しんぼる 松本人志監督作品
2009年9月16日 映画 映画を観てきた当日に「非常に明快だった」と書いてしまったためちょっと感想を書くのが怖かったりもしますが。まあ、あっているかはどうかとして、書いてみます。
ネタバレもありますので注意。
ちなみに、冒頭3分ほど、見逃してしまっています。
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メキシコで覆面レスラー「エスカルゴマン」としてリングに上がっている男はその日、胸騒ぎを感じていた。相手が自分よりも若くて強い、テキーラ・ジョーであるという事だけでなく、別の何かが起こりそうだという直感だった。
いつもあまり活躍できていないエスカルゴマンを応援する彼の息子は、学校でバカにされてもすぐにリングに駆けつける。そして、運命の試合が始まった。
一方、時を同じくして、水玉模様のパジャマに身を包んだマッシュルームカットの男が、白い壁に囲まれた部屋で目を覚ます。
彼はその部屋からの脱出方法を模索するが……。
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この作品は二つの、一見全く関係なさそうなエピソードが交互に展開されながら、それぞれ佳境へと進展していく。もちろん後々それは絡むことになるのだけど、すごく密接な関わりというわけではない。
松本人志のパートはとにかく、ひたすら密室の仕組みの理解と脱出の試みに費やされる。
と言っても別にそれほど難しい仕組みではない。ボタンを押すと、それに対応して何かが起こる。物が出てきたり空間に変化が起きたりする。その事に戸惑いつつも、次第に適応し、脱出しようとする一人の男の風景を永遠と見せている。
映像的には白い部屋の中の風景がメインだし、音楽もほとんど無い。男もあまり喋らない。いや、喋ることは喋るのだけど、あまり内容のあることは喋らないし、叫び声ばかりだったりする。
つまり全体的に単調であり、変化に乏しい。
一方のメキシコパートはわかりやすいドラマ仕立てになっている。
映画を通して観たときに、このメキシコパートというのは、そう言った松本パートの単調さをカバーして観客を飽きさせないのと同時に、二つがどう絡むのかという期待で引っ張る役目を持っているのだと思う。
また、この映画は93分(1時間半)と非常に短い。松本パートの内容が内容だけに、それメインで全体を作るのにも無理がある。そう言うこともあって、メキシコパートは上映時間確保の意味合いもあると思う。(もちろん作り方によっては色々とやり方もあるのだろうけど)
前回の監督作「大日本人」は海外を意識せずに作ったが、期せずして海外の映画祭に出品されることになり、そこで辛口のコメントを貰うことになった。
今回それを意識してかどうかはわからないが、比較的海外の人にもわかりやすいような作りになっている。
例えば松本の心情は基本的に表情や声の調子だったり、ジェスチャーだったり、アメコミ風想像シーンの挿入で補っている。
スイッチを押して出て来る物をいかに連携して使って脱出するかという、目的や彼の行動の意図も明確なので、そこは見やすいと思う。
そこから生まれるギャグも基本的にベタな物が多く、やはりわかりやすい。
また、モチーフの一つとして天使を登場させている点も、海外の人には親しみやすいのではないだろうか。
そして、海外を意識しているのではと思える最後の一つは、終盤にやってくる。
前作「大日本人」は最後の最後に作品を(良くも悪くも)ぶち壊すような、放棄するというか、そういう作りをしていた。
今作も最後の一歩手前でそう言うことになっている。メキシコパートの役割は、この壮大な前振りのためにあったと言っても過言ではない(笑い死にするかと思った)。
今作が前作と違うのが、その後きちんと真面目に落とし前をつけている点だ。
白の部屋を脱出した主人公は黒の部屋へと辿り着く。
白の部屋の冒頭で観客は「修行」と表された文字を観る。黒の部屋ではそれが「実践」となる。
黒の部屋にもスイッチがあり、それを押すと実世界に影響が現れる。例えばゾウが転んだり、花が咲いたり、亀が卵を産んだり。
男は天井を見上げて、スイッチに手足をかけて昇っていく。その事によってスイッチが反応し、実世界に次々影響が起きていく。
男はやがて神がかった様子となり、浮遊しながら天に上り詰めていく。その過程で数多のスイッチをいっぺんに作動させる。
世界はそれに応じて動いていく。
頂上にたどり着くと、そこには巨大なスイッチが一つ。それは「未来」だった。
天使達は白の部屋で男に物事の相互作用や連動させる力を身に着けさせた。そして、実践を経て、神に近い存在へと導いた。
なぜ彼が選ばれたのか、どうしてこのような役割が必要とされたのか、ハッキリとしたことはわからない。あるいはこの世界は全て彼の想像なのかもしれない。
ただ、この世界を操作しているのは、どうやら一人の男であるらしいと言うだけである。
キリスト教的世界を意識しているのは明らかだと思う。この部分は日本人にも感じる部分はあるだろうが、もしかするとより海外の人間に届くかもしれない。
ただそう言った物に馴染みのない人間としては、別の捉え方も出来る。
例えば我々が日常体験している不条理なこと、どうしてこうなるんだと嘆きたくなるようなこと、こういったことを、一人の男が気まぐれに操作している。だから、笑い飛ばせばいいんじゃないか。
そう言った見方も出来るかもしれない。
映画として決して上出来とは言えないと思う。
松本パートの時のダラダラとしたテンポの悪さや、単調さ。作品の性質として仕方がないと思うが、少々小振りにまとまった作りであったりして、濃厚な味わいが少ない。
ただだからと言って悪かったとは思わない。
想像を刺激される作り、遊び心もあり、ユーモアもある。
見る人を選ぶ内容。真剣に濃厚なドラマを見たいという人よりは、ちょっと肩の力を抜いて作品を見たい、と言う人に向いているのかもしれない。
ネタバレもありますので注意。
ちなみに、冒頭3分ほど、見逃してしまっています。
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メキシコで覆面レスラー「エスカルゴマン」としてリングに上がっている男はその日、胸騒ぎを感じていた。相手が自分よりも若くて強い、テキーラ・ジョーであるという事だけでなく、別の何かが起こりそうだという直感だった。
いつもあまり活躍できていないエスカルゴマンを応援する彼の息子は、学校でバカにされてもすぐにリングに駆けつける。そして、運命の試合が始まった。
一方、時を同じくして、水玉模様のパジャマに身を包んだマッシュルームカットの男が、白い壁に囲まれた部屋で目を覚ます。
彼はその部屋からの脱出方法を模索するが……。
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この作品は二つの、一見全く関係なさそうなエピソードが交互に展開されながら、それぞれ佳境へと進展していく。もちろん後々それは絡むことになるのだけど、すごく密接な関わりというわけではない。
松本人志のパートはとにかく、ひたすら密室の仕組みの理解と脱出の試みに費やされる。
と言っても別にそれほど難しい仕組みではない。ボタンを押すと、それに対応して何かが起こる。物が出てきたり空間に変化が起きたりする。その事に戸惑いつつも、次第に適応し、脱出しようとする一人の男の風景を永遠と見せている。
映像的には白い部屋の中の風景がメインだし、音楽もほとんど無い。男もあまり喋らない。いや、喋ることは喋るのだけど、あまり内容のあることは喋らないし、叫び声ばかりだったりする。
つまり全体的に単調であり、変化に乏しい。
一方のメキシコパートはわかりやすいドラマ仕立てになっている。
映画を通して観たときに、このメキシコパートというのは、そう言った松本パートの単調さをカバーして観客を飽きさせないのと同時に、二つがどう絡むのかという期待で引っ張る役目を持っているのだと思う。
また、この映画は93分(1時間半)と非常に短い。松本パートの内容が内容だけに、それメインで全体を作るのにも無理がある。そう言うこともあって、メキシコパートは上映時間確保の意味合いもあると思う。(もちろん作り方によっては色々とやり方もあるのだろうけど)
前回の監督作「大日本人」は海外を意識せずに作ったが、期せずして海外の映画祭に出品されることになり、そこで辛口のコメントを貰うことになった。
今回それを意識してかどうかはわからないが、比較的海外の人にもわかりやすいような作りになっている。
例えば松本の心情は基本的に表情や声の調子だったり、ジェスチャーだったり、アメコミ風想像シーンの挿入で補っている。
スイッチを押して出て来る物をいかに連携して使って脱出するかという、目的や彼の行動の意図も明確なので、そこは見やすいと思う。
そこから生まれるギャグも基本的にベタな物が多く、やはりわかりやすい。
また、モチーフの一つとして天使を登場させている点も、海外の人には親しみやすいのではないだろうか。
そして、海外を意識しているのではと思える最後の一つは、終盤にやってくる。
前作「大日本人」は最後の最後に作品を(良くも悪くも)ぶち壊すような、放棄するというか、そういう作りをしていた。
今作も最後の一歩手前でそう言うことになっている。メキシコパートの役割は、この壮大な前振りのためにあったと言っても過言ではない(笑い死にするかと思った)。
今作が前作と違うのが、その後きちんと真面目に落とし前をつけている点だ。
白の部屋を脱出した主人公は黒の部屋へと辿り着く。
白の部屋の冒頭で観客は「修行」と表された文字を観る。黒の部屋ではそれが「実践」となる。
黒の部屋にもスイッチがあり、それを押すと実世界に影響が現れる。例えばゾウが転んだり、花が咲いたり、亀が卵を産んだり。
男は天井を見上げて、スイッチに手足をかけて昇っていく。その事によってスイッチが反応し、実世界に次々影響が起きていく。
男はやがて神がかった様子となり、浮遊しながら天に上り詰めていく。その過程で数多のスイッチをいっぺんに作動させる。
世界はそれに応じて動いていく。
頂上にたどり着くと、そこには巨大なスイッチが一つ。それは「未来」だった。
天使達は白の部屋で男に物事の相互作用や連動させる力を身に着けさせた。そして、実践を経て、神に近い存在へと導いた。
なぜ彼が選ばれたのか、どうしてこのような役割が必要とされたのか、ハッキリとしたことはわからない。あるいはこの世界は全て彼の想像なのかもしれない。
ただ、この世界を操作しているのは、どうやら一人の男であるらしいと言うだけである。
キリスト教的世界を意識しているのは明らかだと思う。この部分は日本人にも感じる部分はあるだろうが、もしかするとより海外の人間に届くかもしれない。
ただそう言った物に馴染みのない人間としては、別の捉え方も出来る。
例えば我々が日常体験している不条理なこと、どうしてこうなるんだと嘆きたくなるようなこと、こういったことを、一人の男が気まぐれに操作している。だから、笑い飛ばせばいいんじゃないか。
そう言った見方も出来るかもしれない。
映画として決して上出来とは言えないと思う。
松本パートの時のダラダラとしたテンポの悪さや、単調さ。作品の性質として仕方がないと思うが、少々小振りにまとまった作りであったりして、濃厚な味わいが少ない。
ただだからと言って悪かったとは思わない。
想像を刺激される作り、遊び心もあり、ユーモアもある。
見る人を選ぶ内容。真剣に濃厚なドラマを見たいという人よりは、ちょっと肩の力を抜いて作品を見たい、と言う人に向いているのかもしれない。
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