今年一年を振り返ると、何だか大変だった。
去年も大変だったけど、今年も大変だった。特に後半が大変だった。
で、今後の見通しなんだけど、正直わからない。2014年以降はさっぱり見通せない。少なくとも来年は今年までの流れを引き継いで大変なんだと思う。特に前半は。
というより、もっと言えば、今後、以前のようにある意味楽だった時期というのは、もうやってこない可能性が高い。
少なくとも一定以上の大変さが今後持続していくのだと思う。言い方を変えれば、今までが緩すぎた、ということだろう。
つまり、世間一般で言う普通を、自分は今相対的に大変と言っていて、今後常態化していく中で、自分の中でも普通になるのだと思う。
大変だ、ということがすなわち苦しいとかしんどいとか、そう言うネガティブな言葉だけで捉えられるとは思わない。その大変さを楽しむことも出来るはずである。難しい問題だが。
いずれにしろ今まで足りていなかった部分を今後も一定以上の大変さの中で埋めていき、上積みしていくことになるのだと思う。が、それが細く長く大変なのか、太く短く大変なのか、という点での違いはあると思う。
今年は色々あって、色々考えて、今後自分が歩むべき道程という物を色々考えた。
遠くに色々な目的地があって、それぞれへ至る道が離れたりくっついたりしながら伸びている、というのを、地図から眺めているような感じだ。
とりあえず、当面の目標という物はあって、とりあえず来年はそれを達成するために尽力することになると思う。もちろん同時並行でその他のことも進められたら進めたいが。
今年は後半は映画全然見られなかったなぁ。来年もどうかなぁ。
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アメリカでもう何度目になるのか銃乱射事件。
こういう事件があると、そういう犯罪から身を守るために銃の所持が必要なのだ、という論調が湧き上がるらしい。
自分は不勉強なのでわからない。無知を晒すようだけど、実際のところ、どうなのだろう?
銃を所持していたことによってそういう犯罪から身を守れたケース(件数、または人数)と、合法的に入手された銃によって起こった犯罪、または銃によって奪われた命の多さ、を比較したときに、どちらがどのくらい多いのだろうか?
これって銃所持の論争にとって重要な部分だと思うんだけど。
ただまあ、銃規制ってことになると一つの産業が縮むわけでね。
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この間「たかじんのそこまで言って委員会」に元オウムの上祐史浩氏が出演していたが、その回を見ていて胸くそが悪くなった。
上祐氏に対してではない。パネリスト達の態度に対してである。
上祐氏が所属していたオウム真理教は世界でも稀に見るテロを起こし、多くの死傷者を出しているわけで、そこの最高幹部だった彼が非難、批判されるのは仕方がない面も当然ある。
一方で、人というのはそれまでの自分の言動を見直して(反省して)、その後の人生をやり直し、贖い、償いながら生きていくことも出来るわけだ。
それまでの罪と、それ以後の生き方に関してはまた冷静に客観的に別の見方もすべきであって、彼の話をまったく聞き入れない態度というのはいかがなものかと感じた。
彼の心中は実際のところわからないし、現在の彼の生活や活動がどうなのかもわからないので鵜呑みにはしないが、自分が見ていた限り、彼なりに現状を誠実に論理的に答えていたように思う。
彼の現在の言動に至らない点があるかも知れないが、それはそれとして指摘すべきことであって、全人格を否定するかのような言葉を浴びせかける態度には気分が悪くなった。
(じゃあ自分が光市の母子殺害犯を目の前にしたときに感情的にならずにいられるかというと怪しいが)
彼はオウムにいて重大な事件について確信があった面もあったようで、それを知りながらオウムの存続のために活動していたことを批判されているが、これももし自分が当事者だったらと考えると、簡単に彼を批判できるかわからない。
尼崎市の事件や北九州市の事件、連合赤軍の事件にもあるように、ある密室的な環境において暴力的な支配、命の危険が感じられるような動きがったとする。逆らうと自分の命も危ないと感じられるときに、簡単にその組織を脱することができるだろうか?
まあ、そうやって全面的に非難され、許されずに生きると言うことが、そういう十字架を背負ってしまっているから、といえばそれまでだが。
繰り返しになるけれども、自分は彼の係わった出来事とそれにまつわる罪が無条件に許されるとは思わない。司法で判断されるされないにかかわらず、それはそれとして評価されるべきだと思う。
ただし、今現在の彼に対して、決めつけや感情論だけで判断するのは、どうかと思うのだ。
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小選挙区で自民党、比例で維新に入れました。
維新に入れたのは、公明党との連携が出来ないときに、維新と連携してくれればな、と思ったからだけど、維新はちゃんとまとまったまま続いていくのだろうか?
いつもは自民とみんなに入れてたから、みんなの党に入れようか迷ったけれど。
ようやく日本が立ち直る。その道筋が見えてきた。
去年も大変だったけど、今年も大変だった。特に後半が大変だった。
で、今後の見通しなんだけど、正直わからない。2014年以降はさっぱり見通せない。少なくとも来年は今年までの流れを引き継いで大変なんだと思う。特に前半は。
というより、もっと言えば、今後、以前のようにある意味楽だった時期というのは、もうやってこない可能性が高い。
少なくとも一定以上の大変さが今後持続していくのだと思う。言い方を変えれば、今までが緩すぎた、ということだろう。
つまり、世間一般で言う普通を、自分は今相対的に大変と言っていて、今後常態化していく中で、自分の中でも普通になるのだと思う。
大変だ、ということがすなわち苦しいとかしんどいとか、そう言うネガティブな言葉だけで捉えられるとは思わない。その大変さを楽しむことも出来るはずである。難しい問題だが。
いずれにしろ今まで足りていなかった部分を今後も一定以上の大変さの中で埋めていき、上積みしていくことになるのだと思う。が、それが細く長く大変なのか、太く短く大変なのか、という点での違いはあると思う。
今年は色々あって、色々考えて、今後自分が歩むべき道程という物を色々考えた。
遠くに色々な目的地があって、それぞれへ至る道が離れたりくっついたりしながら伸びている、というのを、地図から眺めているような感じだ。
とりあえず、当面の目標という物はあって、とりあえず来年はそれを達成するために尽力することになると思う。もちろん同時並行でその他のことも進められたら進めたいが。
今年は後半は映画全然見られなかったなぁ。来年もどうかなぁ。
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アメリカでもう何度目になるのか銃乱射事件。
こういう事件があると、そういう犯罪から身を守るために銃の所持が必要なのだ、という論調が湧き上がるらしい。
自分は不勉強なのでわからない。無知を晒すようだけど、実際のところ、どうなのだろう?
銃を所持していたことによってそういう犯罪から身を守れたケース(件数、または人数)と、合法的に入手された銃によって起こった犯罪、または銃によって奪われた命の多さ、を比較したときに、どちらがどのくらい多いのだろうか?
これって銃所持の論争にとって重要な部分だと思うんだけど。
ただまあ、銃規制ってことになると一つの産業が縮むわけでね。
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この間「たかじんのそこまで言って委員会」に元オウムの上祐史浩氏が出演していたが、その回を見ていて胸くそが悪くなった。
上祐氏に対してではない。パネリスト達の態度に対してである。
上祐氏が所属していたオウム真理教は世界でも稀に見るテロを起こし、多くの死傷者を出しているわけで、そこの最高幹部だった彼が非難、批判されるのは仕方がない面も当然ある。
一方で、人というのはそれまでの自分の言動を見直して(反省して)、その後の人生をやり直し、贖い、償いながら生きていくことも出来るわけだ。
それまでの罪と、それ以後の生き方に関してはまた冷静に客観的に別の見方もすべきであって、彼の話をまったく聞き入れない態度というのはいかがなものかと感じた。
彼の心中は実際のところわからないし、現在の彼の生活や活動がどうなのかもわからないので鵜呑みにはしないが、自分が見ていた限り、彼なりに現状を誠実に論理的に答えていたように思う。
彼の現在の言動に至らない点があるかも知れないが、それはそれとして指摘すべきことであって、全人格を否定するかのような言葉を浴びせかける態度には気分が悪くなった。
(じゃあ自分が光市の母子殺害犯を目の前にしたときに感情的にならずにいられるかというと怪しいが)
彼はオウムにいて重大な事件について確信があった面もあったようで、それを知りながらオウムの存続のために活動していたことを批判されているが、これももし自分が当事者だったらと考えると、簡単に彼を批判できるかわからない。
尼崎市の事件や北九州市の事件、連合赤軍の事件にもあるように、ある密室的な環境において暴力的な支配、命の危険が感じられるような動きがったとする。逆らうと自分の命も危ないと感じられるときに、簡単にその組織を脱することができるだろうか?
まあ、そうやって全面的に非難され、許されずに生きると言うことが、そういう十字架を背負ってしまっているから、といえばそれまでだが。
繰り返しになるけれども、自分は彼の係わった出来事とそれにまつわる罪が無条件に許されるとは思わない。司法で判断されるされないにかかわらず、それはそれとして評価されるべきだと思う。
ただし、今現在の彼に対して、決めつけや感情論だけで判断するのは、どうかと思うのだ。
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小選挙区で自民党、比例で維新に入れました。
維新に入れたのは、公明党との連携が出来ないときに、維新と連携してくれればな、と思ったからだけど、維新はちゃんとまとまったまま続いていくのだろうか?
いつもは自民とみんなに入れてたから、みんなの党に入れようか迷ったけれど。
ようやく日本が立ち直る。その道筋が見えてきた。
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