好きこそものの上手なれとかいうし、実際そうなのだと思う。
1万時間の法則みたいなことを聞くと、やっぱり一つの分野、物事に集中してその道を極める方が、その後なんやかんやで別の分野、物事に応用も利いて、なんやかんやで成功するのかなぁ、なんて気もする。
しかもまあそのなんやかんやで道を極めるというのも、ある種楽しんでいるというか、無心というか、純粋にその道を突っ走っている方がいいのかもしれない。
自分の場合、邪念、雑念ばかりが心の奥底で渦巻いていて、それに振り回されている感じで、一つのことに集中ということもできないし、していても何か、別のところを見ながら走っているようなそんな気もしてくるのである。
好きだったり興味があってそれに取り組んでいるつもりが、やっているうちに本当にこれ純粋に興味とか好きとかだけでやっているのか? という疑念が湧き上がってきて、よくわからなくなる。
没入するという感覚が久しくないのである。
「宇宙は無数にあるのか」を読んでるときはそんな感じだったかもしれない。宇宙に関することは昔から好きだったのだ。
最近昔みたいに、何もかも忘れて無心にそれをただ楽しむということがなかなかできていない。どこかで焦っている。時間がない、みたいな。それをどこでどう応用するか、みたいなことばっかり考えている気がする。
でも、応用するには先にも言ったとおり、極めるくらい多くのことを頭に突っ込まないと、なかなかうまくは使えないものである。
1万時間の法則みたいなことを聞くと、やっぱり一つの分野、物事に集中してその道を極める方が、その後なんやかんやで別の分野、物事に応用も利いて、なんやかんやで成功するのかなぁ、なんて気もする。
しかもまあそのなんやかんやで道を極めるというのも、ある種楽しんでいるというか、無心というか、純粋にその道を突っ走っている方がいいのかもしれない。
自分の場合、邪念、雑念ばかりが心の奥底で渦巻いていて、それに振り回されている感じで、一つのことに集中ということもできないし、していても何か、別のところを見ながら走っているようなそんな気もしてくるのである。
好きだったり興味があってそれに取り組んでいるつもりが、やっているうちに本当にこれ純粋に興味とか好きとかだけでやっているのか? という疑念が湧き上がってきて、よくわからなくなる。
没入するという感覚が久しくないのである。
「宇宙は無数にあるのか」を読んでるときはそんな感じだったかもしれない。宇宙に関することは昔から好きだったのだ。
最近昔みたいに、何もかも忘れて無心にそれをただ楽しむということがなかなかできていない。どこかで焦っている。時間がない、みたいな。それをどこでどう応用するか、みたいなことばっかり考えている気がする。
でも、応用するには先にも言ったとおり、極めるくらい多くのことを頭に突っ込まないと、なかなかうまくは使えないものである。
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