明し、指摘することによって、アイデアの着想を得る前、また得てからそれを活かしていくまでの工程を教えてくれます。

少なくともこの本によって、自分が以前から持っていた「この世で得られる知識の中で何一つとして無駄なものは無い」という考えは確固たる物となりました。
(毎晩「トリビアの泉」スタッフに殺される夢を見ます。)
ただし、それと同時に自分の行動性の無さ、好奇心の狭さなども再認識させられることになりました。
とにもかくにも、この本は自分の中でとても良い一冊となりました。
読めてよかったです。
ISBN:4840210357 文庫 上遠野 浩平 メディアワークス 1998/12 ¥578

もともと読書量が少ないので、当然、上遠野浩平作品もそれほど読んでいるわけではない。
だいたい4,5冊くらいだろうか。
それでも、その数冊に共通しているのが、「切ない」ということだ。
「冥王と獣のダンス」にしても、「ブギーポップは笑わない」にしてもそうだし、上遠野作品には「切なさ」が詰まっている。

ブギーポップシリーズは人気作で、もう何冊も出ている。
この本は何番目だろう。4巻目前後くらいだと思う。
ブギーポップというキャラクターが、基本的には重要人物なのだろうけど、このシリーズにおいてはそれ以外の登場人物が物語の主軸となっている場合が多い。
タイトルは「ドラえもん」でも、実際はのび太が主軸となっているようなものだ。
読んだことのあるやつしかわからないけど、基本一冊完結型。もちろんバックグラウンドで繋がりがあるから、最初の方から手に取ってれば楽しめる要素も増えるんだけど。

結構前に読んだやつだから、話の記憶が曖昧だけど……。
この作品の登場人物は数人の少年少女で、彼らの共通項は「不思議な能力がある」ということ。
彼らはみんなで集まると、その能力でちょっとした遊びをして楽しんでいた。
みんなで集まってワイワイ言って、そういった遊びが、いつの間にか大きな事件に巻き込まれて……といった具合かな?

ちょっとネタバレになってしまうかもしれないけど、ほんとに、この作品には胸を締め付けられました。
みんなで集まって楽しんでいた仲良しグループが、あんな結末を迎えるんだからなぁ……。
ほんとに、悲しい話ですよ。
悲しくて切ない。
そして最後の、最後の一文が、見事に決まってて、それがまた胸をキュッとね。
ある意味トラウマになるんじゃないかと言うくらいショックでした。
でも、それくらい心を揺さぶるってことは、それだけ素晴らしい話なのかもしれない。

今また読み直そうと思っても、結末を知っているだけに結構体力が要るだろうなぁ。
でも、とても良いお話でした。

どうしたものか。

2004年6月28日
実はここ最近、人間としてかなり堕落した生活を送っている。

会社を辞めて、とりあえずまだバイトはしてないので平素はダラダラして過すのだけど、問題なのは小説を全然書いていないと言うこと。

小説を書く、あるいは創作活動に当たる上で身になるようなものの吸収(まあ主に本とかね)が会社を辞めたおもな理由なのに、肝心のことをしてないんだこれが。
本はちょくちょく読むんだけど。
これはやばいね。
人として。

まあ書かないというより、今まで悩んできたことが改善できていなくて、同じ事を同じように悩んでると言った方がいいのかも。

しかし物を書く人の、物語に織り込んだテーマや複線の凄さには圧倒される。
自分にはそれを読み取る力も書き込む能力も全く持ち合わせていないのではないかと不安に駆られることが多い。
まあ当然、それ相応の努力を惜しまなければ身に付くことの無いものだし、苦労しなければいけないんだけど。
八方ふさがりと言ったら違うんだろうな。
手を付けなければいけないことが多すぎてどれも中途半端になるというか。

あぁ、とんだダメ人間だ……。
我ながら、こんなダメ人間っぷりが不安で仕方がない……。

泣きたいだろ。

2004年6月27日
深夜番組でイラク戦争を中心にして色んな年代が話し合うのがやっていて。

番組冒頭は、政治判断やデモ活動など、戦争をわりと外から見ている視点での話し合いが続いたんだけど、途中、橋田信介さんの話になってきたところで一変。
橋田さんと行動を共にしたことがある人や、戦場で写真を取ったカメラマンが出演。戦地で実際に目にした「リアル」な情報や、写真や映像についてのエピソードなどが語られ、スタジオは水をうったような静寂に。
大局的、遠い場所から見ていたものが、次第に「戦場」と言う、細やかな、詳細な、無残で残酷で理不尽でやりきれない内部へと入っていくにしたがって、みんなの心の中に多かれ少なかれ、質の違いがあっても、見方の違いがあっても、影響を与えたと思う。

戦争を語る上で、この二つの視点はどうしても出てくる。
切り離せないし、裁量が難しいところだ。
どちらか片方ではないし、どちらか片方なのだ。

遠くから眺める視点と、現地の、実際の詳細を含めた視点。

両親を虐殺された少女が負傷して、病院で治療をして、体が癒え始め、記憶も何とか昔のことになってきた頃、陽気な天気の中、ベランダに出た瞬間、撃ち殺されて。
頭を撃ちぬかれて、頭蓋骨が吹き飛んで。
誰だって、そんなことをきかされて、何も思わないわけはないでしょ?
彼女が持っていたオルゴール、写真家が貰って、日本での個展で、それをデザインした人の家族に偶然あったり。
子供が楽しむためにデザインした時計のオルゴールが、彼女の最後を見ることになったなんてって、その人はショックだったってさあ……。

スタジオで、悲しく響いたオルゴールが何とも言えなく涙を誘った。

戦争はしょうがないという考えをさあ、俺も昔は持ってたよ。
いろいろなことを総合的に判断して、そこに行き着くのは仕方がないことだって。
でもさあ、やっぱりそこから一歩踏み出さないといけないよな。
その「しょうがない」を踏まえたうえで、さらにもっと、違う考え、違う方法が無いかって。
そうでなきゃ……。
こんなことを認めて言い訳が無い。

ブッシュを殺さないと。

6月26日の日記

2004年6月26日
見たことがあるかもしれない   風景

                 気のせいだって 独りごと
 
   パブリック    共通意識

             それは 明日の 出来事かも  って

               君は言うけど

理想の   桃源郷

          ディストピア     ディストピア

  砕け散った 俺色景色

                      それは明日の出来事かもよ

そう君はわらった。
ザ・ミュージック CD
東芝EMI 2002/08/19 ¥2,548The Dance
Take The Long Road And Walk It
Human
The Truth Is No Words
Float
Turn Out The Light
The People
Getaway
Disco
Too High
Alone (ボーナス・トラック)
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脳天かち割られるほどのグルーヴ。
そして溢れ出す恍惚……。
これを聴いたら、体を動かさずにはいられないでしょう。

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