10年5月31日の日記。欲望のテクスチャ。
2010年5月31日 エッセイ 各種媒体での性表現を擁護する声として、「ガス抜きになる」という物がある。自分も一人の男性としてそれは認めるが、一方で人間は快楽に弱い。快楽物質を味わうと、また求めたくなるし、同じ刺激では飽きるため、更に要求が強くなる(こともある)。
知らなければ、見なければ、何も起こらずにすむことも、あるわけだ。
現実と空想の区別がつかなくなる、と言う声も聞かれたりする。自分も以前は、そんなに人間もアホじゃないだろ、一部例外はいるだろうけど、と思っていたが、必ずしもそうでもないかもと思えてきた。
作り物ではあらゆる面での(心身両面での)ある種の理想が描かれる。それに刺激を受けて、知らず知らず現実に投影してしまう面もある、つまり、現実として彼女がどういう人間なのか、と言うことでなく、理想のテクスチャを貼って見てしまう、だから欲が湧き、抑えきれない、のか、単に過ちを犯す人の自惚れが強いのか。
実際の女なんてそんな綺麗なもんじゃないと思っていれば、抑制されると思うんだけどなあ。
とまあ書いてみたが、そんな簡単な話でもないか。
知らなければ、見なければ、何も起こらずにすむことも、あるわけだ。
現実と空想の区別がつかなくなる、と言う声も聞かれたりする。自分も以前は、そんなに人間もアホじゃないだろ、一部例外はいるだろうけど、と思っていたが、必ずしもそうでもないかもと思えてきた。
作り物ではあらゆる面での(心身両面での)ある種の理想が描かれる。それに刺激を受けて、知らず知らず現実に投影してしまう面もある、つまり、現実として彼女がどういう人間なのか、と言うことでなく、理想のテクスチャを貼って見てしまう、だから欲が湧き、抑えきれない、のか、単に過ちを犯す人の自惚れが強いのか。
実際の女なんてそんな綺麗なもんじゃないと思っていれば、抑制されると思うんだけどなあ。
とまあ書いてみたが、そんな簡単な話でもないか。
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