ニュースやドキュメンタリー番組などで、難病に罹っている人が、高額な薬に苦しんでいる様を放映しているときがある。
 そういう状態に対して、お金が続かなくて苦しい、もっと援助して欲しい、せっかく高度な技術で有効な薬が開発されたのに使えないのは理不尽だ、と言った意見が聞かれる。
 確かに言い分もわからなくもない。愛する人を失いたくないとか、もっと生きたいとか、苦しみから解放されたいとか、そういう感情は理解出来る。
 しかし別に理不尽ではない。ただ需要が少ないから(あるいはその他の要因によって)薬が高額であると言うだけだ。
 考えてみて欲しい、今という時代だからこそ、金を積めばある程度延命が出来るのだ。昔ならば対処できずにあっという間に死んでしまった病気でも、今ならばお金さえ払えば、多少は延命できる。その生きられる可能性が高まっただけでもありがたいことだと言える。
 そもそも、人は永遠に生きられるわけではない。薬を使用してもしなくても、いつかは死ぬのだ。少なくとも今の医療技術ではそうである。そうであるならば、問題は、いかに死ぬか、あるいは死ぬまでに何が出来るか、と言うことになってくる。
 人は必ず死ぬ。その死ぬまでに、なるべく悔いを無くして、これならばまあ死んでも良いと思える状態にして死ぬと言うことが重要になってくる。つまり、死ぬ準備をすると言うことだ。
 昔ならばその準備期間は少なかった。しかし今という時代だからこそ、お金さえ払えば、多少は延命できる。その期間を使っていかに準備をするか、いかに残った問題を処理するか、と言う風に考えることが、建設的だろう。
 もっと言うならば、普段からそういう考えをもっているべきなのだ。人間なんていつ死ぬかわからない、と言う考えさえあれば、死ぬまでの準備もある程度整えるだろうし、死が自然の摂理であると理解して、執着しすぎることもない。あるいは長く生きたいと思えば、健康に気を遣って生活したりするわけだ(それで必ず生きられるわけではないが、可能性は増す)。

コメント