映画のランク付けは時間がなかったのでまた今度。
 今年の簡単な抱負でも。
 昨年が色々自分を見つめ直さなければいけなかった年で、今年もそれが継続されそう。
 で、今後に向けて準備運動をしていたことを継続しつつ、それが発展して良い結果になるように努力する、と言うこと。

 今までのぬるかった自分をどんどん変えていかないといけない必要に迫られているんだけど、目指さなければいけない最低限のポイントが結構遠い。
 それをこの一年、下手したらもっと短い期間で到達しようとしているんだから、今年は絶対しんどくなるなあと言うのがもう今の時点でわかる。
 これまでやってこなかった自分が悪いんだけど。

 逆に言えば、それだけ自分を成長させられるチャンスだと言うこと。
 頑張らないと。
 今年の総括。

 今年は色々あった。
 片想い含め、自分を見つめ直す機会が多かった。
 それらの多くは未だ解決せず、悩みの種となって日々苦労している。
 来年も難しい年になりそうだ。と言う気がしている。現状から察するに。
 何事もそうだけど、積年の垢というのは簡単には落とせないのだ。
 しんどいなあ、と思いつつも、一方で、来年に向けてちょっとずつ準備運動を始めている部分もある。
 それが良い方向に転がってくれればいい。
 恋の方は、ほぼ絶望的なので、ちょっと今、考えるのは辛いし、しんどい。
 脇に置いておきたいけど、置いといてもチラチラ見てしまうだろうね(苦笑
 俺ごときが恋なんてちゃんちゃらおかしかったんだよ。結局。
 と、愚痴ったところでお開き。

 いや、しかし、しんどいね(笑
 今年も来年も。
 毎年年末になると、今年世間で何が起こったかほとんど忘れているので、自分判断で手書き日記に何が起こったかをチョイスして記している。
 タイガーマスクの主人公「伊達直人」を名乗って施設に贈り物が相次いだことから始まっている。このニュースは年末にも再び取り上げられて、火が消えていないことを喜んだ。

 災害で言えば、新燃岳噴火やニュージーランドの地震、そして3・11の東日本大震災。トルコでの地震やタイでの大洪水、日記には記していないが、アメリカでハリケーンの被害があったりなどした。

 原発問題はきっかけは天災に寄るものだが、半分は人災なのではと言う見方がある。人災と言えば中国の高速車両事故。あと静岡県西部という地元のニュースでは、天竜川の川下り船が転覆して死傷者が出たことなどがある。そう言えばユッケを食べて死亡というのもあったな。

 スポーツでも色々あった。サッカーの男子日本代表が、アジア杯で優勝する。史上最多4度目の快挙。そしてなでしこジャパンがW杯で優勝。なでしこフィーバーはいつまで続くか? 柏レイソルはJ2から昇格後のシーズンでJ1優勝。史上初。日記に記していないが、クラブワールドカップで柏レイソルが4位となった。一方野球は開幕がずれ込む時のゴタゴタや、日記には記していないが、巨人の清武の乱などがあり、必ずしも良い年とは言えなかったのでは。
 相撲は賭博問題を引きずったままの今年、八百長が発覚していよいよ体質の問題を見過ごせなくなる。一場所を無観客で行うなど取り締まりや再発防止に励んだが、その後の場所では客入りが芳しくなかった。そんな中、魁皇が通算最多勝利記録を更新、琴奨菊と稀勢の里という、期待された日本人力士が相次いで大関に昇進。希望の光となった。

 日本の円高が恐ろしく進む一方で、米国債が初の格下げ、ギリシャの財政危機に端を発してユーロ圏諸国に飛び火。イタリアやギリシャで内閣が入れ替わるなどした。オリンパスの損失隠しや、大王製紙の前会長がカジノにアホほどつぎ込んだ話などもあったなあ。
 また、菅首相が退陣後、野田総理大臣が誕生。TPP加盟や増税の方針を強く打ち出す。年明けの頃には名古屋でトリプル選があり、減税日本勢の勝利。年末には大阪でW選があり、橋本さん率いる大阪維新の会が勝利した。
 世界的に見ると、フェイスブックなどソーシャルメディアによってアラブの春と呼ばれる反体制運動が中東やアフリカ地域を中心に起こり、一部では政府が転覆した。日記に記していないが、アウンサンスーチーさんが自宅軟禁から解放された。

 入試でのカンニング事件とか、スペースシャトルが退役とか、アナログ放送終了、地デジ化、ノルウェーで極右の男が銃乱射、ソニーの顧客情報が大量流出(ハッカー?)、島田紳助が引退、羽生善治が通算獲得タイトル80期で歴代1位タイ、ニュートリノが光より早いんじゃね? と言う観測結果、質量の起源とされるヒッグス粒子が発見されたんじゃね? と言う観測結果、とか。
 変なのだと、水曜どうでしょうの新シリーズが放送されるとか書いてある。嬉しかったんだろうな、たぶん(笑

 今年も多くの有名な方が亡くなった。坂上二郎、児玉清、長門裕之、田中好子、原田芳雄、小松左京、松田直樹、ビン・ラディン、スティーブ・ジョブズ、カダフィ大佐、立川談志、そして最後の最後に金正日。
 そう言えば自殺者も多かった。田中実、上原美優、伊良部秀輝。他にもいたような。
 
 今年の漢字は「絆」となった。ちなみに自分が4月1日付で予想していたのが、「災」「願」「助」「援」だった。
 今年かなり久し振りに好きな人が出来たんだけどたぶん実りそうもなくて毎日かなりしんどい。
 寝取られ属性が付いてなかったらたぶん死んでる。
 不器用すぎて辛い。
 最近ちょっと、思い悩むことが多く、やらなければならないことがおろそかになっている感がある。
 まあ、俺が悪いんだけどね。
 ちょっと今色々とうまく行っていない感じ。
 まあ、俺が悪いんだけどね。
 夏は霊だ! 怪談だ! 稲川淳二だ! ってちょっとごーいんだったですかぁぁ~
 夏は死霊だ! 霊障だ! ミステリーツアーだ! かなりごーいんだったですかぁぁぁ~
(サマージャンボ宝くじ2011西田敏行さん出演CMの音楽で)

 浜松に稲川淳二さんが来たので、かねてより行きたかったミステリーツアーに行って参りました!
 17時半ちょい過ぎより開始で20時終了の約2時間半。二部構成で、前半が怪談話。後半が心霊写真。
 うろ覚え怪談話リスト。
・夜中に聞こえてくるミシンの音の話。
・同窓会の最中にかつての友人から電話で学校に呼び出される話。
・向かいのアパートがどうやら曰く付きらしいという話。
・昔の自分の恋人が妻の親友だった話。
・少年達が山の中で少女を見かけた話。
・乳癌で片方の乳房を切除した旧友の話。
・ベトナム人とのハーフの男性が、父の遺品の中から見つけた写真に関する話。
 あと一本くらいあったか無かったか。
 怪談話は、個人的にはそれほど強烈に怖かったというわけではなかく、じっとりとした感じ。稲川さんの絶叫と、音響でドキッとすることが多かった。舞台のセットや背景(空)など、良い雰囲気を出していた。不思議なもので、光の当たり具合で、何か人のような姿に見えるんだよね。あちこち。照明も、話の状況に合わせて、きめ細かく明暗を変えていて雰囲気を出していた。

 心霊写真のコーナーでは、まずこういうのは心霊写真で、こういうのは心霊写真ではないと前置きして、偽心霊写真を斬っていく。怪談話とは打って変わって、笑い話もふんだんに織り交ぜて客の気持ちを軽くさせ、食いつきを良くさせる。で、徐々に不可思議な写真を見せていく。

 稲川さんの語り口って、ビートたけしさんに似てる。早口で、短く区切って、アクセントを言葉の頭につける。これがテンポと勢いを生んで、引き込まれる。小泉純一郎元首相とかね。そしてちょっとどこかとぼけた感じがして愛嬌がある。
 また、やや言葉を聞き取りにくいから、どうしてもしっかり聞こうと集中させるんだな。

 老若男女問わず来ていた。ホラーファンって、どちらかというとニッチかもしれないけど、やっぱりそれなりにいるんだね。各年代に。
 今年が19年目で、来年が20周年だそうだ。特別な企画を考えているとかいないとか。
 いやはや、良かった良かった。栄養補給できた。
 政党政治を廃止。
 全部個人。会派はそのまま。国会に提出したい案件については提案して、参加したメンバーで作成して提出。
 でも選挙の時にイデオロギーがわかりづらくなるというのが悩ましい。
 過去の経験も含めて片想いってのは確かにしてないときと比べると生活の刺激にもなるし楽しいんだろうけどしんどいね。
 どうせ茶番になるんだし、何も感じなくなればいいのに。
 7月についにテレビの地上波放送が終わるわけだが、そうすると困ることがある。
 自分は静岡県浜松市に住んでいるわけだが、ここはぎりぎり愛知の放送が入る。これまでは見られたのだが、地上波放送が終わると見られなくなってしまうのだ。
 金を払えば期限を切って見られるらしいのだけど、いずれ見られなくなる。

 愛知の放送はキー局が同じだから、基本的には同じ番組構成なのだけど、朝・昼・夜、また曜日によって微妙に異なる。
 例えば再放送の内容や、大都市圏特有の独自製作番組の放送、中日ドラゴンズ戦の放送などである。
「たかじんのそこまで言って委員会」は静岡でも放送されているが、増刊号はほぼ放送されない。中京テレビ(チュウキョ~くんカワイイよ)ではちょこちょこ放送されるので、そちらで補っていたわけだ。

 個人的に特に痛いのは、テレビ愛知が見られなくなること。
 テレビ愛知はテレビ東京系列の番組を放送していて、個人的によく見ている「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」ちょこちょこ見ている「WBS」「たかじんNOマネー」「SHOWBIZ COUNTDOWN」などが見られなくなってしまうのだ。
 一部の番組はBSJAPANで見られるのだろうけど、地上波とは放送日時が異なるため、ちょっとガッカリなのだ。
 テレ東系は日本経済新聞社が出資しているということもあってか、経済をテーマにした番組など、独自の興味深いコンテンツを提供していて、個人的には割と重宝していたのだが……。

 まあ、住めば都ではないが、新しい形になれば、それに応じてまた何かしら面白い番組を見つけていくのかもしれないし、慣れるしかないなあ。
 6月下旬から7月上旬あたりのどこかで、今年半年間に観た映画の簡単な感想を書こうと思います。昨年末の要領で書くつもりなので本当に簡単にです。

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 毎年この時期ってなぜか悩めることが多い。
 統計をとったら絶対に溜め息の数が一番多いはず。 

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 やりたいこと、やらねばならんことはいっぱいあるが、自分のキャパが少なすぎて処理しきれない。
 齋藤孝さんの著作に始まり、テレビでは川口淳一郎さんや、CGCの社長堀内淳弘さんなどが、100%に拘るなと(言う旨の事を)言っていて、そういうのを見るにつけ、そうだなあと思う。
 齋藤孝さんは基本8割で良いと言っている。ただし大きなミスは抜かす。絶対に外せないところは決めると言うこと。川口淳一郎さんは、60%を100%で取りに行くと言っている。これも要するに、大きなミスなく、出来ることを確実に取ると言うことだろう。
 堀内淳弘さんの場合は80=100と言っている。CGCは中小スーパーの集合体であり、200以上の会社とその社長がいるわけで、100%になるのを待っていては時間がかかりすぎると言うことだから、ある程度で目処をつけると言うことだろう。
 よくテレビで次期総理候補を、芸能人コメンテーターに訊いたり、街頭インタビューなどによって国民に訊いていたりする。
 その時に返ってくる答えに「誰もいない」というものがある。その答えは真っ当だと思う。と言うのも、知るはずがないからだ。
 例えば、「次のSONYの社長は誰がいいと思いますか?」と言われて、明確に答えられる人がどれだけいるだろうか?
 その組織に属してもいないのに、個人個人の働きぶりなどわかるわけがない。その組織内にいたとしても、誰だか思い浮かばない場合だってある。
 組織の内側にいれば仕事の難しさや、その中でそれぞれがどのように働いているかがある程度はわかるが、組織の外にいれば、内実がわからないから言いたいことを言える。
 ましてや政治家というのは批判の対象となりやすい。後年評価されても、現役で褒められるような人なんて今はなかなかいない。わかりやすい批判の対象なのだ。
 上記のSONYの例では、政治家に比べて露出がないため、そもそもどういう候補がいるのかわからないと言うこともあるが、大差ないだろう。具体的にどのように働いていてどういった能力があるのかはわからない。

 で、じゃあ実際問題として今の日本の政治家に能力のある人がいるのかどうか、日本の政治のレベルはどの程度のものなのかどうか、というのは、別の話。自分も精通しているわけではないのでわからない。
 もし日本の政治が上手く機能していないとすれば、それはどこかに問題があるからなのだが、それが果たしてどこなのか?
 政治家だけの問題か、国民の意識の低さ、論理的・政治的思考の未熟さか、国民性か、マスコミの報道によるミスリードのせいなのか、それともそれ以外の何かか。あるいは、全てをひっくるめたところにあるのか。
 債券の格付け会社があるように、マスコミ(報道系)の格付け機関のような物はないのだろうか。
 政府を監視する役目を自負しているところがある彼らだが、その彼らを監視する役目がないのは怖い。彼らの影響力は絶大だから。
 まあ色々、難しいのだろうけど。債券の格付けも、あまり額面通りに受け取らなくてもいい、みたいな話もあるし。
 客観的な報道、バランスのとれた報道、速報性、娯楽性、わかりやすさ(のための省略・簡略化)、誤報へのフォロー、などなどそれらをどう評価するのか。
 謝謝台湾計画はどのように取り上げられるかな。
 真の友を大切にしたいね。
 無茶苦茶な反日国家よりもね。
 ここのところ何だかやる気が起きず、なぜだろうと思っていた。
 最近はひたすら眠たかったのだけど、先頃、ほぼ一日睡眠に充てたら多少快方に向かった。
 適度な食事、適度な睡眠、適度な運動、これ大事!
 と岡村隆史さんも言っていました。
 眠たいときは素直に寝た方が良いのかもしれないね。
「中学生大震災作文集」を読了したので、ブクログへ登録して感想を書きました。
http://booklog.jp/users/ore-tana

 非常にタイムリーな本だった。
 東北地方太平洋沖地震の被災地から連日伝えられる情報とまさに同じ、と言うようなものもあった。
 阪神大震災の頃、自分は小学4年か5年生。テレビが連日報道にジャックされて、退屈さしか感じなかった年齢だった。
 年齢のせいにはできないか。関心の薄い子供だったんだな。
 西で起きて、東で起きて、今度は真ん中しか残ってないよなあ。
 いつか来るとは思っているが、こういうのを見るとひやりとする。
 焦らすなあとも思うし、備えとけって事か、とも思う。
 タイムリーというと不適切かもしれないが、今度、阪神大震災を扱った映画「その街のこども」をシネマイーラに見に行こうと思っていて、それに備えて阪神大震災関連の本を一冊読んでいるところだった。
 去年も似たようなことがあった。映画「カティンの森」を観に行こうか迷って止めた後に、大統領を乗せ、「カティンの森事件」の追悼式典に向かうポーランド政府専用機が墜落するという惨事が起こった。
 なにかこう、繋がってるなあということがある。未来へのヒントみたいな物があって、それを見過ごすか、頭の片隅に留めておくか、ということが、意外と大きな分岐点になったりするのかも。
 2011年2月13日の中日新聞に「静岡発 こう読む」というコラム(?)が載っていた。それを読んでいまいちモヤモヤが晴れないため、なぜなのか検討してみたいと思う。
 以下、大雑把に段落に分けて番号を行頭に記し、改行してスペースを空けている。
文明を測るテスト 津富宏
①日本には死刑がある。民主主義国家で死刑を実施しているのはわずか五カ国。そして、先進国(OECD加盟国)ではわずか二カ国。もう一カ国はアメリカだが、アメリカでも、十九州と連邦区は、死刑を廃止しているか実施していない。日本は、民主主義国家や先進国における孤児である。

②死刑廃止の先進地域のヨーロッパで、死刑が廃止されたのは遠い昔ではない。英仏独の三カ国の死刑廃止はいずれも、第二次大戦後である。この中では、ドイツが最も早く、大戦直後の1949年に廃止している。

③それはなぜか。
 ナチスによるユダヤ人虐殺を経験したからである。国家が、マイノリティーを抹殺する存在となりうるということを知ったドイツは、国家の手から、死刑という刑罰を奪った。

④これらの国は、世論において、死刑支持派が反対派を上回っているときに、死刑を廃止した。ドイツでは廃止時点で死刑支持が55%、反対が30%、フランスでは支持が62%、反対が33%だった。世論の意志ではなく、議員の意思によって、死刑は廃止された。

⑤それはなぜか。
 ナチスは、圧倒的な市民の支持によって選ばれた政権であり、一般市民の意思に判断を委ねることがいかに残虐な国家をつくりうるかを、政治家が思い知り、マイノリティーを守ることが、政治家の使命であると悟ったからである。

⑥犯罪学の研究は、言論と思想の自由、結社の自由、法の支配、男女同権、婚姻の自由など、政治的な自由度がない国ほど、死刑を存置していることを見いだしている。中国やイランなど、代表的な死刑存置国には、このことが当てはまる。

⑦そして、もう一つの死刑存置国の日本では、首長選挙で、圧倒的マジョリティーを得た政治家が「民主主義の扉を開けた」と語る。僕は思う。
 マイノリティーが守られること。それが民主主義である。
 「犯罪と犯罪者の処遇に関する、市民の態度と感情は、一国の文明を測るもっとも確かなテストの一つである」(チャーチル、1910)。(静岡県立大准教授)

 この文章が言いたいことはつまり、
「民主主義とはマイノリティーが守られることである」

「国家はマイノリティーを抹殺する恐れがある」

「死刑制度はマイノリティーを抹殺する手段になりうる」

「だから民主主義国家である日本は死刑制度を廃止すべきだ」

 ということのなだろうと思う。そこで幾つか疑問が浮かぶ。
・死刑制度によって、マイノリティが殺されるのだろうか?
・そもそも、マイノリティとは誰を指しているのか?
・死刑制度は悪か?

 文章を振り返ってみたい。

 ①ではまず、民主主義国家、先進国において、死刑制度を設けているのはほぼ日本のみであるという旨が書かれている。
 ②ではヨーロッパ、特にドイツが死刑を廃止したことについて述べている。
 ③において、ドイツが死刑を廃止した理由が書かれている。ここではナチスのユダヤ人虐殺を持ち出して、「国家がマイノリティーを抹殺しうるということを知ったため、死刑制度を廃止した」としている。
 ここがまず疑問なのだ。死刑制度があったからマイノリティが殺されたのだろうか? 仮にこの時ドイツに死刑制度が無くても、ナチスが新たに制度として作り上げただろう。ユダヤ人虐殺はナチスという特異な支配体制による国家政策であり、はっきりとした人権無視、不条理な殺害がある。
 一方で、死刑制度はそれ単体では罪人を裁く刑罰の一つでしかない。適切な法律の下、独立した司法が、客観的な運営によって死刑を下したのならば、そこには問題はない(例外はあるかもしれないが)。
 つまり単純に死刑が悪、ということにはならないし、死刑があるからマイノリティが殺される、ということにもならない。むしろそういう国家体制に至ってしまうことが問題である。
 死刑制度とナチスによるユダヤ人虐殺を繋げているところに無理があるように思えるのだ。
 ④では、世論に反して、議員の意思で死刑が廃止された旨が書かれている。
 ⑤においてその理由が述べられる。ナチスは民意に選ばれた政権であり、民意が残虐な国家を作りうるため、マイノリティを守ることが政治家の使命だと悟ったためとある。
 ここではもはや民主主義を衆愚政治とみなして根本から否定している感さえある。そんなことを言い出したら、最終的には政治家が政治をするのであり、民意があろうと無かろうと、善政も悪政も起こりうるのだ。王道政治をしろと言うことかもしれないが、まあそれは置いておくとして。
 ところで、この書き手の言うマイノリティとは一体誰なのか、ということが疑問として浮かぶ。個人的には、文章中におけるその言葉の使われ方に問題があると思う。
 というのも、ユダヤ人など一部の差別を受ける人間(マイノリティ)と、非道な犯罪者(マイノリティ)を一緒にしてしまっているからだ。 
 差別を受けている人については③のユダヤ人虐殺の件でマイノリティという言葉を使っているし、犯罪者をも指しているということは⑦の最後、チャーチルの引用で「犯罪と犯罪者の~」という部分を使っていることから間違いないと思う。
 ⑦で、書き手は「マイノリティーが守られることが民主主義である」としている。
 民主主義の定義にもよるが、マイノリティが守られるのは大いに結構。ただし先程も書いたように、被差別者への不当な弾圧(による殺害)と、罪人に適用する(適正な)死刑制度は別問題である。
 犯罪者をマイノリティとして一緒くたにしてしまうのはおかしい。人道上何も罪を犯していない人と、人道上の罪を犯した人が、同列に語られるのには無理がある。
 犯罪者の人権を無視しろと言うことではない。人権を尊重しつつ、犯した罪に対しての厳罰として死刑があったとしてもおかしくはないと言うことを言いたいのだ。
 以上のことから、民主主義国家や先進国において日本がいかに「孤児」であったとしても、別段恥じることはないし、死刑を廃止しなければいけない、ということにはならない。
 もし廃止しなければいけないというのならば、死刑が悪である根拠を示さなければいけない。
 文明を測るテストというが、その基準はなんなのか。基準があったとして、それが正しいのかどうか。
 何を罪として、罪を犯した人をいかなる刑罰に処すのか。それが正しいのかどうか。
 それらはまた別の方面で込み入った話になるし、今回は止めておこうと思う。

 とにかく今回は、上記のコラム(?)にいまいち合点がいかなかったので、自分なりに分析してみた次第。最終学歴が高等学校、それも落ちこぼれ学校の末席にいた人間の戯言ということで。

 余談。
 ⑥では自由のない国ほど(非民主的な国ほど)死刑制度が置かれているという主張が書かれている。しかしこの段落に書かれている物については、日本はほとんど保障されていると言っていいだろう。つまり今の日本には当てはまらない。なぜこの文章をここにもってきたのかいまいちよくわからない。もし書くとしても冒頭の方が読みやすいような気がするが。
 ニュースやドキュメンタリー番組などで、難病に罹っている人が、高額な薬に苦しんでいる様を放映しているときがある。
 そういう状態に対して、お金が続かなくて苦しい、もっと援助して欲しい、せっかく高度な技術で有効な薬が開発されたのに使えないのは理不尽だ、と言った意見が聞かれる。
 確かに言い分もわからなくもない。愛する人を失いたくないとか、もっと生きたいとか、苦しみから解放されたいとか、そういう感情は理解出来る。
 しかし別に理不尽ではない。ただ需要が少ないから(あるいはその他の要因によって)薬が高額であると言うだけだ。
 考えてみて欲しい、今という時代だからこそ、金を積めばある程度延命が出来るのだ。昔ならば対処できずにあっという間に死んでしまった病気でも、今ならばお金さえ払えば、多少は延命できる。その生きられる可能性が高まっただけでもありがたいことだと言える。
 そもそも、人は永遠に生きられるわけではない。薬を使用してもしなくても、いつかは死ぬのだ。少なくとも今の医療技術ではそうである。そうであるならば、問題は、いかに死ぬか、あるいは死ぬまでに何が出来るか、と言うことになってくる。
 人は必ず死ぬ。その死ぬまでに、なるべく悔いを無くして、これならばまあ死んでも良いと思える状態にして死ぬと言うことが重要になってくる。つまり、死ぬ準備をすると言うことだ。
 昔ならばその準備期間は少なかった。しかし今という時代だからこそ、お金さえ払えば、多少は延命できる。その期間を使っていかに準備をするか、いかに残った問題を処理するか、と言う風に考えることが、建設的だろう。
 もっと言うならば、普段からそういう考えをもっているべきなのだ。人間なんていつ死ぬかわからない、と言う考えさえあれば、死ぬまでの準備もある程度整えるだろうし、死が自然の摂理であると理解して、執着しすぎることもない。あるいは長く生きたいと思えば、健康に気を遣って生活したりするわけだ(それで必ず生きられるわけではないが、可能性は増す)。
 本を読むとき、今までは、「読むからにはその内容を100%身につけなければ意味がない」と考えていた。でもこれじゃ回らない。
 これからはその本の重要な部分(主旨、主張)と、個人的に興味の湧く部分を中心に読んでいこうと思う。それ以外は目は通すが、執着はしない。
 ただし、その本のどのあたりに何が書かれていたか、と言うことはぼんやりと覚えておくこととする。
 後々必要になったときに、引くためだ。必要になったときに、その部分をじっくりと読めばいい。

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