「勉強とは無意識に出来ていたことを意識的に出来るようにすることだ」
 と、以前どこかで聞いた。そしてその時に、これは金言だと思った。
 金言というと言い過ぎかも知れない。まさにその通りと感じた、と言う方が適切かも知れない。
 無意識に出来ると言うことは一種の天才的な才能かも知れないが、一方で不安定で行き詰まりやすい。出来ていた理由がわからないのだから、何かのきっかけで形を崩すと取り戻す方法がわからないし、体系的に客観視できないから何かにチャレンジする場合もアプローチしづらい。
 意識的に出来るようにすると言うことは、今まで見えなかった道具をはっきりさせて、それを自由自在に扱うと言うことだ。

 プロ野球の野村克也さんは「ID野球」で知られている。選手としても活躍したし、監督としても多くの実績を残している。
 彼は選手の頃、最初は本能で野球をしていた。しかし壁にぶち当たる。ある一定の数字から成績が上がっていかない。
 そこで相手の癖を見抜こうとしたり、数字に拘り始めた。すると結果が出始めた。
 今までなんとなくやっていたことを、見過ごしていたことを、一々意識して取り組んだ。そしてそこから得た道具を基に意識的にプレーをして、結果を出すことが出来るようになったわけだ。

 自分も時々そういうことを感じる瞬間がある。
 以前これは自然にやっていたこと(出来ていたこと)だよな、ということを、色々考えたり本を読んだりして導いた結論に見つけることがある。
 それを意識できているかどうかが重要なのだ。

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