10年8月7日の日記。フラットにして。
2010年8月7日 映画 映画の「サマーウォーズ」と「ハゲタカ」がテレビでやっていたので、久し振りに(1年振りに)見た。
両方とも特別に編集された物だった。ちょこちょこカットされていた。
「サマーウォーズ」の方は、こうしてみると改めて、きちんと構成されていたんだなと思う。どこもきちんと伏線や動機付けになっている。だからオリジナル版を見ていると、どこをカットされても気になってしまう。少なくとも自分は気になった。
そもそもオリジナルの上映時間の時点で、描き切れていない部分があるように感じていたので、尚更だろうな。ただ、最初に見たときにいまいちと感じていた部分で、見直してみたらちゃんと書いてあるなあと思えたりもして、そこは発見だった。
「ハゲタカ」の方は、むしろ編集されていたことで見やすくなっていたように感じた。やっぱり当時、リーマンショック後に世間がドタバタした中で書き直された脚本に問題があったんだと思う。
見やすくはなっていたけど、それでもまだ流れを止めるような構成になっていたり、勢いが止まってしまったりと、編集だけではどうにもならない部分もあった。様に感じた。個人的な意見です。
それでも最後には一応感動できた。これは当時見たとき以上の感動だった。編集が良かったと言うこともあるだろうし、当時と今とでは見方が違っているのだと思う。
つまり、映画を観るときに、「この映画はこういう風に楽しませてくれるに違いない」と思いこんで見てしまい、実際その通りにならないと不満に思ってしまっていたのかも知れない。
そういう意味で、これからは映画を観る前に、なるべく頭をフラットにして見よう、と思った次第です。
両方とも特別に編集された物だった。ちょこちょこカットされていた。
「サマーウォーズ」の方は、こうしてみると改めて、きちんと構成されていたんだなと思う。どこもきちんと伏線や動機付けになっている。だからオリジナル版を見ていると、どこをカットされても気になってしまう。少なくとも自分は気になった。
そもそもオリジナルの上映時間の時点で、描き切れていない部分があるように感じていたので、尚更だろうな。ただ、最初に見たときにいまいちと感じていた部分で、見直してみたらちゃんと書いてあるなあと思えたりもして、そこは発見だった。
「ハゲタカ」の方は、むしろ編集されていたことで見やすくなっていたように感じた。やっぱり当時、リーマンショック後に世間がドタバタした中で書き直された脚本に問題があったんだと思う。
見やすくはなっていたけど、それでもまだ流れを止めるような構成になっていたり、勢いが止まってしまったりと、編集だけではどうにもならない部分もあった。様に感じた。個人的な意見です。
それでも最後には一応感動できた。これは当時見たとき以上の感動だった。編集が良かったと言うこともあるだろうし、当時と今とでは見方が違っているのだと思う。
つまり、映画を観るときに、「この映画はこういう風に楽しませてくれるに違いない」と思いこんで見てしまい、実際その通りにならないと不満に思ってしまっていたのかも知れない。
そういう意味で、これからは映画を観る前に、なるべく頭をフラットにして見よう、と思った次第です。
10年7月20日の日記。真夏に凍えそうな映画を観た。
2010年7月20日 映画「アイガー北壁」という映画を観てきました。素晴らしかった。
浜松では7月23日までです。シネマe~ra.で上映してます。是非。
浜松以外の方でも、どこかで観られる機会があれば、是非。
感想は果てしなく先になるかも。
でもこれまでを反省して、帰って来てからノートに簡潔に覚え書きをとったから。
浜松では7月23日までです。シネマe~ra.で上映してます。是非。
浜松以外の方でも、どこかで観られる機会があれば、是非。
感想は果てしなく先になるかも。
でもこれまでを反省して、帰って来てからノートに簡潔に覚え書きをとったから。
アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~ の感想。
2010年2月12日 映画 2月5日に観た「アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~」の感想をば。
(ネタバレ注意)
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・筋
80年代半ば、その後に名を馳せる数々のバンドと共演し評価された「アンヴィル」というバンドがあった。しかし他のバンドは次々売れていく中、アンヴィルだけが売れなかった。
それから30年近くの歳月が経ち、まだ「アンヴィル」は存在していた。
働いて収入を得ながら、細々と、しかし確実に彼らは活動を続けていたのだ。
彼らの日常、トラブルだらけのツアーやレコーディング風景、家族や本人達へのインタビューを交えながら、彼らの過去と今を描き、未来を見据えた作りのドキュメンタリー映画となっている。
-----------------------------------------------------------------
・切り口
~幸福の見える角度~
あらゆる出来事は多面的なのだと思う。
自分の前に起こった出来事は単なる出来事として、それ以上でもそれ以下でもないのだろうけど、それを見る角度、つまり考え方や、どういった感情を持つかで、その出来事の価値が決まってくる。
例えば楽しみにしていた行事があり、出かけようとしたのだけど雨が降って行けなくなってしまった、と言う場合。
確かにそれは残念なことだし悲しいことだけど、別の見方をすれば、誰かが(神様が)行くのは止めておけと言っているのかもしれない、と受け止めることも出来る。悪いことが起こるから、と。
あるいは、家でやり残したことを消化できるいい機会だとも考えられる。
周囲がどう見るか、どう評価するかは一つの評価基準だけれど、少なくとも自分自身が納得できる見方、と言う物があるはずだ。
それは場合によっては逃避として見られてしまうかも知れない。確かに表裏一体とも言える。しかし、納得できないことだらけの人生なんて、楽しいだろうか?
物事の考え方一つで、自分の今置かれている状況や目の前で起こった出来事に対する価値が変わってくるのだ。
アンヴィルのボーカル・ギターであるリップスは、悪いこと、望まないことが起こる度に、物事をプラスに転換して見ている。
彼にも辛いことはあるだろうし、悲観したくなることもあるだろうが、基本的には楽観している。一種の諦観に近い物がある。その表情は明るく子供のように無邪気で、彼の内面が滲み出ているようにも見える。
そんな彼だからこそ売れないバンドを30年も続けられるのだろうし、彼に付いてくる友人や家族がいるのだろう。
周りから見れば彼らは一種の負け犬なのかも知れないが、彼ら(と言うかリップス)はどこかにささやかな満足感を秘めている。
そして、現状以上の状況が訪れる期待を諦めてはいないのだ。
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・趣向
ドキュメンタリーと言うことで、彼らの略歴や周囲の人間、そして本人達へのインタビューを交えながら、基本的には取材期間中の彼らの活動を追った物となっている。
全体の構成は見ていて非常にわかりやすく作られているし、また飽きられないようにとユーモア溢れる見せ方や、シリアスな見せ方など、場面場面に応じてきっちりメリハリをつけている。ちょっとドキュメントとしては演出過多かなと思える部分もなきにしもあらずだが……(^^;
そもそもの彼らの境遇も相まって、全体的に笑えて泣けて考えさせられる、起伏に富んだ映画となっている。
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・個人的感想
アンヴィルの中心であるリップスとロブはカナダ出身らしい。と言うことは彼らの家族もカナダと言うことになるのだけど、確かに何か、アメリカとは違うのだ。
カナダに対する勝手なイメージなのだけど、どこか優しさや愛情が感じられる。情感に繊細さが織り込まれているというか。
元々リップス自体、メタルをやっていると言っても育ちは良かったようで、人間的に節度を持っている。
家計は決して楽ではないはずだが、彼らの家族の目は温かい。何というか、みんなウェットな感じだ。
彼らの周囲だけそうなのか、はたまた社会全体の傾向がそうなのかはわからないが、そんな感じがした。
見ていて辛い描写もあるのだけど、それでも、今何か将来に対する不安を抱えている人が見てみれば、元気を貰えるような、そんな映画だと思う。
思わぬ形で(知っている人は知っているんだろうけど)日本が関わっていることには驚いた。と同時に、興奮した。
良い映画でした。
(ネタバレ注意)
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・筋
80年代半ば、その後に名を馳せる数々のバンドと共演し評価された「アンヴィル」というバンドがあった。しかし他のバンドは次々売れていく中、アンヴィルだけが売れなかった。
それから30年近くの歳月が経ち、まだ「アンヴィル」は存在していた。
働いて収入を得ながら、細々と、しかし確実に彼らは活動を続けていたのだ。
彼らの日常、トラブルだらけのツアーやレコーディング風景、家族や本人達へのインタビューを交えながら、彼らの過去と今を描き、未来を見据えた作りのドキュメンタリー映画となっている。
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・切り口
~幸福の見える角度~
あらゆる出来事は多面的なのだと思う。
自分の前に起こった出来事は単なる出来事として、それ以上でもそれ以下でもないのだろうけど、それを見る角度、つまり考え方や、どういった感情を持つかで、その出来事の価値が決まってくる。
例えば楽しみにしていた行事があり、出かけようとしたのだけど雨が降って行けなくなってしまった、と言う場合。
確かにそれは残念なことだし悲しいことだけど、別の見方をすれば、誰かが(神様が)行くのは止めておけと言っているのかもしれない、と受け止めることも出来る。悪いことが起こるから、と。
あるいは、家でやり残したことを消化できるいい機会だとも考えられる。
周囲がどう見るか、どう評価するかは一つの評価基準だけれど、少なくとも自分自身が納得できる見方、と言う物があるはずだ。
それは場合によっては逃避として見られてしまうかも知れない。確かに表裏一体とも言える。しかし、納得できないことだらけの人生なんて、楽しいだろうか?
物事の考え方一つで、自分の今置かれている状況や目の前で起こった出来事に対する価値が変わってくるのだ。
アンヴィルのボーカル・ギターであるリップスは、悪いこと、望まないことが起こる度に、物事をプラスに転換して見ている。
彼にも辛いことはあるだろうし、悲観したくなることもあるだろうが、基本的には楽観している。一種の諦観に近い物がある。その表情は明るく子供のように無邪気で、彼の内面が滲み出ているようにも見える。
そんな彼だからこそ売れないバンドを30年も続けられるのだろうし、彼に付いてくる友人や家族がいるのだろう。
周りから見れば彼らは一種の負け犬なのかも知れないが、彼ら(と言うかリップス)はどこかにささやかな満足感を秘めている。
そして、現状以上の状況が訪れる期待を諦めてはいないのだ。
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・趣向
ドキュメンタリーと言うことで、彼らの略歴や周囲の人間、そして本人達へのインタビューを交えながら、基本的には取材期間中の彼らの活動を追った物となっている。
全体の構成は見ていて非常にわかりやすく作られているし、また飽きられないようにとユーモア溢れる見せ方や、シリアスな見せ方など、場面場面に応じてきっちりメリハリをつけている。ちょっとドキュメントとしては演出過多かなと思える部分もなきにしもあらずだが……(^^;
そもそもの彼らの境遇も相まって、全体的に笑えて泣けて考えさせられる、起伏に富んだ映画となっている。
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・個人的感想
アンヴィルの中心であるリップスとロブはカナダ出身らしい。と言うことは彼らの家族もカナダと言うことになるのだけど、確かに何か、アメリカとは違うのだ。
カナダに対する勝手なイメージなのだけど、どこか優しさや愛情が感じられる。情感に繊細さが織り込まれているというか。
元々リップス自体、メタルをやっていると言っても育ちは良かったようで、人間的に節度を持っている。
家計は決して楽ではないはずだが、彼らの家族の目は温かい。何というか、みんなウェットな感じだ。
彼らの周囲だけそうなのか、はたまた社会全体の傾向がそうなのかはわからないが、そんな感じがした。
見ていて辛い描写もあるのだけど、それでも、今何か将来に対する不安を抱えている人が見てみれば、元気を貰えるような、そんな映画だと思う。
思わぬ形で(知っている人は知っているんだろうけど)日本が関わっていることには驚いた。と同時に、興奮した。
良い映画でした。
パラノーマル・アクティビティ の感想
2010年2月11日 映画 2月1日に鑑賞した「パラノーマル・アクティビティ」という映画についての感想。
(ネタバレ注意)
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・筋
同棲を始めた若いカップルのミカ(男)とケイティ(女)は、夜中に自宅で異変が起こっていることに気付く。
機械好きのミカはそれを確かめようとカメラを購入し、日常を撮影。夜には二人が眠る寝室にセットするのだった。
朝起きて確認すると確かに不審な現象が映っている。最初は超常現象に懐疑的だったミカの気持ちにも変化が起き始め、事態を解明しようと躍起になっていく。
カメラに映る不可思議な現象は日毎に頻度や妖しさを増し、危険を感じたケイティはミカに撮影の中止を訴えるが、彼はきかない。
エスカレートしていく事態に二人が命の危機を感じ始め、そして……。
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・切り口
~目に見える恐怖と、目に見えない恐怖~
人は「わからないこと」、「理解出来ないこと」に対して不安や恐怖を感じる。正体が不明であるから、合理的な対処の仕方がわからないのだ。これらは生物が生き残ってくる過程で獲得してきた仕組みと言えるのかも知れない。
しかし人間は脳が発達したことにより、あれこれと考えることを止められなかった。そのため昔から、人知では計れない出来事に対して、その時点で考え得る事柄をあてはめたり、想像したりして人間は対処してきた。そういった物の中に、神や悪魔や妖怪と言った物が含まれているのである。
何か理解出来ないことが起これば、それは彼らの仕業であると考えられた。そして、そういった超常的な出来事に対して人が出来ることはほとんどなかった。ただ祈ったり、特別な力を持つ存在に頼ったり、生け贄を差し出したり、時には諦観を持ってやり過ごしてきたのだ。
ところが近年、人間は飛躍的に科学と文明を発展させた。その事により、今まで超自然的とされてきたことが、実は別に何の変哲もない、ただの自然現象であるとわかってきてしまったのである。
人は現段階で科学的に確かめられていない事柄、気持ちや感情の繋がり、物事の因果など、アバウトでつかみ所のない物を、胡散臭いものとして昔よりも遠ざけてしまったように思える。
例えば、「人のことを悪く思うと、自分にそれが返ってくる」という考え方があったとする。一見すると根拠がないのだが、好意の返報性だとか、感情と表情(や態度)の関連など、連関してくる研究によって説明できないことはない。
こういった感情などに絡んでくることは、状況や被験者の設定や環境など、変化や項目が多岐にわたるためなかなか研究しづらいとは思う。また、日常生活において、そういった物はなかなか目に見えないから、あまりリアリティを持つことも出来ないのだ。
感情や気持ちが与える影響を語ると、ともすれば日本では神秘主義と関連付けてみられることもある。無批判に受け入れてしまう人の中には神秘主義に没入していく人もいるとは思う。それはお勧めできないのだけど、決して非現実的で、超常的ではない作用が日常の中に溢れているのだと考えることが出来れば、普段の出来事に対する見方も変わってくるのではないだろうか。
それらはなかなか、コントロールすることが難しい。だから、自分の力を過信せず、謙虚な気持ちを持って行動できる。
本作の登場人物であるミカは、機械好きで、自立心、自負心に富んでいる。そして現実的だ。
最初は超常現象をバカにしていたが、カメラにそれらが認められると、一転して真剣に向き合うようになる。
ただ彼に問題があったとすれば、自負心が強すぎたのだ。
自分の住む家で起こっている現象を解決し、彼女を守るのは自分だという強い義務感は一種の英雄のようにも見えるが、地力や状況を見誤っていればただの無謀な挑戦でしかない。
目に見えない相手であったことが彼の判断を誤らせたのだろうか。「自分の力で何とかする(出来る)」という彼の決意が、惨劇を増幅させることになる。
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・趣向
超低予算ながら全米で観客動員1位を記録し、あのスピルバーグをして「リメイク不可能だからそのまま放映しちゃいなよ」と言わしめたという映画。
作品の作りとしては、全編、登場人物の回していたカメラの映像を編集したものと言うことで、色々な面で「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を思わせる。(2作目が転けたらまんま)
最初はちょっとした怪奇現象が、だんだんエスカレートしていくという内容。
予算が少ないため、ハリウッド的な大がかりな映像表現はほとんどない。つまり、どちらかというと日本のホラーのように、心理的にじわじわと追い詰めていくタイプの映画。
ヒントはあるが、出来事の真実がなんなのかは具体的に語られない。終わり方も決して後味の良いものとは言えないため、モヤモヤを残したくないという人には向かないかも知れない。(個人的には刺激的だったし、色々考えた)
話の筋としては一種の悲劇なのだけど、一応破綻はないと思う。場所ではなく人について回るため、超常現象から簡単に逃げられないと言うことになっている。ミカの行動に疑問を持つ人は出て来るだろうけど、彼の性格を受け入れることが出来れば問題なく見られそう。
ただ一つ、専門家の件で、頼れる人は他にいなかったのか、と言うことが挙げられる。が、劇中で専門家に頼っても無理なのでは? と思わせる描写もあり、そういう意味で助かるための希望がひとつひとつ消されていくという点で、恐怖感を煽っている。
「ブレア・ウィッチ~」にしても本作にしても、以前どこかで日本のホラー映画の影響を受けているというようなことをチラ見したことがある。
実際どうなのかはわからないが、作中、それを思わせるようなシーンが散見された。
また、登場人物等に指摘されない怪奇現象もあるので、それらも合わせて「このシーンはもしかしたら」と探りながら見るのも面白いかも知れない。
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・個人的感想
映画のラストが衝撃的であり、その後低予算映画のためかスタッフロールが流れない。しばらく黒い画面が続くのだけど、その時に、劇中、怪奇現象が起こる際に発生する重低音が流れ続けている。
暗い館内と同居して、まさに今そこに「奴」がいるのかと言う感じにさせてくれたのが良かった。
説明があまりないため、考えるのが面倒という人には向かないのかも知れないが、個人的には「あれはああなのか?」とか色々考えられて面白かった。
まあそもそも、そんなに難しい見せ方ではないと思うけど。
また、個人的にはネトラレ(NTR)映画としても楽しめた(笑
ネトラレ属性のある人は、想像力をフルに発揮すればそういう意味でも楽しめそう。
女性にとっては、ストーカー被害的な恐怖を味わえる映画とも言える。一人の女を賭けた、男同士の(嫉妬やプライドによる)争いとも言えるわけだ。
(ネタバレ注意)
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・筋
同棲を始めた若いカップルのミカ(男)とケイティ(女)は、夜中に自宅で異変が起こっていることに気付く。
機械好きのミカはそれを確かめようとカメラを購入し、日常を撮影。夜には二人が眠る寝室にセットするのだった。
朝起きて確認すると確かに不審な現象が映っている。最初は超常現象に懐疑的だったミカの気持ちにも変化が起き始め、事態を解明しようと躍起になっていく。
カメラに映る不可思議な現象は日毎に頻度や妖しさを増し、危険を感じたケイティはミカに撮影の中止を訴えるが、彼はきかない。
エスカレートしていく事態に二人が命の危機を感じ始め、そして……。
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・切り口
~目に見える恐怖と、目に見えない恐怖~
人は「わからないこと」、「理解出来ないこと」に対して不安や恐怖を感じる。正体が不明であるから、合理的な対処の仕方がわからないのだ。これらは生物が生き残ってくる過程で獲得してきた仕組みと言えるのかも知れない。
しかし人間は脳が発達したことにより、あれこれと考えることを止められなかった。そのため昔から、人知では計れない出来事に対して、その時点で考え得る事柄をあてはめたり、想像したりして人間は対処してきた。そういった物の中に、神や悪魔や妖怪と言った物が含まれているのである。
何か理解出来ないことが起これば、それは彼らの仕業であると考えられた。そして、そういった超常的な出来事に対して人が出来ることはほとんどなかった。ただ祈ったり、特別な力を持つ存在に頼ったり、生け贄を差し出したり、時には諦観を持ってやり過ごしてきたのだ。
ところが近年、人間は飛躍的に科学と文明を発展させた。その事により、今まで超自然的とされてきたことが、実は別に何の変哲もない、ただの自然現象であるとわかってきてしまったのである。
人は現段階で科学的に確かめられていない事柄、気持ちや感情の繋がり、物事の因果など、アバウトでつかみ所のない物を、胡散臭いものとして昔よりも遠ざけてしまったように思える。
例えば、「人のことを悪く思うと、自分にそれが返ってくる」という考え方があったとする。一見すると根拠がないのだが、好意の返報性だとか、感情と表情(や態度)の関連など、連関してくる研究によって説明できないことはない。
こういった感情などに絡んでくることは、状況や被験者の設定や環境など、変化や項目が多岐にわたるためなかなか研究しづらいとは思う。また、日常生活において、そういった物はなかなか目に見えないから、あまりリアリティを持つことも出来ないのだ。
感情や気持ちが与える影響を語ると、ともすれば日本では神秘主義と関連付けてみられることもある。無批判に受け入れてしまう人の中には神秘主義に没入していく人もいるとは思う。それはお勧めできないのだけど、決して非現実的で、超常的ではない作用が日常の中に溢れているのだと考えることが出来れば、普段の出来事に対する見方も変わってくるのではないだろうか。
それらはなかなか、コントロールすることが難しい。だから、自分の力を過信せず、謙虚な気持ちを持って行動できる。
本作の登場人物であるミカは、機械好きで、自立心、自負心に富んでいる。そして現実的だ。
最初は超常現象をバカにしていたが、カメラにそれらが認められると、一転して真剣に向き合うようになる。
ただ彼に問題があったとすれば、自負心が強すぎたのだ。
自分の住む家で起こっている現象を解決し、彼女を守るのは自分だという強い義務感は一種の英雄のようにも見えるが、地力や状況を見誤っていればただの無謀な挑戦でしかない。
目に見えない相手であったことが彼の判断を誤らせたのだろうか。「自分の力で何とかする(出来る)」という彼の決意が、惨劇を増幅させることになる。
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・趣向
超低予算ながら全米で観客動員1位を記録し、あのスピルバーグをして「リメイク不可能だからそのまま放映しちゃいなよ」と言わしめたという映画。
作品の作りとしては、全編、登場人物の回していたカメラの映像を編集したものと言うことで、色々な面で「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を思わせる。(2作目が転けたらまんま)
最初はちょっとした怪奇現象が、だんだんエスカレートしていくという内容。
予算が少ないため、ハリウッド的な大がかりな映像表現はほとんどない。つまり、どちらかというと日本のホラーのように、心理的にじわじわと追い詰めていくタイプの映画。
ヒントはあるが、出来事の真実がなんなのかは具体的に語られない。終わり方も決して後味の良いものとは言えないため、モヤモヤを残したくないという人には向かないかも知れない。(個人的には刺激的だったし、色々考えた)
話の筋としては一種の悲劇なのだけど、一応破綻はないと思う。場所ではなく人について回るため、超常現象から簡単に逃げられないと言うことになっている。ミカの行動に疑問を持つ人は出て来るだろうけど、彼の性格を受け入れることが出来れば問題なく見られそう。
ただ一つ、専門家の件で、頼れる人は他にいなかったのか、と言うことが挙げられる。が、劇中で専門家に頼っても無理なのでは? と思わせる描写もあり、そういう意味で助かるための希望がひとつひとつ消されていくという点で、恐怖感を煽っている。
「ブレア・ウィッチ~」にしても本作にしても、以前どこかで日本のホラー映画の影響を受けているというようなことをチラ見したことがある。
実際どうなのかはわからないが、作中、それを思わせるようなシーンが散見された。
また、登場人物等に指摘されない怪奇現象もあるので、それらも合わせて「このシーンはもしかしたら」と探りながら見るのも面白いかも知れない。
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・個人的感想
映画のラストが衝撃的であり、その後低予算映画のためかスタッフロールが流れない。しばらく黒い画面が続くのだけど、その時に、劇中、怪奇現象が起こる際に発生する重低音が流れ続けている。
暗い館内と同居して、まさに今そこに「奴」がいるのかと言う感じにさせてくれたのが良かった。
説明があまりないため、考えるのが面倒という人には向かないのかも知れないが、個人的には「あれはああなのか?」とか色々考えられて面白かった。
まあそもそも、そんなに難しい見せ方ではないと思うけど。
また、個人的にはネトラレ(NTR)映画としても楽しめた(笑
ネトラレ属性のある人は、想像力をフルに発揮すればそういう意味でも楽しめそう。
女性にとっては、ストーカー被害的な恐怖を味わえる映画とも言える。一人の女を賭けた、男同士の(嫉妬やプライドによる)争いとも言えるわけだ。
リミッツ・オブ・コントロール
2010年1月30日 映画「リミッツ・オブ・コントロール」について。
途中で寝てしまったので、参考記録。(ネタバレ注意)
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スーツを着たスマートな黒人男性が主人公。無口で骨張った顔は無表情。
彼はある任務を達するため、仲間からマッチ箱(とその中に入っている暗号その他諸々)を引き受け、次々と受け渡しを繰り返していく。
出会う人物達は男にそれぞれの興味関心を話していく。
この時の話の内容(あるいは見聞きするもの)は絵画や音楽、セックスや映画など、芸術や世俗的な事柄、心や肉体の感動を催すものばかり。
男自身は太極拳のような物を行っていた。
後半のほとんどを寝てしまっていて見ていないので何とも言えないが、たぶん芸術やスポーツなど、心の豊かさを呼び起こすものと、そうでないものとの対立を、暗喩的に描いた映画なのだと思う。
基本的に男はほとんど喋らないため、全体を通してセリフは少なめ。別の人物が出てきて、観念的で示唆的で哲学的なセリフを吐いていく。あるいは、そういった映像が、アンニュイな音楽と共に流れる。
全体として話に抑揚があまりない上に、意味があるのかないのかわからないようなセリフや映像ばかりで、正直眠気と退屈さを抑えることが出来なかった。
なんとなく言いたいことはわかるのだけど、この作りには堪えられなかった。
自分にはやはり、ポップさがないとダメだと言うことがわかった。
途中で寝てしまったので、参考記録。(ネタバレ注意)
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スーツを着たスマートな黒人男性が主人公。無口で骨張った顔は無表情。
彼はある任務を達するため、仲間からマッチ箱(とその中に入っている暗号その他諸々)を引き受け、次々と受け渡しを繰り返していく。
出会う人物達は男にそれぞれの興味関心を話していく。
この時の話の内容(あるいは見聞きするもの)は絵画や音楽、セックスや映画など、芸術や世俗的な事柄、心や肉体の感動を催すものばかり。
男自身は太極拳のような物を行っていた。
後半のほとんどを寝てしまっていて見ていないので何とも言えないが、たぶん芸術やスポーツなど、心の豊かさを呼び起こすものと、そうでないものとの対立を、暗喩的に描いた映画なのだと思う。
基本的に男はほとんど喋らないため、全体を通してセリフは少なめ。別の人物が出てきて、観念的で示唆的で哲学的なセリフを吐いていく。あるいは、そういった映像が、アンニュイな音楽と共に流れる。
全体として話に抑揚があまりない上に、意味があるのかないのかわからないようなセリフや映像ばかりで、正直眠気と退屈さを抑えることが出来なかった。
なんとなく言いたいことはわかるのだけど、この作りには堪えられなかった。
自分にはやはり、ポップさがないとダメだと言うことがわかった。
キャピタリズム~マネーは踊る~
2010年1月25日 映画「キャピタリズム~マネーは踊る~」を1月14日に鑑賞してきましたので、感想を書きたいと思います。
(ネタバレ注意)
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・筋
企業、あるいは一部の特権階級者達による、従業員、もっと言えば平民達からの搾取の実態を、合衆国の歴史や個人レベルへのインタビュー、そしてあのリーマンショックの中心となった金融関係への取材など、様々な角度から捉えていく。
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・切り口
キャピタリズムとは資本主義のことだ。
この映画のテーマは資本主義というシステムその物。今手元の辞書で調べたところによると、資本主義とは曰く「資本家が利益追求のために労働者を使用し生産を行う経済組織」とのこと。
学がないので細かいことはわからないが、資本主義というのは一部の人間に富が集中しやすく、それ以外の多数の人間と格差が生まれやすい構造なのだろう。
もちろん、文明国として、国民を生活の困窮から救い、皆が並みの生活を送れるように政治が調整するのだろうけど、では政治の舵取りが間違ったらどうなるのか?
それが今回のサブプライムローンに関連する大不況に繋がることになる。
政治家とウォール街の人間が親しくなり、あるいは政治にウォール街の人間が入り込むことで、金融関係の規制緩和が進んだ。
そこでは暴利を得るために複雑な金融商品が作られ、売られ、泡が弾けると税金の投入で勝ち逃げする。
片やダシにされた多くの労働者や一般消費者は給料を減らされ、解雇され、住む家を終われるという事態に陥る。
日本はどちらかというと社会主義的な資本主義を戦後の長い間行っていたのではないだろうか。アメリカはイメージとしてはより資本主義に特化しているように思う。それでも昔は中間層がいた。
ところが今は中間層がいない。富める者と、貧する者の二極化だという。日本もまた、似たような状況に、近年なってきたように報道されている。
マイケル・ムーアは、実際のところわからないが、別に今更共産主義、社会主義にすべきだと言っているわけではないのだろう。
そうではなく、資本主義とはそういった危険性の伴うものであり、うまく監視し、操縦しなければいけないのだと考えているのではないか。
金や権力を持った人間達に言われるままになるのではなく、一部の人間の搾取に多くの人民で声を上げ対抗していく必要があるのだと。
その大きな一つが、最後に希望のように映し出された、オバマ大統領の映像だろう。
選挙という手段で、国民が自らの手で政治を変えられるのだというメッセージだ。
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・趣向
マイケル・ムーアらしく随所にユーモアが散りばめられている。そこは面白く見られるようになっているが、扱われている問題が問題なだけに、少々難しさはある。
もちろん、理解しやすいように工夫はされていると思うが、情報量も多いため、人によっては字幕を追うので精一杯と言うこともあるだろう(自分がそうだった)。
作りとしてはドキュメンタリーなのだけど、果たしてこれを全部そのまま鵜呑みにして良いかと言えば少し違う気がする。
ドキュメンタリーの形態にも色々あると思うが、彼のドキュメンタリーというのは極めてメッセージ性や、主張が強い。
もちろん色々彼自身調べているとは思うが、最終的に辿り着いた彼の結論がありきで、その主張を強化するために様々な要素を映画の中に継ぎ接ぎで入れていく。
どんなドキュメンタリーでもほとんどは最初の時点でどういった物を撮るのかということが考えられ、構成されて作られていく。現実を映してはいるが、一種の作られた物語でもあるのだ。
この映画の場合はそのストーリー性が非常に強いように思える。何というか、理科の実験で使う漏斗(ろうと)のようなのだ。多くの客観的な立場や視点から捉えるという感じではない。あくまで、搾取する側の悪を暴こうとした内容だ。
(最も、本当に弁解の余地がないくらい悪が悪であるならば致し方ないことなのだが)
終盤に金融関係の建物周辺にkeep outのテープを巻いていくが、ユーモア半分、パフォーマンスと演出半分と言った感じだった。
テンポは良いからどんどん前へ進んでいく。
どんな人でも、とりあえず見終わった後、ある程度の「何か凄い物を観た」という感じを味わえるのではないかと思う。
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・個人的感想
正直本当に、思い返しても映画の内容の細部を思い出せない。それくらい字幕を読むことに必死だった記憶がある。
ただ漠然と全体としての印象は残っている。見終わった後、興奮は胸の内にあった。ドキュメンタリーだけど、エンターテインメントとして充分楽しめる作品であることに間違いはないと思う。
ただ自分のおつむでは、2,3度見ないとハッキリとはわからないのだ。テンポが良いから、考えてる暇がなかった。
……とは言え、今回書いたことは必ずしも間違ってはいないと思うのだけど。
この映画を観ていると、確かに、金融の仕事をしている人達が、自分の(あるいは一般市民にとって)生活にとってどんな利益をもたらしてくれるのかいまいちわからなくなってくる。
一部の間で金がぐるぐる回っているような。もちろん、うまく制御されれば充分市民の利益に貢献するのだろうけど。
バイアスがあったとしても、強く意識を刺激するような、そんな効果はあると思う。
日本のテレビにも質の良いドキュメンタリー番組はあるが、マイケル・ムーアの手腕には賛辞を惜しまない。
(ネタバレ注意)
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・筋
企業、あるいは一部の特権階級者達による、従業員、もっと言えば平民達からの搾取の実態を、合衆国の歴史や個人レベルへのインタビュー、そしてあのリーマンショックの中心となった金融関係への取材など、様々な角度から捉えていく。
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・切り口
キャピタリズムとは資本主義のことだ。
この映画のテーマは資本主義というシステムその物。今手元の辞書で調べたところによると、資本主義とは曰く「資本家が利益追求のために労働者を使用し生産を行う経済組織」とのこと。
学がないので細かいことはわからないが、資本主義というのは一部の人間に富が集中しやすく、それ以外の多数の人間と格差が生まれやすい構造なのだろう。
もちろん、文明国として、国民を生活の困窮から救い、皆が並みの生活を送れるように政治が調整するのだろうけど、では政治の舵取りが間違ったらどうなるのか?
それが今回のサブプライムローンに関連する大不況に繋がることになる。
政治家とウォール街の人間が親しくなり、あるいは政治にウォール街の人間が入り込むことで、金融関係の規制緩和が進んだ。
そこでは暴利を得るために複雑な金融商品が作られ、売られ、泡が弾けると税金の投入で勝ち逃げする。
片やダシにされた多くの労働者や一般消費者は給料を減らされ、解雇され、住む家を終われるという事態に陥る。
日本はどちらかというと社会主義的な資本主義を戦後の長い間行っていたのではないだろうか。アメリカはイメージとしてはより資本主義に特化しているように思う。それでも昔は中間層がいた。
ところが今は中間層がいない。富める者と、貧する者の二極化だという。日本もまた、似たような状況に、近年なってきたように報道されている。
マイケル・ムーアは、実際のところわからないが、別に今更共産主義、社会主義にすべきだと言っているわけではないのだろう。
そうではなく、資本主義とはそういった危険性の伴うものであり、うまく監視し、操縦しなければいけないのだと考えているのではないか。
金や権力を持った人間達に言われるままになるのではなく、一部の人間の搾取に多くの人民で声を上げ対抗していく必要があるのだと。
その大きな一つが、最後に希望のように映し出された、オバマ大統領の映像だろう。
選挙という手段で、国民が自らの手で政治を変えられるのだというメッセージだ。
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・趣向
マイケル・ムーアらしく随所にユーモアが散りばめられている。そこは面白く見られるようになっているが、扱われている問題が問題なだけに、少々難しさはある。
もちろん、理解しやすいように工夫はされていると思うが、情報量も多いため、人によっては字幕を追うので精一杯と言うこともあるだろう(自分がそうだった)。
作りとしてはドキュメンタリーなのだけど、果たしてこれを全部そのまま鵜呑みにして良いかと言えば少し違う気がする。
ドキュメンタリーの形態にも色々あると思うが、彼のドキュメンタリーというのは極めてメッセージ性や、主張が強い。
もちろん色々彼自身調べているとは思うが、最終的に辿り着いた彼の結論がありきで、その主張を強化するために様々な要素を映画の中に継ぎ接ぎで入れていく。
どんなドキュメンタリーでもほとんどは最初の時点でどういった物を撮るのかということが考えられ、構成されて作られていく。現実を映してはいるが、一種の作られた物語でもあるのだ。
この映画の場合はそのストーリー性が非常に強いように思える。何というか、理科の実験で使う漏斗(ろうと)のようなのだ。多くの客観的な立場や視点から捉えるという感じではない。あくまで、搾取する側の悪を暴こうとした内容だ。
(最も、本当に弁解の余地がないくらい悪が悪であるならば致し方ないことなのだが)
終盤に金融関係の建物周辺にkeep outのテープを巻いていくが、ユーモア半分、パフォーマンスと演出半分と言った感じだった。
テンポは良いからどんどん前へ進んでいく。
どんな人でも、とりあえず見終わった後、ある程度の「何か凄い物を観た」という感じを味わえるのではないかと思う。
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・個人的感想
正直本当に、思い返しても映画の内容の細部を思い出せない。それくらい字幕を読むことに必死だった記憶がある。
ただ漠然と全体としての印象は残っている。見終わった後、興奮は胸の内にあった。ドキュメンタリーだけど、エンターテインメントとして充分楽しめる作品であることに間違いはないと思う。
ただ自分のおつむでは、2,3度見ないとハッキリとはわからないのだ。テンポが良いから、考えてる暇がなかった。
……とは言え、今回書いたことは必ずしも間違ってはいないと思うのだけど。
この映画を観ていると、確かに、金融の仕事をしている人達が、自分の(あるいは一般市民にとって)生活にとってどんな利益をもたらしてくれるのかいまいちわからなくなってくる。
一部の間で金がぐるぐる回っているような。もちろん、うまく制御されれば充分市民の利益に貢献するのだろうけど。
バイアスがあったとしても、強く意識を刺激するような、そんな効果はあると思う。
日本のテレビにも質の良いドキュメンタリー番組はあるが、マイケル・ムーアの手腕には賛辞を惜しまない。
ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない
2010年1月24日 映画 1月8日に「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」を観てきたので、感想をば。(ネタバレ注意)
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・筋
高校の頃にいじめにあって以来引きこもりとなった主人公。学校を中退し、家ではパソコンに向かう毎日。
母親の言葉と死によってついに社会復帰を目指すが、低学歴と空白期間で就職活動は難航する。
それでもようやく半年後に採用してもらうことになり、胸を高鳴らせて向かうのだが、なにやら社内の様子がおかしい。
無茶な仕事のスケジュール、ずさんな経理、理不尽な上司、情緒不安定の同僚、出来ない社員。
そこはチェック項目全てに合致する、ブラック会社だったのだ。
後がないという崖っぷちの状態で必死に耐え抜く主人公は、唯一の信頼できる先輩に助けられながら、少しずつ成長していく。
ところが、さらなる試練が彼を襲い……。
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・切り口
物質のエネルギーが高まるときは振動が伴う。高温、高エネルギーである物質ほど振動数が多くなり、それによって更に周囲の物質を振動させていく。
これは人間の心にも言えることだと思う。つまり、人の心や行動も周囲のエネルギーに感化されると言うことだ。
ブラック会社というのは、その振動がない、あるいはあっても内部で格差があったり、効率が著しく悪かったりするのだと思う。
主人公の属する会社では仕事が出来ない上に傲慢かつ不条理な権力を振りまく上司、同僚がいる。彼らは仕事をあまりしないが、その分を他の社員に回している。
押しつけられた側は上下関係や自身の首がかかっているため、断ることが出来ない。仕事をなんとしても達成しなければならない状況、状態なのだ。
物質が振動するとき、人の心が奮起するときと言うのは当然何かの作用があって起こることだ。やる気を起こす、力を発散すると言うことはエネルギーが要る。エネルギーを貰って、自分も行動できる。
ブラック会社では、崖っぷちに追い込まれることによって、切羽詰まった状態で無理矢理振動させられる。そこにエネルギーの供給はない。状況による焦りで、自分の内のエネルギーだけを燃焼させて仕事をこなす。
普通ならば、自分がエネルギーを発散すれば、その熱が周囲の人間を振動させて活気づかせることになるのだが、ブラック会社では周りとはある種隔絶されているため伝わらない。
立場が弱いため意見できないし、そもそも相手にやる気がない。時間もない。心の交流を図る余裕や環境がないのだ。
供給がなければ当然ガス欠が起こる。
精神的、肉体的に支障を来すわけだ。
一方で生産的な職場というのは個人個人にエネルギーが常に供給されている。それは社員達の心の交流がきちんと為されているということである。やり甲斐が保たれている。
助け合っているという感覚や実感がある。仲間達と一緒に頑張っているという気持ちが、自分を奮い立たせ、それがまた周囲に伝播していく。
主人公にとって、唯一の人格者である先輩が心の支えとなっていた。彼の存在が人間としての成長に大きく関わっていたのは間違いない。
その後、様々な逆境が襲いかかり、ついに限界を迎えた主人公は感情を同僚達に向かって爆発させる。
これが結果としては、その時の社内の状況を好転させるきっかけになった。人を繋ぎ、人を変えうる力を持つのが、人の心だと言うことだ。
もちろん実話とはいえ、これは上手くいったケースで、実際はなかなか悪い環境を好転させることは難しい。彼の元々の資質や性格、人柄、成長やそれまでの行動など、色々な事柄が加味されてのことだろう。
ただそれでもやはり、人を変え、自分を変えるのは紛れもなく、人のエネルギーだと言うこと。
人とぶつかると言うことは疲れるし、怖さもつきまとうが、それが何らかの形で人を震わせることにも繋がるのだ。
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・趣向
おそらく2チャンネルが絡んでいるのだろう、そこから本なども出されて、今回映画化されたという感じか。
監督は佐藤祐市で、過去にオタク要素を含んだ「キサラギ」なども監督している。未見だが、要するにそういった文化に理解のある人なのだろう。
映像表現はかなりポップ。デスマーチでは戦場で戦う映像を、ワキガにはわかりやすく矢印でニオイの進行を表現、相対する二人の出来る社員を孔明と周瑜に扮させるなど、楽しげで飽きさせないような映像表現が為されている。
原作を読んでいないので何とも言えないが、原作者のフィルターを通して描かれたキャラクターや世界観を、更に脚色してわかりやすくコミカルにされているように思う。
登場人物は親しみやすい俳優さんが起用されているように思う。
高圧的な上司が品川庄司の品川だったり、何やってるのかわからない社長が森本レオだったり。主人公に至ってはニートで引きこもりで陰気で、と言う負の要素がほとんど感じられない小池鉄平。顔が綺麗すぎる。
そもそもこの話、映像や脚本はポップでテンポ良く、要所にギャグやユーモアが散りばめられているので一見楽しげに見えるのだけど、実際はかなりシリアス。
コメディベースのシリアスではなくて、シリアスベースのコメディなのだ。
原作の良さを活かそうとか、観客層を見越してと言うこともあると思うけど、このシリアスな味を和らげ、且つ、いかに観客に上手く届けるかという点が、俳優の起用にも表れているように思う。
マニアックなネタや下請けIT企業の悲哀、人間模様など、ユーモアは散りばめられているから要所要所でクスリと笑える。ただ主人公の抱えている事や周囲との関係などから、心抉られる部分も多く、ちょっと泣きそうになってしまったところもあった。
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・個人的感想
個人的には最初から最後まで中ダレすることなく、泣いたり笑ったりと感動できた映画だった。
映画化されるのもよく分かるし、上手く映画化されているのだろうなとも言える。
映画を見終わったときには、今自分の勤めている環境の良さに感謝したくなってしまった。
今ブラック会社に勤めている人には、何かしら心の薬にはなるのかも知れない。
ごちそうさまでした!
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・筋
高校の頃にいじめにあって以来引きこもりとなった主人公。学校を中退し、家ではパソコンに向かう毎日。
母親の言葉と死によってついに社会復帰を目指すが、低学歴と空白期間で就職活動は難航する。
それでもようやく半年後に採用してもらうことになり、胸を高鳴らせて向かうのだが、なにやら社内の様子がおかしい。
無茶な仕事のスケジュール、ずさんな経理、理不尽な上司、情緒不安定の同僚、出来ない社員。
そこはチェック項目全てに合致する、ブラック会社だったのだ。
後がないという崖っぷちの状態で必死に耐え抜く主人公は、唯一の信頼できる先輩に助けられながら、少しずつ成長していく。
ところが、さらなる試練が彼を襲い……。
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・切り口
物質のエネルギーが高まるときは振動が伴う。高温、高エネルギーである物質ほど振動数が多くなり、それによって更に周囲の物質を振動させていく。
これは人間の心にも言えることだと思う。つまり、人の心や行動も周囲のエネルギーに感化されると言うことだ。
ブラック会社というのは、その振動がない、あるいはあっても内部で格差があったり、効率が著しく悪かったりするのだと思う。
主人公の属する会社では仕事が出来ない上に傲慢かつ不条理な権力を振りまく上司、同僚がいる。彼らは仕事をあまりしないが、その分を他の社員に回している。
押しつけられた側は上下関係や自身の首がかかっているため、断ることが出来ない。仕事をなんとしても達成しなければならない状況、状態なのだ。
物質が振動するとき、人の心が奮起するときと言うのは当然何かの作用があって起こることだ。やる気を起こす、力を発散すると言うことはエネルギーが要る。エネルギーを貰って、自分も行動できる。
ブラック会社では、崖っぷちに追い込まれることによって、切羽詰まった状態で無理矢理振動させられる。そこにエネルギーの供給はない。状況による焦りで、自分の内のエネルギーだけを燃焼させて仕事をこなす。
普通ならば、自分がエネルギーを発散すれば、その熱が周囲の人間を振動させて活気づかせることになるのだが、ブラック会社では周りとはある種隔絶されているため伝わらない。
立場が弱いため意見できないし、そもそも相手にやる気がない。時間もない。心の交流を図る余裕や環境がないのだ。
供給がなければ当然ガス欠が起こる。
精神的、肉体的に支障を来すわけだ。
一方で生産的な職場というのは個人個人にエネルギーが常に供給されている。それは社員達の心の交流がきちんと為されているということである。やり甲斐が保たれている。
助け合っているという感覚や実感がある。仲間達と一緒に頑張っているという気持ちが、自分を奮い立たせ、それがまた周囲に伝播していく。
主人公にとって、唯一の人格者である先輩が心の支えとなっていた。彼の存在が人間としての成長に大きく関わっていたのは間違いない。
その後、様々な逆境が襲いかかり、ついに限界を迎えた主人公は感情を同僚達に向かって爆発させる。
これが結果としては、その時の社内の状況を好転させるきっかけになった。人を繋ぎ、人を変えうる力を持つのが、人の心だと言うことだ。
もちろん実話とはいえ、これは上手くいったケースで、実際はなかなか悪い環境を好転させることは難しい。彼の元々の資質や性格、人柄、成長やそれまでの行動など、色々な事柄が加味されてのことだろう。
ただそれでもやはり、人を変え、自分を変えるのは紛れもなく、人のエネルギーだと言うこと。
人とぶつかると言うことは疲れるし、怖さもつきまとうが、それが何らかの形で人を震わせることにも繋がるのだ。
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・趣向
おそらく2チャンネルが絡んでいるのだろう、そこから本なども出されて、今回映画化されたという感じか。
監督は佐藤祐市で、過去にオタク要素を含んだ「キサラギ」なども監督している。未見だが、要するにそういった文化に理解のある人なのだろう。
映像表現はかなりポップ。デスマーチでは戦場で戦う映像を、ワキガにはわかりやすく矢印でニオイの進行を表現、相対する二人の出来る社員を孔明と周瑜に扮させるなど、楽しげで飽きさせないような映像表現が為されている。
原作を読んでいないので何とも言えないが、原作者のフィルターを通して描かれたキャラクターや世界観を、更に脚色してわかりやすくコミカルにされているように思う。
登場人物は親しみやすい俳優さんが起用されているように思う。
高圧的な上司が品川庄司の品川だったり、何やってるのかわからない社長が森本レオだったり。主人公に至ってはニートで引きこもりで陰気で、と言う負の要素がほとんど感じられない小池鉄平。顔が綺麗すぎる。
そもそもこの話、映像や脚本はポップでテンポ良く、要所にギャグやユーモアが散りばめられているので一見楽しげに見えるのだけど、実際はかなりシリアス。
コメディベースのシリアスではなくて、シリアスベースのコメディなのだ。
原作の良さを活かそうとか、観客層を見越してと言うこともあると思うけど、このシリアスな味を和らげ、且つ、いかに観客に上手く届けるかという点が、俳優の起用にも表れているように思う。
マニアックなネタや下請けIT企業の悲哀、人間模様など、ユーモアは散りばめられているから要所要所でクスリと笑える。ただ主人公の抱えている事や周囲との関係などから、心抉られる部分も多く、ちょっと泣きそうになってしまったところもあった。
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・個人的感想
個人的には最初から最後まで中ダレすることなく、泣いたり笑ったりと感動できた映画だった。
映画化されるのもよく分かるし、上手く映画化されているのだろうなとも言える。
映画を見終わったときには、今自分の勤めている環境の良さに感謝したくなってしまった。
今ブラック会社に勤めている人には、何かしら心の薬にはなるのかも知れない。
ごちそうさまでした!
ウォレスとグルミット4本立て。
2010年1月22日 映画 1月5日に「ウォレスとグルミット」を観てきたので、感想を。
ネタバレ注意。
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・作品紹介
上映は下記の通り。
・チーズ・ホリデー(1989)
・ペンギンに気をつけろ(1993)
・危機一髪(1995)
・ベーカリー街の悪夢(2008)
の4本立て。メインは最近作(?)のベーカリー街の悪夢。それ以外はリマスターされているとかいないとか。
「チーズ・ホリデー」は旅行先を決めあぐねているウォレスが、ウルトラC的発想で行き先を定めて旅立つ話。そこでのちょっとしたハラハラや交流を描く。
「ペンギンに気をつけろ」は、金に困ったウォレスが自宅の一室を貸し出すと言うところから話が展開していく。ちょっと危険な臭いの漂うペンギンとのあれこれ。
「危機一髪」は、ウォレスが新規事業を始めて、その仕事先で出会った女性と番犬との交流とサスペンスとアクションの物語。羊のショーンも出て来る。
「ベーカリー街の悪夢」は、ウォレスが新規事業のパン屋を始めていて、その時に出会った女性とのラブとサスペンスの話。
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・切り口
ベーカリー街の悪夢は母国のクリスマスあたりにTVで放映されて視聴率が50%弱を記録したのだとか。
過去の劇場版などでも、有名な映画をモチーフにしたりパロディだったり、オマージュだったり、と言う物はあった。この映画も元の作品は自分は知らないんだけど、そのような作りらしい。
なので元ネタを知っている人はその共通点や相違などを観て楽しめるかも知れない。そうでない人でも全然楽しめると思う。
話自体はわかりやすい筋なので、あとは「これがクレイアニメなのか」と驚愕したり、「どうやって作ったんだこれ」と眼をぱちくりしながら観たり、グルミットを始めとしたキャラクター達の造形、振る舞いに表情を柔らかくして観たりすればよいのでは。
ウォレスの声優は今まで萩本欽一さんだったのが、この4本立てでは全部津川雅彦さんが起用されている。
演技自体は4本通して観ると、まだ固まっていないのかバラツキがあるように感じたが、悪くはない。津川さんっぽいメリハリや区切りがあって、どこか硬さのある声質。しかし欽ちゃんっぽい、ダメでなよっとした喋りになっていて、そこは本人が意識しているのか、演技指導があったのか、自然とそうなったのかは定かではない。
こうして作品を飛び飛びで4本続けて観ると、やはりその変遷が覗える。
最初期の頃の作品も素晴らしいことに代わりはないのだけど、今と比べるとやはり明らかに違う。動きがぎこちなかったり、ウォレスやグルミットの造形、色など。
また、話としても、最近の物はエンターテインメント性がとても強く、ハリウッド的娯楽作品のごとくわかりやすい。息をも尽かせぬ展開で楽しませてくれるが、例えばチーズ・ホリデーなんかでは、話としては地味だし、設定も突飛で説明不足だし、「それ意味あんのか」というカットやシーンが結構多かったりして、洗練されていない当時の、アルカイックな雰囲気が出ていた。
野暮ったさや色調の暗さ、ちょっと不気味な感じなど、曇り空の多いイギリスっぽさが漂っているとも言える。
全体的にユーモアを基調としながら、シリアスな空気をまとった物が多かったのも印象に残った。
ペンギンに気をつけろあたりはもうアクションシーンを含めたクレイアニメの技術に大きな飛躍が観られ、話としてもサスペンスや人情などを含めて広がりが出てきていた。
危機一髪ではもうかなり安定していて、方向は定まったと言える。
ウォレスとグルミットはあくまで大衆的なのだ。ニック・パークの感性に感じる物があっても、それはスパイス。
一時のスリルと、ユーモアと、サスペンスと可愛さを提供し、人々の心を洗浄する。そんなシリーズなのだろう。
-----------------------------------------------------------------
・個人的な感想
ジブリと関係したことによるものなのだろうか? 個人的には今まで欽ちゃんの声で親しんでいたし、自分としても欽ちゃんのウォレスが好きだったから、この辺はちょっと複雑。
ただもちろん津川さんも素晴らしい俳優さんなのだ。もし自分が欽ちゃんのウォレスを知らなかったら、おそらく抵抗無く受け入れていたと思う。
日本のジブリのような、あるいは宮崎駿のような存在なのかも知れないニック・パーク監督には、今後も良作を期待して止まない。
ネタバレ注意。
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・作品紹介
上映は下記の通り。
・チーズ・ホリデー(1989)
・ペンギンに気をつけろ(1993)
・危機一髪(1995)
・ベーカリー街の悪夢(2008)
の4本立て。メインは最近作(?)のベーカリー街の悪夢。それ以外はリマスターされているとかいないとか。
「チーズ・ホリデー」は旅行先を決めあぐねているウォレスが、ウルトラC的発想で行き先を定めて旅立つ話。そこでのちょっとしたハラハラや交流を描く。
「ペンギンに気をつけろ」は、金に困ったウォレスが自宅の一室を貸し出すと言うところから話が展開していく。ちょっと危険な臭いの漂うペンギンとのあれこれ。
「危機一髪」は、ウォレスが新規事業を始めて、その仕事先で出会った女性と番犬との交流とサスペンスとアクションの物語。羊のショーンも出て来る。
「ベーカリー街の悪夢」は、ウォレスが新規事業のパン屋を始めていて、その時に出会った女性とのラブとサスペンスの話。
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・切り口
ベーカリー街の悪夢は母国のクリスマスあたりにTVで放映されて視聴率が50%弱を記録したのだとか。
過去の劇場版などでも、有名な映画をモチーフにしたりパロディだったり、オマージュだったり、と言う物はあった。この映画も元の作品は自分は知らないんだけど、そのような作りらしい。
なので元ネタを知っている人はその共通点や相違などを観て楽しめるかも知れない。そうでない人でも全然楽しめると思う。
話自体はわかりやすい筋なので、あとは「これがクレイアニメなのか」と驚愕したり、「どうやって作ったんだこれ」と眼をぱちくりしながら観たり、グルミットを始めとしたキャラクター達の造形、振る舞いに表情を柔らかくして観たりすればよいのでは。
ウォレスの声優は今まで萩本欽一さんだったのが、この4本立てでは全部津川雅彦さんが起用されている。
演技自体は4本通して観ると、まだ固まっていないのかバラツキがあるように感じたが、悪くはない。津川さんっぽいメリハリや区切りがあって、どこか硬さのある声質。しかし欽ちゃんっぽい、ダメでなよっとした喋りになっていて、そこは本人が意識しているのか、演技指導があったのか、自然とそうなったのかは定かではない。
こうして作品を飛び飛びで4本続けて観ると、やはりその変遷が覗える。
最初期の頃の作品も素晴らしいことに代わりはないのだけど、今と比べるとやはり明らかに違う。動きがぎこちなかったり、ウォレスやグルミットの造形、色など。
また、話としても、最近の物はエンターテインメント性がとても強く、ハリウッド的娯楽作品のごとくわかりやすい。息をも尽かせぬ展開で楽しませてくれるが、例えばチーズ・ホリデーなんかでは、話としては地味だし、設定も突飛で説明不足だし、「それ意味あんのか」というカットやシーンが結構多かったりして、洗練されていない当時の、アルカイックな雰囲気が出ていた。
野暮ったさや色調の暗さ、ちょっと不気味な感じなど、曇り空の多いイギリスっぽさが漂っているとも言える。
全体的にユーモアを基調としながら、シリアスな空気をまとった物が多かったのも印象に残った。
ペンギンに気をつけろあたりはもうアクションシーンを含めたクレイアニメの技術に大きな飛躍が観られ、話としてもサスペンスや人情などを含めて広がりが出てきていた。
危機一髪ではもうかなり安定していて、方向は定まったと言える。
ウォレスとグルミットはあくまで大衆的なのだ。ニック・パークの感性に感じる物があっても、それはスパイス。
一時のスリルと、ユーモアと、サスペンスと可愛さを提供し、人々の心を洗浄する。そんなシリーズなのだろう。
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・個人的な感想
ジブリと関係したことによるものなのだろうか? 個人的には今まで欽ちゃんの声で親しんでいたし、自分としても欽ちゃんのウォレスが好きだったから、この辺はちょっと複雑。
ただもちろん津川さんも素晴らしい俳優さんなのだ。もし自分が欽ちゃんのウォレスを知らなかったら、おそらく抵抗無く受け入れていたと思う。
日本のジブリのような、あるいは宮崎駿のような存在なのかも知れないニック・パーク監督には、今後も良作を期待して止まない。
カールじいさんの空飛ぶ家
2009年12月17日 映画「カールじいさんの空飛ぶ家」を見てきたので感想を。
(ネタバレ注意)
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・あらすじ
子供の頃に知り合って以来、結婚し、老後に至るまでずっと仲睦まじく暮らしてきた老夫婦だったが、夫人が他界。思い出の詰まった我が家も宅地開発の波に迫られていた。
カールじいさんは冒険好きだった妻と自分の思いを乗せて、家を大空へと飛び立たせる。目指すは南米の秘境。しかし、以前知り合った少年がなぜか乗り合わせていて、旅は思いも寄らぬ方向に……。
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・切り口
果たせていない約束を抱える男が二人、この映画には出て来る。
彼らはその強烈な想いに駆られ、約束を果たすために人生を賭してそれに臨むことになる。しかしその想いの源、行動の動機が正反対なのだ。
片や満たされた愛へ報いるため、片や己の名誉を取り戻すためにそれぞれは精力をつぎ込む。達成するために動き続ける。
出所は過去の思い出、出来事という点で同じなのだが、執着している物の違いによって人生は大きく変わった。
象徴的なのは、名誉のために動く男に友はおらず、従えているのは獣で、猜疑心が渦巻いているということ。己のことに執着するあまり、他者との信頼を築くことが出来ていないのだ。
一方の愛に報いる男は、周囲との信頼によって人生を切り抜けていく。
過去に囚われている、縛られているという意味では両者とも同じなのだが、その束縛から解き放たれるのは、愛に報いる男。解放したのは紛れもない、愛するその人だった。
人間というのは完璧ではないから、他者と補い合って生きていく。そうして関係が糾う縄のようになってより強靱に、逞しく補完し合って行く。人のために力を発揮することも出来るし、人から力を貰うことも出来る。人を救うことさえも。
自己中心に生きる人間には、こうはいかないのだ。
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・個人的感想
日本人に向いている映画だなあ、と最初思った。
というのも、主人公はもう先が見えているおじいさん(失礼)、妻の死、愛する人との約束を果たす旅、など、扱っている題材がセンチメンタル過剰なのだ。
アメリカというと、基本的にはエンターテインメントが前面に出ていて、明るく楽しく元気よくと言った映画が多いように思う。漫画(カートゥーン)はどうかわからないが、特にアニメーションに関してはまだ子供向けという意識が強いのではないかと思う。
そういう意味で、主人公や、ライバル、少年などの抱えている問題が割合ネガティブな側面を持っていて、ほろりとさせるシーンや、カットによっては音楽を使わず静かに見せるシーンなどもあるという点は、アメリカのアニメーションも本格的に変わってきたのかなあ、と思えるのだ。
最もあまりアメリカ発のアニメーションを見ていないので、その点は何とも言えないが、ただ日本人にとって受け入れやすい(大人の鑑賞にも堪えうる)映画なのではないかと思ったのだ。
アカデミー賞、よく分からないが、「カールじいさん~」と「ポニョ」が競争することになったら、「カールじいさん~」が有利かなと言う気がする。「ポニョ」まだ見てないけど。
とにかく全編通してテンポが非常に良い。勢いもあり、ユーモアも豊富で、楽しすぎて内容をよく覚えてない(ぉぃ)。笑えて泣けて興奮してと、至れり尽くせりの映画で、とにかく素晴らしいと言いたい。
突っ込み所はたくさんあるが、そこを突っ込むのはナンセンスだろう、と言う物がほとんどだと思う。
部分部分が良い映画はいっぱいある。でも虫食いみたいに、不満に思う部分もある物なのだけど、この映画に関して言えばそれはない。
エンターテインメントとしても一級だと思う。
映像も綺麗だし、キャラクター達の仕草、動作も見事。当初字幕で観るつもりが間違えて吹き替えで見てしまった。でも、少なくとも声優さん達の頑張りはこの映画を毀損することなくしっかりと一部になっているように思えた。
満額でお勧めしたい!
同時上映の「晴ときどきくもり」と言う短編映画が冒頭に流れるのだけど、最初スクリーンを間違えたのかと思ってドキドキしてしまった(^^;
こちらの映画も面白かったです。友情と嫉妬を上手く描いてます。
最近の映画は3D、吹き替え、字幕と色々あるんですね。
(ネタバレ注意)
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・あらすじ
子供の頃に知り合って以来、結婚し、老後に至るまでずっと仲睦まじく暮らしてきた老夫婦だったが、夫人が他界。思い出の詰まった我が家も宅地開発の波に迫られていた。
カールじいさんは冒険好きだった妻と自分の思いを乗せて、家を大空へと飛び立たせる。目指すは南米の秘境。しかし、以前知り合った少年がなぜか乗り合わせていて、旅は思いも寄らぬ方向に……。
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・切り口
果たせていない約束を抱える男が二人、この映画には出て来る。
彼らはその強烈な想いに駆られ、約束を果たすために人生を賭してそれに臨むことになる。しかしその想いの源、行動の動機が正反対なのだ。
片や満たされた愛へ報いるため、片や己の名誉を取り戻すためにそれぞれは精力をつぎ込む。達成するために動き続ける。
出所は過去の思い出、出来事という点で同じなのだが、執着している物の違いによって人生は大きく変わった。
象徴的なのは、名誉のために動く男に友はおらず、従えているのは獣で、猜疑心が渦巻いているということ。己のことに執着するあまり、他者との信頼を築くことが出来ていないのだ。
一方の愛に報いる男は、周囲との信頼によって人生を切り抜けていく。
過去に囚われている、縛られているという意味では両者とも同じなのだが、その束縛から解き放たれるのは、愛に報いる男。解放したのは紛れもない、愛するその人だった。
人間というのは完璧ではないから、他者と補い合って生きていく。そうして関係が糾う縄のようになってより強靱に、逞しく補完し合って行く。人のために力を発揮することも出来るし、人から力を貰うことも出来る。人を救うことさえも。
自己中心に生きる人間には、こうはいかないのだ。
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・個人的感想
日本人に向いている映画だなあ、と最初思った。
というのも、主人公はもう先が見えているおじいさん(失礼)、妻の死、愛する人との約束を果たす旅、など、扱っている題材がセンチメンタル過剰なのだ。
アメリカというと、基本的にはエンターテインメントが前面に出ていて、明るく楽しく元気よくと言った映画が多いように思う。漫画(カートゥーン)はどうかわからないが、特にアニメーションに関してはまだ子供向けという意識が強いのではないかと思う。
そういう意味で、主人公や、ライバル、少年などの抱えている問題が割合ネガティブな側面を持っていて、ほろりとさせるシーンや、カットによっては音楽を使わず静かに見せるシーンなどもあるという点は、アメリカのアニメーションも本格的に変わってきたのかなあ、と思えるのだ。
最もあまりアメリカ発のアニメーションを見ていないので、その点は何とも言えないが、ただ日本人にとって受け入れやすい(大人の鑑賞にも堪えうる)映画なのではないかと思ったのだ。
アカデミー賞、よく分からないが、「カールじいさん~」と「ポニョ」が競争することになったら、「カールじいさん~」が有利かなと言う気がする。「ポニョ」まだ見てないけど。
とにかく全編通してテンポが非常に良い。勢いもあり、ユーモアも豊富で、楽しすぎて内容をよく覚えてない(ぉぃ)。笑えて泣けて興奮してと、至れり尽くせりの映画で、とにかく素晴らしいと言いたい。
突っ込み所はたくさんあるが、そこを突っ込むのはナンセンスだろう、と言う物がほとんどだと思う。
部分部分が良い映画はいっぱいある。でも虫食いみたいに、不満に思う部分もある物なのだけど、この映画に関して言えばそれはない。
エンターテインメントとしても一級だと思う。
映像も綺麗だし、キャラクター達の仕草、動作も見事。当初字幕で観るつもりが間違えて吹き替えで見てしまった。でも、少なくとも声優さん達の頑張りはこの映画を毀損することなくしっかりと一部になっているように思えた。
満額でお勧めしたい!
同時上映の「晴ときどきくもり」と言う短編映画が冒頭に流れるのだけど、最初スクリーンを間違えたのかと思ってドキドキしてしまった(^^;
こちらの映画も面白かったです。友情と嫉妬を上手く描いてます。
最近の映画は3D、吹き替え、字幕と色々あるんですね。
2本立て続けに観た映画の2本目。
「未来の食卓」(ネタバレ注意)。
-----------------------------------------------------------------
・内容
この映画はドキュメンタリーです。
舞台はフランスのバルジャック村。村の小学校の給食を全てオーガニックにするという試みを追っています。
映画では農薬や食品添加物の危険性を説明するパートと、オーガニック化する小学校、その周囲の状況を交えて作られています。
-----------------------------------------------------------------
・切り口
「現在、有史以来初めて、子供達が親世代よりも肉体的に劣っている可能性があります」
映画の中で出てきた発言はこのようなことを言っていました。
この映画は、人間の健康に化学物質が重大な影響を与えているという主張を前面に出しています。
それは食品添加物や農薬、それによる環境汚染が人体に取りこまれることによって起こる問題であり、また現在の世界的な食料の消費事情を鑑みたとき、それが地球温暖化などの環境破壊に一因になっているということです。
会議やシンポジウムの様子が劇中度々挿入され、その中で癌研究の専門家が「癌の原因は化学物質だ」と言っています。
有識者達が化学物質や人工物に依存した現在や、ここに至るまでの過ちを糾弾し、オーガニックに転換すべきだという主張を行っています。
これ以外にも、様々な団体の出している数字や論文を引用して、化学物質が人間にどれほど有害か、権威的、科学的な力を借りて説得力を与えようとしています。
一方、実際に農家で働いている人達を取り上げ、彼らが農薬散布などで受けた被害などを語っていて、その部分は実体験に基づく共感や共鳴などによる説得力を持っています。
感覚的な説得力としては、やはり農薬散布の光景でしょう。防護スーツに身を固めた男性が乗り物に乗って、広い農場に大量の農薬を散布し、それが雨のように降り注ぎ、霧となって漂う様は、おどろおどろしい音楽と共に生理的な嫌悪感をもたらします。
また、オーガニック農法を続けている農地と農薬を使っている農地が隣同士にあり、シャベルで両方を掘り出してみると、片方は無生物で土に生命力がなく、もう片方は健康的に植物が育っている様がわかります。
この点は近年話題の農家・木村秋則さんのリンゴ栽培に似た話がありますね。
ただし、科学的・権威的な説得力と言っても、実際どの程度正確なのかはわかりませんし、情報自体決して多いとは言えません。
この点はまずそもそも、化学物質を使い始めたのが人間の歴史の中で見てもごく最近のことであり、まだまだ研究が進んでいないと言うこともあるでしょう。
また、まだ世界的な潮流を見ても、こうした天然志向は小さなムーブメントの域を出ていないと言うことでもあると思います。
おそらく化学物質は人間やその他の生物や地球にとって悪影響をもたらすものだ、と言うことはなんとなくわかっているのだと思います。しかしまだまだ断片的な情報しかなく、体系的ではないのかも知れません。
そしてまた、そうしたオーガニックへの切り替えはお金がかかります。
消費者も、生産者も、様々な企業も、化学物質の旨味を知ってしまっているわけです。そこからの転換は大きな抵抗が予想されますし、なかなかまだ難しいのかも知れません。
それでも、着実に変えていくために、こうした映画や活動が必要なのでしょう。
監督はそういった化学物質への嫌悪による説得力だけではなく、もう一方の説得を用意していました。
それはつまり、オーガニック主体の生活は美しく楽しいのだ、と言うことを、映像でしっかりと見せていることです。
オーガニック食材を使った給食を美味しそうに食べる子供達。有機農法の畑で楽しそうに農作物に触れ、また豊かな自然を背景に語らう姿が映されています。
それは親世代にも伝播し、意識が変わりつつあることを映しています。
「今までは買うのと食べるのの繰り返し。今は効率よく買っていて、消費システムの外にいる。罪悪感は減ったし、今の世の中は少し食べ過ぎ」
とある人は語っていました。
決して派手な映画ではないです。
日本のテレビなどで放送されているドキュメンタリーなどと比較すると、作りはシンプルで、好奇心や興味を過剰に刺激するようなエンターテインメント性はないのです。
製作者の意図に従って編集されてはいるのだと思うけれど、基本的には淡々と風景や語る様子を撮っています。
しかしこれはつまり、化学物質とオーガニックを扱った内容であるとおり、装飾過多にせず、出来るだけ自然に見せようとした結果なのかも知れません。
その方が美しいのだと。
-----------------------------------------------------------------
・個人的な感想
まず、万人向けの映画とは言えません。
これは上記したように、飽きさせないような工夫に欠けているからです。この映画やテーマに興味のある人ならば最後までしっかり見続けることが出来るかも知れませんが、それ以外の、興味をあまり持たない人達に対する訴求力はあまりありません。退屈さを感じてしまう人も多いかも知れません。
科学的事実、研究結果なども不足しているような気がします。
ただやはりこういう映画は必要なのだと思います。
自分としてもアトピーとの闘いの中で色々と健康に興味が出てきて、今はかなり良くなっているのですが、今後も気をつけていくのだと思います。そういった中で興味深い部分もありました。
全体的に凄く面白かったとは思いませんが、一定の評価は出来ます。
「未来の食卓」(ネタバレ注意)。
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・内容
この映画はドキュメンタリーです。
舞台はフランスのバルジャック村。村の小学校の給食を全てオーガニックにするという試みを追っています。
映画では農薬や食品添加物の危険性を説明するパートと、オーガニック化する小学校、その周囲の状況を交えて作られています。
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・切り口
「現在、有史以来初めて、子供達が親世代よりも肉体的に劣っている可能性があります」
映画の中で出てきた発言はこのようなことを言っていました。
この映画は、人間の健康に化学物質が重大な影響を与えているという主張を前面に出しています。
それは食品添加物や農薬、それによる環境汚染が人体に取りこまれることによって起こる問題であり、また現在の世界的な食料の消費事情を鑑みたとき、それが地球温暖化などの環境破壊に一因になっているということです。
会議やシンポジウムの様子が劇中度々挿入され、その中で癌研究の専門家が「癌の原因は化学物質だ」と言っています。
有識者達が化学物質や人工物に依存した現在や、ここに至るまでの過ちを糾弾し、オーガニックに転換すべきだという主張を行っています。
これ以外にも、様々な団体の出している数字や論文を引用して、化学物質が人間にどれほど有害か、権威的、科学的な力を借りて説得力を与えようとしています。
一方、実際に農家で働いている人達を取り上げ、彼らが農薬散布などで受けた被害などを語っていて、その部分は実体験に基づく共感や共鳴などによる説得力を持っています。
感覚的な説得力としては、やはり農薬散布の光景でしょう。防護スーツに身を固めた男性が乗り物に乗って、広い農場に大量の農薬を散布し、それが雨のように降り注ぎ、霧となって漂う様は、おどろおどろしい音楽と共に生理的な嫌悪感をもたらします。
また、オーガニック農法を続けている農地と農薬を使っている農地が隣同士にあり、シャベルで両方を掘り出してみると、片方は無生物で土に生命力がなく、もう片方は健康的に植物が育っている様がわかります。
この点は近年話題の農家・木村秋則さんのリンゴ栽培に似た話がありますね。
ただし、科学的・権威的な説得力と言っても、実際どの程度正確なのかはわかりませんし、情報自体決して多いとは言えません。
この点はまずそもそも、化学物質を使い始めたのが人間の歴史の中で見てもごく最近のことであり、まだまだ研究が進んでいないと言うこともあるでしょう。
また、まだ世界的な潮流を見ても、こうした天然志向は小さなムーブメントの域を出ていないと言うことでもあると思います。
おそらく化学物質は人間やその他の生物や地球にとって悪影響をもたらすものだ、と言うことはなんとなくわかっているのだと思います。しかしまだまだ断片的な情報しかなく、体系的ではないのかも知れません。
そしてまた、そうしたオーガニックへの切り替えはお金がかかります。
消費者も、生産者も、様々な企業も、化学物質の旨味を知ってしまっているわけです。そこからの転換は大きな抵抗が予想されますし、なかなかまだ難しいのかも知れません。
それでも、着実に変えていくために、こうした映画や活動が必要なのでしょう。
監督はそういった化学物質への嫌悪による説得力だけではなく、もう一方の説得を用意していました。
それはつまり、オーガニック主体の生活は美しく楽しいのだ、と言うことを、映像でしっかりと見せていることです。
オーガニック食材を使った給食を美味しそうに食べる子供達。有機農法の畑で楽しそうに農作物に触れ、また豊かな自然を背景に語らう姿が映されています。
それは親世代にも伝播し、意識が変わりつつあることを映しています。
「今までは買うのと食べるのの繰り返し。今は効率よく買っていて、消費システムの外にいる。罪悪感は減ったし、今の世の中は少し食べ過ぎ」
とある人は語っていました。
決して派手な映画ではないです。
日本のテレビなどで放送されているドキュメンタリーなどと比較すると、作りはシンプルで、好奇心や興味を過剰に刺激するようなエンターテインメント性はないのです。
製作者の意図に従って編集されてはいるのだと思うけれど、基本的には淡々と風景や語る様子を撮っています。
しかしこれはつまり、化学物質とオーガニックを扱った内容であるとおり、装飾過多にせず、出来るだけ自然に見せようとした結果なのかも知れません。
その方が美しいのだと。
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・個人的な感想
まず、万人向けの映画とは言えません。
これは上記したように、飽きさせないような工夫に欠けているからです。この映画やテーマに興味のある人ならば最後までしっかり見続けることが出来るかも知れませんが、それ以外の、興味をあまり持たない人達に対する訴求力はあまりありません。退屈さを感じてしまう人も多いかも知れません。
科学的事実、研究結果なども不足しているような気がします。
ただやはりこういう映画は必要なのだと思います。
自分としてもアトピーとの闘いの中で色々と健康に興味が出てきて、今はかなり良くなっているのですが、今後も気をつけていくのだと思います。そういった中で興味深い部分もありました。
全体的に凄く面白かったとは思いませんが、一定の評価は出来ます。
2本映画を立て続けに観ました。一本目。
「空気人形」。(ネタバレ注意)
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・あらすじ
ダッチワイフとして、夜な夜な持ち主に愛される空気人形。彼女はある日突然、心を持ってしまった。
持ち主に隠れて毎日朝から自らの意志で動き、外へ出て言葉や知識を吸収し始める。その中で、一人の男に恋をしてしまった。
彼の働くレンタルビデオ店でアルバイトをしながら日々を過ごす。その過程で、自分の存在意義や、周囲の人々との関係、心の動きを目の当たりにしていく。
そうして、大切な物を見つけていくのだが……。
-----------------------------------------------------------------
・切り口
この作品はつまり「関係」を主題とした物なのだろう。
人間というのはどうしても完璧な存在などいない。全ての人には何かしらの欠落があり、それを他ならぬ「人」で補っている。
しかし、そういった人との関係が希薄になってしまっているところに、現代の人間の不幸がある。
この作品に登場する主立った人間達もやはり人間関係に不全がある。
レンタルビデオ店の店長は家族との断絶があり、自分と関わりのない事件なのに警察に自首する老婆も社会との関わりが切れている。ビデオ店の常連男性は明らかに人間関係を不得手としているし、若さを求める中年OLは自分の携帯から自宅の留守電に自前で励ましの言葉を贈り、それと会話をしている。
空気人形の愛する男もまた、昔付き合っていた女性を引きずっていた。
人は誰しも空虚を抱えて生きている。生まれたときから、生きる意味を見いだすために生きている。空虚を満たすために人生を送っている。
人は人との関わりの中で互いに少しずつ影響を与えあって生きている。それが結果的に良くても悪くても、人生を変えてゆけるのはそれしかないのだ。
なぜ人形の彼女は心をもってしまったのか、それはわからない。しかしそれはこの世界に生きる全ての人間達も同じだろう。
空気人形もまた、心を持ったときには言葉も知識もほとんど持ち合わせていない、赤ん坊のようだった。そして心を持って生きる中で彼女が見つけたのは人との関係だった。
持ち主にとっての空気人形はただの代用品であり、自分の思うようになる、都合の良い持ち物だった。彼は彼女のことを少しも見ていなかった。
愛する人から息を吹き込まれたときの満たされた感覚が、持ち主から離れる決意を促す。
彼女はあと一歩で幸せを手に入れかけるが、ただ一つ問題があったのは、彼女は人間ではなかったことだった。
行き場を失った彼女は、自らの意志か、はたまた役割を終えた人形の宿命か、ゴミ捨て場に体を横たえていた。
しかし彼女が歩き、コミットして過ごした日々は確実に、そしてささやかに、人々に影響を与えていた。
それこそが彼女がこの世に生まれた意味であり、関係の中の一員となれた証しだった。だから、ハッピーバースデーが歌われたのだ。
-----------------------------------------------------------------
・個人的な感想
正直なところ自分としてはあまりこの映画は評価していない。
ちゃんと説明してくれてわかりやすい部分もあるが、それでも全体的に曖昧模糊とした表現、描写が多く、どうしてこういう事なのかハッキリとわからないことも多い。
派手な映画ではない。作家性の強い単館系映画という感じなのだが、こういう映画はともすると作り手の観念や意図が一人歩きをして、観客との間に乖離を引き起こすことにもなる。
主人公がダッチワイフだという点は奇抜だが、基本的には日常の何気ない事柄を扱っているし、特別綺麗な風景が続くというわけでもない。地味で、どちらかというと陰鬱な映画なのだ。
地味な(野暮ったい)上にわかりにくい、と言うのが自分としては一番見ていて辛くなってくるわけで、だから個人的にはそれほど評価は出来ない。
と散々書いたが、それでもまあ、決して最悪だったというわけではない。あくまで個人的にあまり気に入らなかっただけ、と言うことだ。
逆に言えば、そういう物を意図して作って、観客に感じて貰おうとしていたのならば、その構成力は素晴らしい物がある。
ペ・ドゥナは度々役柄上裸体を晒すが、むちゃくちゃ綺麗。素晴らしい肉体美でした。
片言の言葉も人形が心を持ったという設定には生きていると思います。
板尾さんも、ARATAも、オダギリジョー(出ていて驚いた)も、岩松了さんも良かった。
ペ・ドゥナは、韓国ではあまり映画に出ていないようで。日本でもっと起用されないかな。
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・気になったセリフ
「お前、俺のblog読んだんか!?」
「空気人形」。(ネタバレ注意)
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・あらすじ
ダッチワイフとして、夜な夜な持ち主に愛される空気人形。彼女はある日突然、心を持ってしまった。
持ち主に隠れて毎日朝から自らの意志で動き、外へ出て言葉や知識を吸収し始める。その中で、一人の男に恋をしてしまった。
彼の働くレンタルビデオ店でアルバイトをしながら日々を過ごす。その過程で、自分の存在意義や、周囲の人々との関係、心の動きを目の当たりにしていく。
そうして、大切な物を見つけていくのだが……。
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・切り口
この作品はつまり「関係」を主題とした物なのだろう。
人間というのはどうしても完璧な存在などいない。全ての人には何かしらの欠落があり、それを他ならぬ「人」で補っている。
しかし、そういった人との関係が希薄になってしまっているところに、現代の人間の不幸がある。
この作品に登場する主立った人間達もやはり人間関係に不全がある。
レンタルビデオ店の店長は家族との断絶があり、自分と関わりのない事件なのに警察に自首する老婆も社会との関わりが切れている。ビデオ店の常連男性は明らかに人間関係を不得手としているし、若さを求める中年OLは自分の携帯から自宅の留守電に自前で励ましの言葉を贈り、それと会話をしている。
空気人形の愛する男もまた、昔付き合っていた女性を引きずっていた。
人は誰しも空虚を抱えて生きている。生まれたときから、生きる意味を見いだすために生きている。空虚を満たすために人生を送っている。
人は人との関わりの中で互いに少しずつ影響を与えあって生きている。それが結果的に良くても悪くても、人生を変えてゆけるのはそれしかないのだ。
なぜ人形の彼女は心をもってしまったのか、それはわからない。しかしそれはこの世界に生きる全ての人間達も同じだろう。
空気人形もまた、心を持ったときには言葉も知識もほとんど持ち合わせていない、赤ん坊のようだった。そして心を持って生きる中で彼女が見つけたのは人との関係だった。
持ち主にとっての空気人形はただの代用品であり、自分の思うようになる、都合の良い持ち物だった。彼は彼女のことを少しも見ていなかった。
愛する人から息を吹き込まれたときの満たされた感覚が、持ち主から離れる決意を促す。
彼女はあと一歩で幸せを手に入れかけるが、ただ一つ問題があったのは、彼女は人間ではなかったことだった。
行き場を失った彼女は、自らの意志か、はたまた役割を終えた人形の宿命か、ゴミ捨て場に体を横たえていた。
しかし彼女が歩き、コミットして過ごした日々は確実に、そしてささやかに、人々に影響を与えていた。
それこそが彼女がこの世に生まれた意味であり、関係の中の一員となれた証しだった。だから、ハッピーバースデーが歌われたのだ。
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・個人的な感想
正直なところ自分としてはあまりこの映画は評価していない。
ちゃんと説明してくれてわかりやすい部分もあるが、それでも全体的に曖昧模糊とした表現、描写が多く、どうしてこういう事なのかハッキリとわからないことも多い。
派手な映画ではない。作家性の強い単館系映画という感じなのだが、こういう映画はともすると作り手の観念や意図が一人歩きをして、観客との間に乖離を引き起こすことにもなる。
主人公がダッチワイフだという点は奇抜だが、基本的には日常の何気ない事柄を扱っているし、特別綺麗な風景が続くというわけでもない。地味で、どちらかというと陰鬱な映画なのだ。
地味な(野暮ったい)上にわかりにくい、と言うのが自分としては一番見ていて辛くなってくるわけで、だから個人的にはそれほど評価は出来ない。
と散々書いたが、それでもまあ、決して最悪だったというわけではない。あくまで個人的にあまり気に入らなかっただけ、と言うことだ。
逆に言えば、そういう物を意図して作って、観客に感じて貰おうとしていたのならば、その構成力は素晴らしい物がある。
ペ・ドゥナは度々役柄上裸体を晒すが、むちゃくちゃ綺麗。素晴らしい肉体美でした。
片言の言葉も人形が心を持ったという設定には生きていると思います。
板尾さんも、ARATAも、オダギリジョー(出ていて驚いた)も、岩松了さんも良かった。
ペ・ドゥナは、韓国ではあまり映画に出ていないようで。日本でもっと起用されないかな。
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・気になったセリフ
「お前、俺のblog読んだんか!?」
11月1日に「沈まぬ太陽」を見てきましたので、ようやくですが個人的な感想を。
ネタバレとかたぶんあります。
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昭和30年代、主人公の恩地元は巨大企業・国民航空で働き、労働組合の委員長を務めていた。友人で同期の副委員長・行天四郎や後輩で書記長の八木などと共に職場環境の改善のために会社と闘い、力を示していた。
しかし、その後懲罰人事で海外へ派遣されると、更に僻地を転々と赴任させられる。会社に謝罪して労組を離れることで帰国させると言われるが、自身の信念の下、恩地はそれを拒む。
次第に自身の家族との溝や親の不幸、内心の葛藤で狂気に襲われ、また、日本に残された組合への切り崩し、組合員への懲罰人事などに責任を感じる。
10年が経ち、ようやく帰国した恩地だったが、その時に航空機墜落事故が発生する。国民航空の立て直しが日本政府の課題としてあり、その中で選ばれた会長の下、恩地はかつての実績を評価され、改革のための人員として抜擢されるのだが……。
-------------------------------------------------------
山崎豊子の同名小説を映画化。
本編は3時間を超える超大作であり、途中数分間の休憩がある。
どちらかというと左翼色が強いような気がするが、まあそれはどちらでも良い。右でも左でもよくできた理想は美しいのであり、それが体現されれば評価に値するのだと思う。そしてこの映画の主人公、恩地は、しっかりとしたぶれない芯を持ち合わせた、誠実な人間として描かれている。
恩地の根底にあるのは三方良しの考えだろう。全ての人間が喜びを享受できる状態こそが理想なのだ。労組での賃上げや職場環境の改善要求などもそうだ。
不当な待遇の改善による社員の救済。それによって生まれるサービスの向上により、客に安心と満足を提供し、ひいては会社全体、社会全体の利益に繋げるということを目指しているのだろう。
これは一種の一体化だ。会社との一体化。社会との一体化。相手との一体化。つまり、自分だけのことや目先だけのことに囚われずに、自分がそのものになったかのように考える力。
航空機事故の際に世話係として被害者と接した恩地が、その後に会長から抜擢されてもなお被害者のことを思い続けていた力。
そこに絶対の正義を見いだし、信念として貫いている。
一方、恩地や、恩地と共鳴する信念ある人物達と敵対するのが、これでもかというくらいに汚く描かれた人間達だ。
彼らは一体化や三方良しの精神とはかけ離れた言動を見せる。つまりは自己中心的であり、保身に走り、利益の独占を図るということ。
国民航空の立て直しを計りながらも、火の粉が自分にかかりそうになるとあっさり見切りをつける政治家。金と女で何でも書くライター、出世と私腹を肥やすことにだけ興味を持ち、享楽に溺れる会社役員。
「僕らが役員に就く前に起きた事故なんだから、実感なんて無いし、責任は取れないよ」
公の利益など顧みず、自分達がその組織の一部であるという責任が欠如している人間達。
彼らは結局、崇高な信念や理想を持ち合わせていなかった。道徳を持ち合わせていなかった。だからこそ、欲や感情につけ込まれた。
信念を持ってそれを忠実に守りながら生き続けることはとても辛く、難しいことだろう。
人は欲に弱い。だからこそ悪もはびこるし、勢力は増す。そして実際、汚れていた方が生きやすいのだ。彼らはそういう意味では強い。自身が生き残るために何でもするし、出来るからだ。
この映画でも、必ずしも悪は全て滅していない。
ところが一方で、その末路はどうか。心の内には安楽があるのだろうか。恩地は言う。
「あいつらの方が辛いのかも知れない。流れから落っこちないように、必死にしがみついて」
信念を貫いた恩地のその人生は、決して楽ではなかった。が、一方でやましいところ無く、正義のために信念を貫いた10年間の海外赴任は、次第に彼の胸の内で燦々と輝きを放つようになった。
その経験はきっとこれから、自負と誇りとして彼を支え続けることになる、まさに、沈まぬ太陽なのだ。
-----------------------------------------------------------------
現実問題として、恩地のような生き方など出来るだろうか。
大変リスクの大きい生き方だ。家族の離散や、暗い行く末は実際起こりやすいのではないかと思える。彼ほどの人格者であっても、周囲の人間はついて行けない場合があるからだ。
そういう意味では、八木のようなやり方もある。彼の場合は極端だったが。
いずれにしても、現代社会というのはしがらみと謀略の入り交じった世界であり、野生として解放されたサバンナとは全く違う。自分が何なのかわからなくなると言うことはない、その自然の生き方とは、まるで対照的なのだな。
ネタバレとかたぶんあります。
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昭和30年代、主人公の恩地元は巨大企業・国民航空で働き、労働組合の委員長を務めていた。友人で同期の副委員長・行天四郎や後輩で書記長の八木などと共に職場環境の改善のために会社と闘い、力を示していた。
しかし、その後懲罰人事で海外へ派遣されると、更に僻地を転々と赴任させられる。会社に謝罪して労組を離れることで帰国させると言われるが、自身の信念の下、恩地はそれを拒む。
次第に自身の家族との溝や親の不幸、内心の葛藤で狂気に襲われ、また、日本に残された組合への切り崩し、組合員への懲罰人事などに責任を感じる。
10年が経ち、ようやく帰国した恩地だったが、その時に航空機墜落事故が発生する。国民航空の立て直しが日本政府の課題としてあり、その中で選ばれた会長の下、恩地はかつての実績を評価され、改革のための人員として抜擢されるのだが……。
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山崎豊子の同名小説を映画化。
本編は3時間を超える超大作であり、途中数分間の休憩がある。
どちらかというと左翼色が強いような気がするが、まあそれはどちらでも良い。右でも左でもよくできた理想は美しいのであり、それが体現されれば評価に値するのだと思う。そしてこの映画の主人公、恩地は、しっかりとしたぶれない芯を持ち合わせた、誠実な人間として描かれている。
恩地の根底にあるのは三方良しの考えだろう。全ての人間が喜びを享受できる状態こそが理想なのだ。労組での賃上げや職場環境の改善要求などもそうだ。
不当な待遇の改善による社員の救済。それによって生まれるサービスの向上により、客に安心と満足を提供し、ひいては会社全体、社会全体の利益に繋げるということを目指しているのだろう。
これは一種の一体化だ。会社との一体化。社会との一体化。相手との一体化。つまり、自分だけのことや目先だけのことに囚われずに、自分がそのものになったかのように考える力。
航空機事故の際に世話係として被害者と接した恩地が、その後に会長から抜擢されてもなお被害者のことを思い続けていた力。
そこに絶対の正義を見いだし、信念として貫いている。
一方、恩地や、恩地と共鳴する信念ある人物達と敵対するのが、これでもかというくらいに汚く描かれた人間達だ。
彼らは一体化や三方良しの精神とはかけ離れた言動を見せる。つまりは自己中心的であり、保身に走り、利益の独占を図るということ。
国民航空の立て直しを計りながらも、火の粉が自分にかかりそうになるとあっさり見切りをつける政治家。金と女で何でも書くライター、出世と私腹を肥やすことにだけ興味を持ち、享楽に溺れる会社役員。
「僕らが役員に就く前に起きた事故なんだから、実感なんて無いし、責任は取れないよ」
公の利益など顧みず、自分達がその組織の一部であるという責任が欠如している人間達。
彼らは結局、崇高な信念や理想を持ち合わせていなかった。道徳を持ち合わせていなかった。だからこそ、欲や感情につけ込まれた。
信念を持ってそれを忠実に守りながら生き続けることはとても辛く、難しいことだろう。
人は欲に弱い。だからこそ悪もはびこるし、勢力は増す。そして実際、汚れていた方が生きやすいのだ。彼らはそういう意味では強い。自身が生き残るために何でもするし、出来るからだ。
この映画でも、必ずしも悪は全て滅していない。
ところが一方で、その末路はどうか。心の内には安楽があるのだろうか。恩地は言う。
「あいつらの方が辛いのかも知れない。流れから落っこちないように、必死にしがみついて」
信念を貫いた恩地のその人生は、決して楽ではなかった。が、一方でやましいところ無く、正義のために信念を貫いた10年間の海外赴任は、次第に彼の胸の内で燦々と輝きを放つようになった。
その経験はきっとこれから、自負と誇りとして彼を支え続けることになる、まさに、沈まぬ太陽なのだ。
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現実問題として、恩地のような生き方など出来るだろうか。
大変リスクの大きい生き方だ。家族の離散や、暗い行く末は実際起こりやすいのではないかと思える。彼ほどの人格者であっても、周囲の人間はついて行けない場合があるからだ。
そういう意味では、八木のようなやり方もある。彼の場合は極端だったが。
いずれにしても、現代社会というのはしがらみと謀略の入り交じった世界であり、野生として解放されたサバンナとは全く違う。自分が何なのかわからなくなると言うことはない、その自然の生き方とは、まるで対照的なのだな。
カイジ~人生逆転ゲーム~
2009年10月16日 映画 14日に「カイジ~人生逆転ゲーム~」を観てきました。
ネタバレあり。注意。
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その日暮らしで毎日を無為に過ごし、周囲から負け組み視されながらも自分は負け組であることを認めようとしないカイジは、ヤミ金業者に連帯保証人となっていた債務を請求されてしまう。
当然返済できないカイジはヤミ金の返済をチャラに出来る方法があると提案され、「人生を変えることが出来る」という言葉に刺激を受け、乗ってしまう。
それは客船でゲームをすると言うもの。勝てばチャラ。その代わり、負けたときには自分の身がどうなるかわからないというものだった。
カイジは自分の人生を賭けて、ゲームを戦っていく……。
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まず結論から。率直に言って、面白かったです。
色恋沙汰など全くない。あるのは勝負と、それに付随する人生の格差。その中を生き抜く人の生き様だけ。
恋愛映画でときめきたい人とか、コメディで心底笑いたい、ノーテンキになりたいと言う気分の人には、向かないと思います。思いますが、面白いですよ。
副題に「人生逆転ゲーム」とあるように、負け組みであるカイジが勝ち上がっていく様を描いている。この映画は基本的に勝ち組と負け組、搾取する側とされる側、立場の上下など、2極構造で描かれている。
搾取する側は巧妙に、知恵を巡らせ、相手に気付かれないように自分達に有利な仕組みを構築していく。この映画で言えば、ゲームにおける駆け引きによって相手を出し抜いたり、優位に立ったりすることであり、あるいは地下世界の搾取の仕組みやブレイブ・メン・ロードにおける観客と挑戦者の立場の格差であったりする。
負け組みに属す人間はその仕組みや思惑に気付かなかったり、その世界に適応して現状に満足してしまったりする。つまり、問題意識がない。自分を変えようという、積極的な行動に出ない。
負け組みが負け組みたる所以はそこである。勝ち組でさえも、無為な日常に埋没しかねない。
何をもって本当の勝ち組とするかを問えば、この映画は目的意識を持って自分を向上させていく人間こそ本当の勝ち組だと答えるのだろう。
すなわち、生きているという強い実感をもって、輝いている人間こそ、勝ち組なのだ。
資本主義や競争原理主義による格差社会の醜さをこの映画は描いている。しかし劇中、その象徴である帝愛や地下世界は滅びていない。カイジは勝ち上がっていくが、それはカイジが勝ったというだけで、仕組みその物を壊したわけではない。
競争や格差という物は厳然としてそこにある。それをこの映画は認めている。人が生きていく上で、それは仕方がないことなのだ。問題は、その中で人としてどう生きていくのか、と言うことなのだろう。
カイジ自身、自分を変えるために立ち上がるのは、そうした仕組みの中で目覚めたからに他ならないのだ。
さて、実際問題として、帝愛が滅びなかったのは、原作がそうだったからなのかもしれないし、続編を意識していたということもあるのかもしれない。
最後まで観てみて、続編が作れそうな終わり方をしている。それは今後この映画の反響を窺ってからと言うことなのかもしれない。
自分は原作を読んでいないので、どの程度原作に忠実なのかはわからない。原作と比較して論じることも、面白さを比べることも出来ないが、この映画単体で観たときに、自分は充分素晴らしい出来だと思えた。
まず主演の藤原竜也を始め、香川照之さん、天海祐希さんを始め、脇の山本太郎、光石研など、出演するメンバーが皆素晴らしい演技をしていた。特に、脇では松尾スズキさん、主演では香川さんの演技は見応え充分。
香川さんというと度を超えた、誇張した演技が好きなのだけど、この映画では存分に発揮されている。喋り方から表情まで、良かったー。
俳優達の演技(怪演)がこの映画の魅力の大きな一つになっていることは間違いないと思います。
またスタッフも良い仕事をしていたと思います。
観ていてこの映画、演出が上手いなーと思っていたら、監督の佐藤東弥さんはテレビドラマで多く演出を手がけていた模様。
カット割りも細かく、しかも効果的に使われていた。ということは、事前に想定していたのか、思い付きでとりあえずということなのか、いずれにしてもパーツとしてのカットを撮り溜めていたということだ。撮影が大変だったんじゃないかと、素人の自分としては思ってしまう。
北野武監督は編集作業をプラモデルに例えている。組み立てるパーツ(カット)を用意して、それを色々いじってくっつけたり離したりする作業。
編集はきっと監督さんがやっているのだと思うが、構成能力があると思うし、ちょっと注目しなければいけない監督さんだ。
脚本にしても美術にしてもとにかくスタッフ全員の力が結集されてとても良い仕上がりになっていると思います。
もちろん疑問に思える部分もあるわけです。カイジは利根川が自分の行動を見ていたと確信を持って最後の大博打に出るわけだけど、見ていたとなぜ確信できたのか。自分が見落としていただけだろうか?
「さすがここまで勝ち残ってきただけはある」と言うが、橋を渡っただけで駆け引きの問題じゃないだろとか、上映時間にしてももう少し短くできたように思ったりだとか。
ただ、見終わったときに面白かったと思える作品はそう言った細かいところも許せてしまったりします。
果たして続編は作られるのだろうか?
今作が様々な相互作用によって面白くなっただけに、次回があるとしたら少々不安だが。
ネタバレあり。注意。
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その日暮らしで毎日を無為に過ごし、周囲から負け組み視されながらも自分は負け組であることを認めようとしないカイジは、ヤミ金業者に連帯保証人となっていた債務を請求されてしまう。
当然返済できないカイジはヤミ金の返済をチャラに出来る方法があると提案され、「人生を変えることが出来る」という言葉に刺激を受け、乗ってしまう。
それは客船でゲームをすると言うもの。勝てばチャラ。その代わり、負けたときには自分の身がどうなるかわからないというものだった。
カイジは自分の人生を賭けて、ゲームを戦っていく……。
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まず結論から。率直に言って、面白かったです。
色恋沙汰など全くない。あるのは勝負と、それに付随する人生の格差。その中を生き抜く人の生き様だけ。
恋愛映画でときめきたい人とか、コメディで心底笑いたい、ノーテンキになりたいと言う気分の人には、向かないと思います。思いますが、面白いですよ。
副題に「人生逆転ゲーム」とあるように、負け組みであるカイジが勝ち上がっていく様を描いている。この映画は基本的に勝ち組と負け組、搾取する側とされる側、立場の上下など、2極構造で描かれている。
搾取する側は巧妙に、知恵を巡らせ、相手に気付かれないように自分達に有利な仕組みを構築していく。この映画で言えば、ゲームにおける駆け引きによって相手を出し抜いたり、優位に立ったりすることであり、あるいは地下世界の搾取の仕組みやブレイブ・メン・ロードにおける観客と挑戦者の立場の格差であったりする。
負け組みに属す人間はその仕組みや思惑に気付かなかったり、その世界に適応して現状に満足してしまったりする。つまり、問題意識がない。自分を変えようという、積極的な行動に出ない。
負け組みが負け組みたる所以はそこである。勝ち組でさえも、無為な日常に埋没しかねない。
何をもって本当の勝ち組とするかを問えば、この映画は目的意識を持って自分を向上させていく人間こそ本当の勝ち組だと答えるのだろう。
すなわち、生きているという強い実感をもって、輝いている人間こそ、勝ち組なのだ。
資本主義や競争原理主義による格差社会の醜さをこの映画は描いている。しかし劇中、その象徴である帝愛や地下世界は滅びていない。カイジは勝ち上がっていくが、それはカイジが勝ったというだけで、仕組みその物を壊したわけではない。
競争や格差という物は厳然としてそこにある。それをこの映画は認めている。人が生きていく上で、それは仕方がないことなのだ。問題は、その中で人としてどう生きていくのか、と言うことなのだろう。
カイジ自身、自分を変えるために立ち上がるのは、そうした仕組みの中で目覚めたからに他ならないのだ。
さて、実際問題として、帝愛が滅びなかったのは、原作がそうだったからなのかもしれないし、続編を意識していたということもあるのかもしれない。
最後まで観てみて、続編が作れそうな終わり方をしている。それは今後この映画の反響を窺ってからと言うことなのかもしれない。
自分は原作を読んでいないので、どの程度原作に忠実なのかはわからない。原作と比較して論じることも、面白さを比べることも出来ないが、この映画単体で観たときに、自分は充分素晴らしい出来だと思えた。
まず主演の藤原竜也を始め、香川照之さん、天海祐希さんを始め、脇の山本太郎、光石研など、出演するメンバーが皆素晴らしい演技をしていた。特に、脇では松尾スズキさん、主演では香川さんの演技は見応え充分。
香川さんというと度を超えた、誇張した演技が好きなのだけど、この映画では存分に発揮されている。喋り方から表情まで、良かったー。
俳優達の演技(怪演)がこの映画の魅力の大きな一つになっていることは間違いないと思います。
またスタッフも良い仕事をしていたと思います。
観ていてこの映画、演出が上手いなーと思っていたら、監督の佐藤東弥さんはテレビドラマで多く演出を手がけていた模様。
カット割りも細かく、しかも効果的に使われていた。ということは、事前に想定していたのか、思い付きでとりあえずということなのか、いずれにしてもパーツとしてのカットを撮り溜めていたということだ。撮影が大変だったんじゃないかと、素人の自分としては思ってしまう。
北野武監督は編集作業をプラモデルに例えている。組み立てるパーツ(カット)を用意して、それを色々いじってくっつけたり離したりする作業。
編集はきっと監督さんがやっているのだと思うが、構成能力があると思うし、ちょっと注目しなければいけない監督さんだ。
脚本にしても美術にしてもとにかくスタッフ全員の力が結集されてとても良い仕上がりになっていると思います。
もちろん疑問に思える部分もあるわけです。カイジは利根川が自分の行動を見ていたと確信を持って最後の大博打に出るわけだけど、見ていたとなぜ確信できたのか。自分が見落としていただけだろうか?
「さすがここまで勝ち残ってきただけはある」と言うが、橋を渡っただけで駆け引きの問題じゃないだろとか、上映時間にしてももう少し短くできたように思ったりだとか。
ただ、見終わったときに面白かったと思える作品はそう言った細かいところも許せてしまったりします。
果たして続編は作られるのだろうか?
今作が様々な相互作用によって面白くなっただけに、次回があるとしたら少々不安だが。
1日に火天の城を見てきました。感想を書きます。
ネタバレ注意。
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主人公である宮大工の岡部又右衛門は信長から安土城の築城を依頼される。
指図(図面)争いから実際の築城、完成に至るまでの3年にわたる険しい道のりを描く。
----------------------------------------------------------------
まず個人的なことだが、この映画のことを誤解していた。見る前はもっとテクニカルなもの、ロジカルなものだろうと思っていたのだ。
つまり、城の仕組みがどうなっていて、作る際の技術的な問題、人員との確執、戦に絡んだ苦悩などが描かれるのだと思っていた。
しかし実際には、もっと人情や感情に訴えかけるエモーショナルな物だったのだ。
冒頭(時間ギリギリに館内に入ったため)もし見逃していなければ、主人公岡部又右衛門がそれまでどういう経歴を持っていて、どういう人物なのか、どのように評価されているのかと言うことがほとんど紹介されない。
上映時間が2時間20分あり、経歴を省いてもこれだけかかっているのだから、仕方がないのかもしれない。
早々に安土城築城を依頼されるのだが、基本的に話が進んでいく中で、彼がどのような人柄なのか、と言うことを見せていく。
彼は請け負った仕事に対して真摯に、没頭して取り組む。自らの命をかけて完成へ全力を尽くす。当たり前なのだが職人気質なのだ。だがそれだけではなく、人と分け隔て無く接し、感謝し、敬意を持ち、気を遣う。
その態度や心が周囲の人間、部下や、妻や、あるいは敵方の人間、心を閉ざした人間達までも惹きつける。
彼の職人としての腕はもちろん、そう言った人間的な魅力が集団のまとまりを生み、成功へと導いたと言える。
組織のリーダー、あるいは部下を従えるような人間が見てみると、彼の生き方が参考になるかもしれない。
映画としては又右衛門の視点を中心に安土城築城を軸にして、家族との確執、娘や大工の少年の成長、周囲の戦による苦悩や色恋などを併走させている。
ただどれをとっても、どうにもいまいち中途半端になってしまっているような気がしなくもない。
築城に関して言えば、例えば指図争いや、親柱の確保、戦争での人員流出、蛇石運びの最中の妨害工作など、3年の中の要所要所を切り取って見せている。
しかし本当に部分部分だし、難題続出という感じでもないため、作中頻繁に出て来る「本当にこの城は完成するのか?」というセリフが、こちらとしてはいまいちその重みを実感できない。
その他のエピソードにしても時間的な制約か、脚本か、あるいはそもそもの原作に由来するのかわからないが、どうしても印象が薄い。
少年の成長物語にしても、出兵後の空白期間が長すぎて、最後の最後でいきなり帰ってきて凄みを増されていても、こちらとしてはちょっといただけない。そのプロセスを知りたいのだから。
また、繋ぎ方がいちいち雑なように感じた。エピソード同士も飛び石のように感じる(3年という長丁場なので仕方がないのかもしれない)が、更にカットとカットの繋ぎ方ももうちょっとスムーズに出来る工夫があるだろうと思える。これは編集の仕方や、編集を見越してカットのパーツを増やす撮影が必要と言うこと。
例えば市造の成長を感じるシーン。
市造の削った型を見て平次と弥吉(だっけ?)が納得するカットから、市造の名札を上役(?)へ入れ替えるカット、この間に例えば型のアップ、あるいは名札のアップを一回ポンといれて、そこから引きのカットを入れてみたりすればブツ切り感は多少なくなるのでは。外のシーンでの周囲の雑音を、型のアップ時にもうちょっと絞ってもいいかもしれない。
話としては所々感情に訴えかけられる部分も割合あったと思う。
戦いへの疑問、人との信頼関係、そう言った物が描かれてはいたが、作品全体として見たときの満足度はそれほど高くはなかった。
安土城築城と言うよりは、人情話を見たい人向けの映画。
時代物なので、安土桃山時代前後の予備知識があればなお良いかも。
ネタバレ注意。
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主人公である宮大工の岡部又右衛門は信長から安土城の築城を依頼される。
指図(図面)争いから実際の築城、完成に至るまでの3年にわたる険しい道のりを描く。
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まず個人的なことだが、この映画のことを誤解していた。見る前はもっとテクニカルなもの、ロジカルなものだろうと思っていたのだ。
つまり、城の仕組みがどうなっていて、作る際の技術的な問題、人員との確執、戦に絡んだ苦悩などが描かれるのだと思っていた。
しかし実際には、もっと人情や感情に訴えかけるエモーショナルな物だったのだ。
冒頭(時間ギリギリに館内に入ったため)もし見逃していなければ、主人公岡部又右衛門がそれまでどういう経歴を持っていて、どういう人物なのか、どのように評価されているのかと言うことがほとんど紹介されない。
上映時間が2時間20分あり、経歴を省いてもこれだけかかっているのだから、仕方がないのかもしれない。
早々に安土城築城を依頼されるのだが、基本的に話が進んでいく中で、彼がどのような人柄なのか、と言うことを見せていく。
彼は請け負った仕事に対して真摯に、没頭して取り組む。自らの命をかけて完成へ全力を尽くす。当たり前なのだが職人気質なのだ。だがそれだけではなく、人と分け隔て無く接し、感謝し、敬意を持ち、気を遣う。
その態度や心が周囲の人間、部下や、妻や、あるいは敵方の人間、心を閉ざした人間達までも惹きつける。
彼の職人としての腕はもちろん、そう言った人間的な魅力が集団のまとまりを生み、成功へと導いたと言える。
組織のリーダー、あるいは部下を従えるような人間が見てみると、彼の生き方が参考になるかもしれない。
映画としては又右衛門の視点を中心に安土城築城を軸にして、家族との確執、娘や大工の少年の成長、周囲の戦による苦悩や色恋などを併走させている。
ただどれをとっても、どうにもいまいち中途半端になってしまっているような気がしなくもない。
築城に関して言えば、例えば指図争いや、親柱の確保、戦争での人員流出、蛇石運びの最中の妨害工作など、3年の中の要所要所を切り取って見せている。
しかし本当に部分部分だし、難題続出という感じでもないため、作中頻繁に出て来る「本当にこの城は完成するのか?」というセリフが、こちらとしてはいまいちその重みを実感できない。
その他のエピソードにしても時間的な制約か、脚本か、あるいはそもそもの原作に由来するのかわからないが、どうしても印象が薄い。
少年の成長物語にしても、出兵後の空白期間が長すぎて、最後の最後でいきなり帰ってきて凄みを増されていても、こちらとしてはちょっといただけない。そのプロセスを知りたいのだから。
また、繋ぎ方がいちいち雑なように感じた。エピソード同士も飛び石のように感じる(3年という長丁場なので仕方がないのかもしれない)が、更にカットとカットの繋ぎ方ももうちょっとスムーズに出来る工夫があるだろうと思える。これは編集の仕方や、編集を見越してカットのパーツを増やす撮影が必要と言うこと。
例えば市造の成長を感じるシーン。
市造の削った型を見て平次と弥吉(だっけ?)が納得するカットから、市造の名札を上役(?)へ入れ替えるカット、この間に例えば型のアップ、あるいは名札のアップを一回ポンといれて、そこから引きのカットを入れてみたりすればブツ切り感は多少なくなるのでは。外のシーンでの周囲の雑音を、型のアップ時にもうちょっと絞ってもいいかもしれない。
話としては所々感情に訴えかけられる部分も割合あったと思う。
戦いへの疑問、人との信頼関係、そう言った物が描かれてはいたが、作品全体として見たときの満足度はそれほど高くはなかった。
安土城築城と言うよりは、人情話を見たい人向けの映画。
時代物なので、安土桃山時代前後の予備知識があればなお良いかも。
9月27日の日記。おくりびととグエムル。
2009年9月27日 映画「おくりびと」と「グエムル-漢江の怪物-」がテレビでやっていたので、簡単な個人的感想を。
「おくりびと」に関しては、騒がれているほどずば抜けて良い作品だったかと言うと、自分としてはそこまでの印象は抱かなかった。いや、語弊があるかな。良作だったことは間違いない。
テンポも良いし、緩急も効いていた。ユーモアがある一方でしっとりさせるところはさせる。全体的に優しさがあり、愛情に溢れ、考えさせるところは考えさせる。でも「死」というテーマを扱いながら、全体的に軽妙なタッチで深刻すぎず、とても観やすかったと言える。
そう、観やすかった、のだ。
なぜこの映画にそれほど強い印象を抱かなかったかというと、この見やすさが影響しているのかもしれない。つまり、お腹一杯になるような映画ではない。へとへとになる映画ではない。腹八分目で舌鼓を打つような、心地良い余韻を残して終わる映画だったからなのかな、と考えた。
ただそれにしても、劇中に主人公が職業のことで偏見というか、侮蔑的な言葉を散々浴びていたり、見下げられたりしていたのだけど、これが個人的にはさっぱりわからなかった。
それほど死者を扱う仕事というのは軽蔑されるような物なのだろうか?
確かに3Kだし、体面や空気的に言うことがはばかられるのもわからなくはない。神道的な穢れの意識も潜在的には多少はあるのだろうし、地方の田舎でならそう言ったことが特別視されることもあるだろう。また、あの仕事自体あまりメジャーではないだろうし。
ただそれにしたってあの言われようはないんじゃないかという気はした。
主人公はそこに葛藤を抱く。「死」や自分の人生という物を考えることになる大きな問題なのだ。だが、観ていて、周囲の人間の反応と自分の意識にやや温度差があり、違和感を覚えてしまったため、なぜこんなことになるんだという思いばかりが先立ってしまった。
あるいはあえてそうすることによって、観客に「ここを考えてください」と言っているのかもしれない。そう、見せているのかもしれない。
「グエムル」については途中からの視聴。
プロモーションやタイトルからは、もっとこう、ゴジラのようなエンターテインメント性の高いものかと思っていた。しかし実際はそういう感じではなく、どちらかというと在韓米軍(あるいは米軍その物の)批判や人間ドラマ(?)を中心とした作品だった。
怪物はあくまでも作品を動かす要素に過ぎず、魅力があるかと言われるとそれほど感じなかった。
韓国では大ヒットしたそうだが、そう言った米軍への不満があることもヒットの要因の一つにあるのではないか。
作品全体としてみたときには、コミカルな要素があったり、グエムルを探し出すために行動しているときの緊迫した感じなど、惹きつけられる要素は大いにあったが、一方でアンバランスさも感じた。
冗長と取れるカットが散見される一方で、淡泊且つ説明が省かれすぎているんじゃないかと思えるシーンもあり。また、不必要な展開じゃないかと思える部分もある。脚本の問題もあるし、監督自身の問題もあるのだと思う。
アクション重視の作品と思ってみると肩すかしを食うのではないだろうか。
プロモーションも難しかったかもしれない。(最も、客を呼ぶためだけだったら怪獣のシーンを使えば楽なんだろうけど)
細かいところで損をしているような映画だと感じた。
この2つの作品はテレビで観たのであり、合間合間にCMを挟んでいる。
また、冒頭などを見逃したりもしているし、そういう意味では、参考記録程度に留めたい。
「おくりびと」に関しては、騒がれているほどずば抜けて良い作品だったかと言うと、自分としてはそこまでの印象は抱かなかった。いや、語弊があるかな。良作だったことは間違いない。
テンポも良いし、緩急も効いていた。ユーモアがある一方でしっとりさせるところはさせる。全体的に優しさがあり、愛情に溢れ、考えさせるところは考えさせる。でも「死」というテーマを扱いながら、全体的に軽妙なタッチで深刻すぎず、とても観やすかったと言える。
そう、観やすかった、のだ。
なぜこの映画にそれほど強い印象を抱かなかったかというと、この見やすさが影響しているのかもしれない。つまり、お腹一杯になるような映画ではない。へとへとになる映画ではない。腹八分目で舌鼓を打つような、心地良い余韻を残して終わる映画だったからなのかな、と考えた。
ただそれにしても、劇中に主人公が職業のことで偏見というか、侮蔑的な言葉を散々浴びていたり、見下げられたりしていたのだけど、これが個人的にはさっぱりわからなかった。
それほど死者を扱う仕事というのは軽蔑されるような物なのだろうか?
確かに3Kだし、体面や空気的に言うことがはばかられるのもわからなくはない。神道的な穢れの意識も潜在的には多少はあるのだろうし、地方の田舎でならそう言ったことが特別視されることもあるだろう。また、あの仕事自体あまりメジャーではないだろうし。
ただそれにしたってあの言われようはないんじゃないかという気はした。
主人公はそこに葛藤を抱く。「死」や自分の人生という物を考えることになる大きな問題なのだ。だが、観ていて、周囲の人間の反応と自分の意識にやや温度差があり、違和感を覚えてしまったため、なぜこんなことになるんだという思いばかりが先立ってしまった。
あるいはあえてそうすることによって、観客に「ここを考えてください」と言っているのかもしれない。そう、見せているのかもしれない。
「グエムル」については途中からの視聴。
プロモーションやタイトルからは、もっとこう、ゴジラのようなエンターテインメント性の高いものかと思っていた。しかし実際はそういう感じではなく、どちらかというと在韓米軍(あるいは米軍その物の)批判や人間ドラマ(?)を中心とした作品だった。
怪物はあくまでも作品を動かす要素に過ぎず、魅力があるかと言われるとそれほど感じなかった。
韓国では大ヒットしたそうだが、そう言った米軍への不満があることもヒットの要因の一つにあるのではないか。
作品全体としてみたときには、コミカルな要素があったり、グエムルを探し出すために行動しているときの緊迫した感じなど、惹きつけられる要素は大いにあったが、一方でアンバランスさも感じた。
冗長と取れるカットが散見される一方で、淡泊且つ説明が省かれすぎているんじゃないかと思えるシーンもあり。また、不必要な展開じゃないかと思える部分もある。脚本の問題もあるし、監督自身の問題もあるのだと思う。
アクション重視の作品と思ってみると肩すかしを食うのではないだろうか。
プロモーションも難しかったかもしれない。(最も、客を呼ぶためだけだったら怪獣のシーンを使えば楽なんだろうけど)
細かいところで損をしているような映画だと感じた。
この2つの作品はテレビで観たのであり、合間合間にCMを挟んでいる。
また、冒頭などを見逃したりもしているし、そういう意味では、参考記録程度に留めたい。
ネタバレがありますので注意。
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強固なセキュリティを背景に世界中の人々や行政機関、地方自治体が参加するインターネット上の仮想世界OZが成立している世界。
夏休み。
物理部に所属する小磯健二は友人とOZのメンテナンス作業をするアルバイトを行うことになっていた。そこへ学校の先輩でありアイドル的存在の篠原夏希がやってきて、アルバイトを提案される。それは、夏希の田舎の本家へと一緒に来て欲しいという物だった。
引き受けたものの、実はそれは夏希のフィアンセのふりをするという内容で健二は動揺する。名家である陣内一族の面々が続々と集まる中、押し切られる形で承諾したが、そんな折に世界を巻き込む大事件が進行していた。
田舎に集まった一家と健二は、いつの間にかその事件の中心へと関係していくことになる。
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作品は喜怒哀楽を刺激される極上のエンターテインメントに仕上がっている。
上映時間は2時間弱と程良い長さ。脚本が良いのか監督の手腕なのか、物語はテンポよく進み、しかもその中で動静にメリハリがある。しっとりと見せるところは見せ、畳み掛けるところは畳み掛ける。
作品の主題は間違いなく家族で、もっと言えば人と人の絆、繋がりを描いている。
日本の各地に散らばる陣内家の面々が一所に集まり、賑やかに楽しげに旧交を交わす姿が描かれ、その中心として陣内家の当主、陣内栄が置かれている。
彼女は人望という言葉を絵に描いたように慕われ、また実際にそれを体現してみせる。
人を愛し、人を信頼し、そしてその繋がりを大切にするというところを見せる。それは人としての当然の在り方として実行されている。
そんな彼女の元に一族は結束して大事件に挑む。それどころか、日本中の、あるいは世界中の人間達が絆で結ばれていくのだ。
人というのはやはり、完璧ではない。どこかに欠点を持っている。だからこそ、人との繋がりの中でそれは補強され、自身を強化することが出来る。
この作品の中で基本的な視点は小磯健二なのだが、実際は彼は大勢の中の一人であり、狂言回しのような存在でもある。
皆がそれぞれに生き、主人公が次々入れ替わっているのだ。
小磯健二は数学に関する能力には秀でた物があったが、数学オリンピックの代表になり損ねてしまう。劇中でも性格的な弱さや、計算ミスをする場面が描かれている。
つまり、彼は瀬戸際の強さが足りなかった。それは自分に対する自信の無さの表れなのかもしれない。彼は自分の家族との交流が乏しかった。
しかし事件の最中、陣内一族との触れ合いを経て、彼らから強さを貰う。信頼と絆という強さだ。
13歳の池沢佳主馬はいじめられっ子だった過去に陣内万助に少林寺拳法を倣って自分を強化した。そしてそれはOZの格闘ゲームに活かされている。
劇中での敵との戦いにおいて、彼は何度も挫折を味わう。しかしその度に、家族達の支えで復活を見せる。
劇中の重要人物、陣内侘助も、篠原夏希も、みなそうして関わりの中で強くなっていくのだ。
物語は全編を通して退屈さを感じる暇もないほど濃密に描かれている。
設定の面白さや構成のうまさなど色々あるのだが、その中でもやはり一番観客を引きつけるのはヴィジュアルイメージの秀逸さではないだろうか。
現実世界の風景、名家の佇まいなどもそうだが、仮想空間であるOZの表現が非常にユニークであり、壮麗である。色遣いが多様で楽しげである。
この作品を成立させるための土台となるOZでは、個人のアバターを持つことが出来、OZの中では買い物からゲーム、各種手続きなど様々なことが出来るし、また実世界での職業的権限を、そのアバターが持つことが出来るなど、とにかく至れり尽くせりの機能が備わっている。
そう言った機能のひとつひとつが好奇心を刺激されるような作りになっている。
各個人のアバターはそれぞれの性格を反映された作りになっていて、それを見ているだけでも楽しい。
敵がシステムを混乱させる表現も面白く、敵との戦いも迫力があり、壮大なイメージを駆使して描かれている。OZの世界が緻密に描かれ、そこでは現実世界を超越した表現で見せられるから、圧倒される。
話が小難しくてわからなくても、絵を見ていればなんとなくわかるし、別に細かなことは気にならなくなる。
脚本は誰かと思って調べたら、奥寺佐渡子さん。
「学校の怪談」の脚本を書いた人だった。なるほど、通りでキャラクター同士の距離感が心地良く描かれているわけだと思った。
甘酸っぱいというか、仄かな恋愛模様も上手い。
また、登場人物の量が半端ではないのにもかかわらず、それぞれの個性がきちんと描かれ、且つ過剰でも過少でもないのは、この脚本を始めとした、スタッフ全員の力の賜物だろう。
ただし、そうした作品の設定の情報量が多すぎる結果、2時間でまとめるとなるとどうしても総花的にならざるを得ない。
そこで少し説明が足りないのではないかと思われる部分もないとは言わない。
例えば主人公の家庭環境もそうだ。陣内一族に感化されるならば、そうなるそもそもの理由があるとわかりやすい。
個人的に特に気になったのは、なぜ主人公がアルバイトとして夏希に選ばれたのか。それまでの健二と夏希の関係だ。
フィアンセという設定なのだから、決して嫌っているような人間ではないはず。ボディタッチなども多く(彼女が天然の小悪魔でないならば)、好感自体は抱いていたのかもしれない。
最終的に関わりの中で強くなっていった健二に惹かれることは別にいいとして、そもそもこの物語が始まる導入部分の二人の関係が曖昧だったことが、自分には最後まで引っかかった。
いずれにしろ、良作。
いつか彼のためにスタジオが作られたりして……なんてね。
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強固なセキュリティを背景に世界中の人々や行政機関、地方自治体が参加するインターネット上の仮想世界OZが成立している世界。
夏休み。
物理部に所属する小磯健二は友人とOZのメンテナンス作業をするアルバイトを行うことになっていた。そこへ学校の先輩でありアイドル的存在の篠原夏希がやってきて、アルバイトを提案される。それは、夏希の田舎の本家へと一緒に来て欲しいという物だった。
引き受けたものの、実はそれは夏希のフィアンセのふりをするという内容で健二は動揺する。名家である陣内一族の面々が続々と集まる中、押し切られる形で承諾したが、そんな折に世界を巻き込む大事件が進行していた。
田舎に集まった一家と健二は、いつの間にかその事件の中心へと関係していくことになる。
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作品は喜怒哀楽を刺激される極上のエンターテインメントに仕上がっている。
上映時間は2時間弱と程良い長さ。脚本が良いのか監督の手腕なのか、物語はテンポよく進み、しかもその中で動静にメリハリがある。しっとりと見せるところは見せ、畳み掛けるところは畳み掛ける。
作品の主題は間違いなく家族で、もっと言えば人と人の絆、繋がりを描いている。
日本の各地に散らばる陣内家の面々が一所に集まり、賑やかに楽しげに旧交を交わす姿が描かれ、その中心として陣内家の当主、陣内栄が置かれている。
彼女は人望という言葉を絵に描いたように慕われ、また実際にそれを体現してみせる。
人を愛し、人を信頼し、そしてその繋がりを大切にするというところを見せる。それは人としての当然の在り方として実行されている。
そんな彼女の元に一族は結束して大事件に挑む。それどころか、日本中の、あるいは世界中の人間達が絆で結ばれていくのだ。
人というのはやはり、完璧ではない。どこかに欠点を持っている。だからこそ、人との繋がりの中でそれは補強され、自身を強化することが出来る。
この作品の中で基本的な視点は小磯健二なのだが、実際は彼は大勢の中の一人であり、狂言回しのような存在でもある。
皆がそれぞれに生き、主人公が次々入れ替わっているのだ。
小磯健二は数学に関する能力には秀でた物があったが、数学オリンピックの代表になり損ねてしまう。劇中でも性格的な弱さや、計算ミスをする場面が描かれている。
つまり、彼は瀬戸際の強さが足りなかった。それは自分に対する自信の無さの表れなのかもしれない。彼は自分の家族との交流が乏しかった。
しかし事件の最中、陣内一族との触れ合いを経て、彼らから強さを貰う。信頼と絆という強さだ。
13歳の池沢佳主馬はいじめられっ子だった過去に陣内万助に少林寺拳法を倣って自分を強化した。そしてそれはOZの格闘ゲームに活かされている。
劇中での敵との戦いにおいて、彼は何度も挫折を味わう。しかしその度に、家族達の支えで復活を見せる。
劇中の重要人物、陣内侘助も、篠原夏希も、みなそうして関わりの中で強くなっていくのだ。
物語は全編を通して退屈さを感じる暇もないほど濃密に描かれている。
設定の面白さや構成のうまさなど色々あるのだが、その中でもやはり一番観客を引きつけるのはヴィジュアルイメージの秀逸さではないだろうか。
現実世界の風景、名家の佇まいなどもそうだが、仮想空間であるOZの表現が非常にユニークであり、壮麗である。色遣いが多様で楽しげである。
この作品を成立させるための土台となるOZでは、個人のアバターを持つことが出来、OZの中では買い物からゲーム、各種手続きなど様々なことが出来るし、また実世界での職業的権限を、そのアバターが持つことが出来るなど、とにかく至れり尽くせりの機能が備わっている。
そう言った機能のひとつひとつが好奇心を刺激されるような作りになっている。
各個人のアバターはそれぞれの性格を反映された作りになっていて、それを見ているだけでも楽しい。
敵がシステムを混乱させる表現も面白く、敵との戦いも迫力があり、壮大なイメージを駆使して描かれている。OZの世界が緻密に描かれ、そこでは現実世界を超越した表現で見せられるから、圧倒される。
話が小難しくてわからなくても、絵を見ていればなんとなくわかるし、別に細かなことは気にならなくなる。
脚本は誰かと思って調べたら、奥寺佐渡子さん。
「学校の怪談」の脚本を書いた人だった。なるほど、通りでキャラクター同士の距離感が心地良く描かれているわけだと思った。
甘酸っぱいというか、仄かな恋愛模様も上手い。
また、登場人物の量が半端ではないのにもかかわらず、それぞれの個性がきちんと描かれ、且つ過剰でも過少でもないのは、この脚本を始めとした、スタッフ全員の力の賜物だろう。
ただし、そうした作品の設定の情報量が多すぎる結果、2時間でまとめるとなるとどうしても総花的にならざるを得ない。
そこで少し説明が足りないのではないかと思われる部分もないとは言わない。
例えば主人公の家庭環境もそうだ。陣内一族に感化されるならば、そうなるそもそもの理由があるとわかりやすい。
個人的に特に気になったのは、なぜ主人公がアルバイトとして夏希に選ばれたのか。それまでの健二と夏希の関係だ。
フィアンセという設定なのだから、決して嫌っているような人間ではないはず。ボディタッチなども多く(彼女が天然の小悪魔でないならば)、好感自体は抱いていたのかもしれない。
最終的に関わりの中で強くなっていった健二に惹かれることは別にいいとして、そもそもこの物語が始まる導入部分の二人の関係が曖昧だったことが、自分には最後まで引っかかった。
いずれにしろ、良作。
いつか彼のためにスタジオが作られたりして……なんてね。
しんぼる 松本人志監督作品
2009年9月16日 映画 映画を観てきた当日に「非常に明快だった」と書いてしまったためちょっと感想を書くのが怖かったりもしますが。まあ、あっているかはどうかとして、書いてみます。
ネタバレもありますので注意。
ちなみに、冒頭3分ほど、見逃してしまっています。
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メキシコで覆面レスラー「エスカルゴマン」としてリングに上がっている男はその日、胸騒ぎを感じていた。相手が自分よりも若くて強い、テキーラ・ジョーであるという事だけでなく、別の何かが起こりそうだという直感だった。
いつもあまり活躍できていないエスカルゴマンを応援する彼の息子は、学校でバカにされてもすぐにリングに駆けつける。そして、運命の試合が始まった。
一方、時を同じくして、水玉模様のパジャマに身を包んだマッシュルームカットの男が、白い壁に囲まれた部屋で目を覚ます。
彼はその部屋からの脱出方法を模索するが……。
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この作品は二つの、一見全く関係なさそうなエピソードが交互に展開されながら、それぞれ佳境へと進展していく。もちろん後々それは絡むことになるのだけど、すごく密接な関わりというわけではない。
松本人志のパートはとにかく、ひたすら密室の仕組みの理解と脱出の試みに費やされる。
と言っても別にそれほど難しい仕組みではない。ボタンを押すと、それに対応して何かが起こる。物が出てきたり空間に変化が起きたりする。その事に戸惑いつつも、次第に適応し、脱出しようとする一人の男の風景を永遠と見せている。
映像的には白い部屋の中の風景がメインだし、音楽もほとんど無い。男もあまり喋らない。いや、喋ることは喋るのだけど、あまり内容のあることは喋らないし、叫び声ばかりだったりする。
つまり全体的に単調であり、変化に乏しい。
一方のメキシコパートはわかりやすいドラマ仕立てになっている。
映画を通して観たときに、このメキシコパートというのは、そう言った松本パートの単調さをカバーして観客を飽きさせないのと同時に、二つがどう絡むのかという期待で引っ張る役目を持っているのだと思う。
また、この映画は93分(1時間半)と非常に短い。松本パートの内容が内容だけに、それメインで全体を作るのにも無理がある。そう言うこともあって、メキシコパートは上映時間確保の意味合いもあると思う。(もちろん作り方によっては色々とやり方もあるのだろうけど)
前回の監督作「大日本人」は海外を意識せずに作ったが、期せずして海外の映画祭に出品されることになり、そこで辛口のコメントを貰うことになった。
今回それを意識してかどうかはわからないが、比較的海外の人にもわかりやすいような作りになっている。
例えば松本の心情は基本的に表情や声の調子だったり、ジェスチャーだったり、アメコミ風想像シーンの挿入で補っている。
スイッチを押して出て来る物をいかに連携して使って脱出するかという、目的や彼の行動の意図も明確なので、そこは見やすいと思う。
そこから生まれるギャグも基本的にベタな物が多く、やはりわかりやすい。
また、モチーフの一つとして天使を登場させている点も、海外の人には親しみやすいのではないだろうか。
そして、海外を意識しているのではと思える最後の一つは、終盤にやってくる。
前作「大日本人」は最後の最後に作品を(良くも悪くも)ぶち壊すような、放棄するというか、そういう作りをしていた。
今作も最後の一歩手前でそう言うことになっている。メキシコパートの役割は、この壮大な前振りのためにあったと言っても過言ではない(笑い死にするかと思った)。
今作が前作と違うのが、その後きちんと真面目に落とし前をつけている点だ。
白の部屋を脱出した主人公は黒の部屋へと辿り着く。
白の部屋の冒頭で観客は「修行」と表された文字を観る。黒の部屋ではそれが「実践」となる。
黒の部屋にもスイッチがあり、それを押すと実世界に影響が現れる。例えばゾウが転んだり、花が咲いたり、亀が卵を産んだり。
男は天井を見上げて、スイッチに手足をかけて昇っていく。その事によってスイッチが反応し、実世界に次々影響が起きていく。
男はやがて神がかった様子となり、浮遊しながら天に上り詰めていく。その過程で数多のスイッチをいっぺんに作動させる。
世界はそれに応じて動いていく。
頂上にたどり着くと、そこには巨大なスイッチが一つ。それは「未来」だった。
天使達は白の部屋で男に物事の相互作用や連動させる力を身に着けさせた。そして、実践を経て、神に近い存在へと導いた。
なぜ彼が選ばれたのか、どうしてこのような役割が必要とされたのか、ハッキリとしたことはわからない。あるいはこの世界は全て彼の想像なのかもしれない。
ただ、この世界を操作しているのは、どうやら一人の男であるらしいと言うだけである。
キリスト教的世界を意識しているのは明らかだと思う。この部分は日本人にも感じる部分はあるだろうが、もしかするとより海外の人間に届くかもしれない。
ただそう言った物に馴染みのない人間としては、別の捉え方も出来る。
例えば我々が日常体験している不条理なこと、どうしてこうなるんだと嘆きたくなるようなこと、こういったことを、一人の男が気まぐれに操作している。だから、笑い飛ばせばいいんじゃないか。
そう言った見方も出来るかもしれない。
映画として決して上出来とは言えないと思う。
松本パートの時のダラダラとしたテンポの悪さや、単調さ。作品の性質として仕方がないと思うが、少々小振りにまとまった作りであったりして、濃厚な味わいが少ない。
ただだからと言って悪かったとは思わない。
想像を刺激される作り、遊び心もあり、ユーモアもある。
見る人を選ぶ内容。真剣に濃厚なドラマを見たいという人よりは、ちょっと肩の力を抜いて作品を見たい、と言う人に向いているのかもしれない。
ネタバレもありますので注意。
ちなみに、冒頭3分ほど、見逃してしまっています。
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メキシコで覆面レスラー「エスカルゴマン」としてリングに上がっている男はその日、胸騒ぎを感じていた。相手が自分よりも若くて強い、テキーラ・ジョーであるという事だけでなく、別の何かが起こりそうだという直感だった。
いつもあまり活躍できていないエスカルゴマンを応援する彼の息子は、学校でバカにされてもすぐにリングに駆けつける。そして、運命の試合が始まった。
一方、時を同じくして、水玉模様のパジャマに身を包んだマッシュルームカットの男が、白い壁に囲まれた部屋で目を覚ます。
彼はその部屋からの脱出方法を模索するが……。
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この作品は二つの、一見全く関係なさそうなエピソードが交互に展開されながら、それぞれ佳境へと進展していく。もちろん後々それは絡むことになるのだけど、すごく密接な関わりというわけではない。
松本人志のパートはとにかく、ひたすら密室の仕組みの理解と脱出の試みに費やされる。
と言っても別にそれほど難しい仕組みではない。ボタンを押すと、それに対応して何かが起こる。物が出てきたり空間に変化が起きたりする。その事に戸惑いつつも、次第に適応し、脱出しようとする一人の男の風景を永遠と見せている。
映像的には白い部屋の中の風景がメインだし、音楽もほとんど無い。男もあまり喋らない。いや、喋ることは喋るのだけど、あまり内容のあることは喋らないし、叫び声ばかりだったりする。
つまり全体的に単調であり、変化に乏しい。
一方のメキシコパートはわかりやすいドラマ仕立てになっている。
映画を通して観たときに、このメキシコパートというのは、そう言った松本パートの単調さをカバーして観客を飽きさせないのと同時に、二つがどう絡むのかという期待で引っ張る役目を持っているのだと思う。
また、この映画は93分(1時間半)と非常に短い。松本パートの内容が内容だけに、それメインで全体を作るのにも無理がある。そう言うこともあって、メキシコパートは上映時間確保の意味合いもあると思う。(もちろん作り方によっては色々とやり方もあるのだろうけど)
前回の監督作「大日本人」は海外を意識せずに作ったが、期せずして海外の映画祭に出品されることになり、そこで辛口のコメントを貰うことになった。
今回それを意識してかどうかはわからないが、比較的海外の人にもわかりやすいような作りになっている。
例えば松本の心情は基本的に表情や声の調子だったり、ジェスチャーだったり、アメコミ風想像シーンの挿入で補っている。
スイッチを押して出て来る物をいかに連携して使って脱出するかという、目的や彼の行動の意図も明確なので、そこは見やすいと思う。
そこから生まれるギャグも基本的にベタな物が多く、やはりわかりやすい。
また、モチーフの一つとして天使を登場させている点も、海外の人には親しみやすいのではないだろうか。
そして、海外を意識しているのではと思える最後の一つは、終盤にやってくる。
前作「大日本人」は最後の最後に作品を(良くも悪くも)ぶち壊すような、放棄するというか、そういう作りをしていた。
今作も最後の一歩手前でそう言うことになっている。メキシコパートの役割は、この壮大な前振りのためにあったと言っても過言ではない(笑い死にするかと思った)。
今作が前作と違うのが、その後きちんと真面目に落とし前をつけている点だ。
白の部屋を脱出した主人公は黒の部屋へと辿り着く。
白の部屋の冒頭で観客は「修行」と表された文字を観る。黒の部屋ではそれが「実践」となる。
黒の部屋にもスイッチがあり、それを押すと実世界に影響が現れる。例えばゾウが転んだり、花が咲いたり、亀が卵を産んだり。
男は天井を見上げて、スイッチに手足をかけて昇っていく。その事によってスイッチが反応し、実世界に次々影響が起きていく。
男はやがて神がかった様子となり、浮遊しながら天に上り詰めていく。その過程で数多のスイッチをいっぺんに作動させる。
世界はそれに応じて動いていく。
頂上にたどり着くと、そこには巨大なスイッチが一つ。それは「未来」だった。
天使達は白の部屋で男に物事の相互作用や連動させる力を身に着けさせた。そして、実践を経て、神に近い存在へと導いた。
なぜ彼が選ばれたのか、どうしてこのような役割が必要とされたのか、ハッキリとしたことはわからない。あるいはこの世界は全て彼の想像なのかもしれない。
ただ、この世界を操作しているのは、どうやら一人の男であるらしいと言うだけである。
キリスト教的世界を意識しているのは明らかだと思う。この部分は日本人にも感じる部分はあるだろうが、もしかするとより海外の人間に届くかもしれない。
ただそう言った物に馴染みのない人間としては、別の捉え方も出来る。
例えば我々が日常体験している不条理なこと、どうしてこうなるんだと嘆きたくなるようなこと、こういったことを、一人の男が気まぐれに操作している。だから、笑い飛ばせばいいんじゃないか。
そう言った見方も出来るかもしれない。
映画として決して上出来とは言えないと思う。
松本パートの時のダラダラとしたテンポの悪さや、単調さ。作品の性質として仕方がないと思うが、少々小振りにまとまった作りであったりして、濃厚な味わいが少ない。
ただだからと言って悪かったとは思わない。
想像を刺激される作り、遊び心もあり、ユーモアもある。
見る人を選ぶ内容。真剣に濃厚なドラマを見たいという人よりは、ちょっと肩の力を抜いて作品を見たい、と言う人に向いているのかもしれない。
9月14日の日記。映画を観てきた。
2009年9月14日 映画 映画の鑑賞料がお安くなると言うことで見てきました。しかも2本。
一つは「しんぼる」。松本人志監督作品。
もう一つは「サマーウォーズ」。アニメ「時をかける少女」の細田守監督。
今日はちょっと感想は書けないので別の機会に譲ることにします。
2つの作品はタイプや性質は違いますが、趣旨、主張(メッセージ)が明快という点では一致していると思います。
へそ曲がりな作りか、こちらの理解力不足でなければおおむね理解出来たと思います。
個人的に「しんぼる」の方は5段階評価で3.5~4.0ぐらい。「サマーウォーズ」は4.0~4.5くらいでしょうか。まあ、数字で評価するのは断じてしまうことになるので実際は必ずしもこういうわけではないですが、わかりやすく評価すると、と言うことで。
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その後近くの本屋に行って立ち読み。そこの規模が結構大きくて、色々な本があって刺激的だった。
一つは「しんぼる」。松本人志監督作品。
もう一つは「サマーウォーズ」。アニメ「時をかける少女」の細田守監督。
今日はちょっと感想は書けないので別の機会に譲ることにします。
2つの作品はタイプや性質は違いますが、趣旨、主張(メッセージ)が明快という点では一致していると思います。
へそ曲がりな作りか、こちらの理解力不足でなければおおむね理解出来たと思います。
個人的に「しんぼる」の方は5段階評価で3.5~4.0ぐらい。「サマーウォーズ」は4.0~4.5くらいでしょうか。まあ、数字で評価するのは断じてしまうことになるので実際は必ずしもこういうわけではないですが、わかりやすく評価すると、と言うことで。
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その後近くの本屋に行って立ち読み。そこの規模が結構大きくて、色々な本があって刺激的だった。
アマルフィ~女神の報酬~
2009年9月1日 映画 テロの情報を得て、邦人を守るためにイタリアへと派遣された外交官の黒田。イタリアの日本大使館ではG8に備えて着々と準備が進められていた。
そんな折、日本人少女の失踪事件が発生。関わることになった黒田だが、それが誘拐事件へと発展。少女の母親、警察と共に犯人の要求に振り回され、イタリア各地の観光名所をたらい回しにされる。
犯人の思惑が掴めない中、次第に解決の糸口となるような手掛かりを見つけていく黒田だったが、独断の行動は捜査権限がないために警察からのクレームを受け、上司からも体裁上の問題を指摘される。
犯人からの要求が続き、障害の中一歩ずつ核心に近づいていく黒田。そして――。
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結論から言うと、結構面白かった。
この映画はたぶん面白いんじゃないか、と言うことは色々な情報から推測できていて、見たい見たいと思っていた。で、毎月1日、鑑賞料が安くなるので見に行ってきた。
金のかかった大がかりな日本映画というとどうも空回りしがちで(特にアクション映画とか)、果たしてこの映画はどうなのかと思いながら観ていたのだけど、いや、久々に上映時間をほとんど全くと言っていいほど気にせずに見終わることが出来た。
まず、テンポが非常に良い。導入から短時間で登場人物の人となりや状況などを把握させ、事件へと進んでいく。カットも展開もスピーディで中弛みをさせることがほとんど無い。編集が良かったのだろうか?
人間関係においても、信頼関係の変化などは描かれるが、基本的に深入りはしない。つまり、そちらに時間を取られない分、事件絡みの事柄に集中することが出来、サスペンスとしてのボリュームや緊張感を持続させることが出来ている。
ここの割り切りは結構重要で、観客受けを狙って両方入れようとすると返ってどっちつかずになり、失敗したりする。
決して人間関係が描かれていないというわけではないのだけど、適当な間合いで終わらせていることによって、映画の核であるサスペンス部分が活き、後味も悪くなく、含みを持たせることが出来ていた。
最後の最後に関しては、エンターテインメントとしてみると減速してしまった感は否めない。ここはさじ加減が難しいところだろう。娯楽映画としてのカタルシスを重視するならば軽薄になりかねないし、今回のように重みを出そうとすると興奮が薄れていく。
ただ、じゃあ今回の最後が全くつまらなかったかというと、必ずしもそうではない。撮り方や見せ方の配慮もあったと思う。お涙頂戴でダラダラし過ぎなかったことも、功を奏したのではないだろうか。
個人的には、犯人側の動機に感情移入できる本格的な強化シーンが欲しかったが、予算や撮影の手間、上映時間などもあるし、実際やろうと思ってもなかなか難しいのかもしれない。
登場人物で言うと、皆良かったように思う。
織田裕二と言う役者は、個人的な意見だけど、役を細かく演じ分けるのが凄く上手いという訳ではないような気がする。基本的に似たような演技になる。そういう点では大根なのだけど、絵になる容姿と雰囲気を出していているし、魅力的なのだ。また、(演じ分け以外の)演技力は確かな物があると思う。
彼の場合、大雑把に2通りのキャラクターに強みがある。
踊る大捜査線の青島に代表されるような、人間臭いキャラクター。
もう一つは、(見たこと無いけど)「振り返れば奴がいる」とか、「県庁の星」に代表される、感情を殺したようなキャラクター。
今回のアマルフィは後者。非常に雰囲気があって良かったし、「陽」の当たり役が青島ならば、「陰」の当たり役はこの黒田なのかもしれない。
企画の規模からしてそう簡単にシリーズ化はされるとは思わないが、されたら面白そうだ。
監督は「県庁の星」の西谷弘。
県庁の星は地味だし最後が蛇足気味かなとも思ったけど、基本的にテンポも良く、秀作だと思えた作品だった。
ちょっと、この監督は注目しなければならないような気がする。
サラ・ブライトマンの歌も非常に聴き応えがあり、美食を口に含み舌で楽しんでいるときのような恍惚感があった。映画に非常に寄与していると思う。
観客がスタッフロール中もほとんど席を立たなかった事が印象に残っている。
そんな折、日本人少女の失踪事件が発生。関わることになった黒田だが、それが誘拐事件へと発展。少女の母親、警察と共に犯人の要求に振り回され、イタリア各地の観光名所をたらい回しにされる。
犯人の思惑が掴めない中、次第に解決の糸口となるような手掛かりを見つけていく黒田だったが、独断の行動は捜査権限がないために警察からのクレームを受け、上司からも体裁上の問題を指摘される。
犯人からの要求が続き、障害の中一歩ずつ核心に近づいていく黒田。そして――。
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結論から言うと、結構面白かった。
この映画はたぶん面白いんじゃないか、と言うことは色々な情報から推測できていて、見たい見たいと思っていた。で、毎月1日、鑑賞料が安くなるので見に行ってきた。
金のかかった大がかりな日本映画というとどうも空回りしがちで(特にアクション映画とか)、果たしてこの映画はどうなのかと思いながら観ていたのだけど、いや、久々に上映時間をほとんど全くと言っていいほど気にせずに見終わることが出来た。
まず、テンポが非常に良い。導入から短時間で登場人物の人となりや状況などを把握させ、事件へと進んでいく。カットも展開もスピーディで中弛みをさせることがほとんど無い。編集が良かったのだろうか?
人間関係においても、信頼関係の変化などは描かれるが、基本的に深入りはしない。つまり、そちらに時間を取られない分、事件絡みの事柄に集中することが出来、サスペンスとしてのボリュームや緊張感を持続させることが出来ている。
ここの割り切りは結構重要で、観客受けを狙って両方入れようとすると返ってどっちつかずになり、失敗したりする。
決して人間関係が描かれていないというわけではないのだけど、適当な間合いで終わらせていることによって、映画の核であるサスペンス部分が活き、後味も悪くなく、含みを持たせることが出来ていた。
最後の最後に関しては、エンターテインメントとしてみると減速してしまった感は否めない。ここはさじ加減が難しいところだろう。娯楽映画としてのカタルシスを重視するならば軽薄になりかねないし、今回のように重みを出そうとすると興奮が薄れていく。
ただ、じゃあ今回の最後が全くつまらなかったかというと、必ずしもそうではない。撮り方や見せ方の配慮もあったと思う。お涙頂戴でダラダラし過ぎなかったことも、功を奏したのではないだろうか。
個人的には、犯人側の動機に感情移入できる本格的な強化シーンが欲しかったが、予算や撮影の手間、上映時間などもあるし、実際やろうと思ってもなかなか難しいのかもしれない。
登場人物で言うと、皆良かったように思う。
織田裕二と言う役者は、個人的な意見だけど、役を細かく演じ分けるのが凄く上手いという訳ではないような気がする。基本的に似たような演技になる。そういう点では大根なのだけど、絵になる容姿と雰囲気を出していているし、魅力的なのだ。また、(演じ分け以外の)演技力は確かな物があると思う。
彼の場合、大雑把に2通りのキャラクターに強みがある。
踊る大捜査線の青島に代表されるような、人間臭いキャラクター。
もう一つは、(見たこと無いけど)「振り返れば奴がいる」とか、「県庁の星」に代表される、感情を殺したようなキャラクター。
今回のアマルフィは後者。非常に雰囲気があって良かったし、「陽」の当たり役が青島ならば、「陰」の当たり役はこの黒田なのかもしれない。
企画の規模からしてそう簡単にシリーズ化はされるとは思わないが、されたら面白そうだ。
監督は「県庁の星」の西谷弘。
県庁の星は地味だし最後が蛇足気味かなとも思ったけど、基本的にテンポも良く、秀作だと思えた作品だった。
ちょっと、この監督は注目しなければならないような気がする。
サラ・ブライトマンの歌も非常に聴き応えがあり、美食を口に含み舌で楽しんでいるときのような恍惚感があった。映画に非常に寄与していると思う。
観客がスタッフロール中もほとんど席を立たなかった事が印象に残っている。