ここのところずっと「服を買う服を買う服を買う」と心の中で念じ続け、寝ても覚めても、仕事の合間もずっとそう言う状態だったにもかかわらず、昨日今日一昨日と物色した服屋で何も買わずに、本屋で「星の王子さま」を買ってしまっているというちぐはぐなことになっています。

 まあでもなぜ買わなかったのかといえば「これ、本当に欲しいのか?」という疑問があったためであり、そこで自制できたことが大きかった。
 いつもの強迫観念に囚われた状態ならば「まあ、買っとくか」と絶対に買ってしまって、後で「無駄なモン買った」と言って嘆くパターンになっていたから。

 それはさておき本屋に行くと、いつも思うことがある。
 それは自分の知識の無さ、基礎の無さ。
 例えば洋書の古典小説や詩篇、作劇などを読むと、キリスト教の知識が必要になってくる。
 経営や金融の本は経理・経済的な知識が必要だし、宇宙や科学の本などは理数系の知識が必要になってくる。日本の古典では当然古語や漢字の知識が必要になってくるわけで、手に取る本ではことごとく何かしらの専門的知識を要求される。
 本屋ではまざまざとそう言った知識の無さを思い知らされるのだ。
 本屋にいると刺激的で楽しい一方で、こてんぱんに打ちのめされる。
 そのうち、自分は今何を読みたいのか、何を読むべきか、何が必要なのか、と言ったことがわからなくなってくる。
 あれも欲しいこれも欲しいが、あれもこれもまだ手に取るべき本ではない、となってくる。もっと別の本を読むべきだと。

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