単行本 朝日新聞社 発売:2003/11/14 1,470円
松たか子のフォト・エッセイ集。
彼女が24~26歳頃に雑誌に掲載された物を集めた作品。
とりあえずざっと読み切りました。
人間一人一人が何を考えているかはわからないので、彼女が特別なのかどうかはわかりませんが、ただ芸能一家に生まれ、育ち、役者として、歌手として活動されている、感性の片鱗を窺うことは出来ました。
彼女の実際の気質はどうなのかはわかりませんが、このエッセイ集を読んでいて感じるのは、どこか一歩引いて物事を見ているという、彼女の立ち位置。
「末っ子特有の性質なのか、環境のせいなのか、いつしか私は(自分で何とかしなきゃ)という感覚を身に着けた。甘えるのが下手になった。」
と記しているように、自分自身と向き合う、自分自身で考える、という技を、身に着けていったのかもしれません。その事によって、物事を一面的に見ず、色々な解釈をすることが出来るようになってきたのかもしれません。
ただし彼女は役者ですから、基本的に物事を見るとき、役者としての目線で見ているように見えました。
テレビのお笑い番組で芸人がどのようにして人を笑わせるか、野球選手の勝利の表情から覗える心情、街角を歩く少女達の内面、そう言ったことを自分なりに感じとろうとしているように見えました。
その内面に踏み込んでいこうとする姿勢や共感、影響される部分は、一歩引いて物事を見ている彼女の立ち位置と記した先程の文章とは相反するように思えるかもしれません。
その点に関しては、彼女の唯一の趣味(と自分で言っている)写真が関係してくるのではないでしょうか。
「真剣な遊び」とも言い換えているこの趣味。
「目で見た風景を、改めて一枚の写真として見直すと、色々なイメージが広がる。物言わぬ写真が、私を刺激し、想像を膨らませる。そのとき自分が何を見ていたか、どんな風に見つめていたか……。そのことと向き合うのが面白い。
人もまた、一人で自分を知るのは困難なことかもしれない。人と関わり、その形に自分自身の姿が映し出され、自分を知っていく。
写真を撮るとき、ファインダーを覗いていると、対象となるものと一対一の関係になる。その集中した感じが、個人的な空間の雰囲気が、好きなのかもしれない。或いは、そこにある微妙な距離感が好きなのかもしれない。」
写真というものを日常よく使っているようですが、自分の目でものを見るときも、ファインダーを覗くようにして距離感を計り、窺っているのかもしれません。
写真自体はどうかというと。素晴らしいとは思えませんでした。正直な話ですが。
日常で彼女の心に留まったものを撮影しているので、彼女自身には思い入れのあるものですが、自分としてはとりとめのない作品が多かったです。良く言えば、素朴な良さはありますが。
ただそんな中でも幾つか自分でも気に入ったものはありました。
ビルの窓に映った夕焼けのアップ。これは、色彩が豊かで、ルービックキューブのようにも見えました。また、共演した役者さんの豊かな表情を抑えた写真。それに、最後、犬たちの写真。
犬間関係というエッセイで、実家で飼っている犬たちの微妙な関係を記していました。
3匹いる内の2匹が兄弟で、もう一匹がその2匹の仲間に入ろうとしても、なかなか入れず、終いに背中に孤独な陰を漂わすようになった、という話です。
それを象徴的に捉えた写真がありました。ベッドで寝ている3匹ですが、兄弟は比較的近いところで寝ているのに、もう一匹は間を空けて一匹で寝ているのです。これには何だか、切ないなあと思ってしまいました。
松たか子のフォト・エッセイ集。
彼女が24~26歳頃に雑誌に掲載された物を集めた作品。
とりあえずざっと読み切りました。
人間一人一人が何を考えているかはわからないので、彼女が特別なのかどうかはわかりませんが、ただ芸能一家に生まれ、育ち、役者として、歌手として活動されている、感性の片鱗を窺うことは出来ました。
彼女の実際の気質はどうなのかはわかりませんが、このエッセイ集を読んでいて感じるのは、どこか一歩引いて物事を見ているという、彼女の立ち位置。
「末っ子特有の性質なのか、環境のせいなのか、いつしか私は(自分で何とかしなきゃ)という感覚を身に着けた。甘えるのが下手になった。」
と記しているように、自分自身と向き合う、自分自身で考える、という技を、身に着けていったのかもしれません。その事によって、物事を一面的に見ず、色々な解釈をすることが出来るようになってきたのかもしれません。
ただし彼女は役者ですから、基本的に物事を見るとき、役者としての目線で見ているように見えました。
テレビのお笑い番組で芸人がどのようにして人を笑わせるか、野球選手の勝利の表情から覗える心情、街角を歩く少女達の内面、そう言ったことを自分なりに感じとろうとしているように見えました。
その内面に踏み込んでいこうとする姿勢や共感、影響される部分は、一歩引いて物事を見ている彼女の立ち位置と記した先程の文章とは相反するように思えるかもしれません。
その点に関しては、彼女の唯一の趣味(と自分で言っている)写真が関係してくるのではないでしょうか。
「真剣な遊び」とも言い換えているこの趣味。
「目で見た風景を、改めて一枚の写真として見直すと、色々なイメージが広がる。物言わぬ写真が、私を刺激し、想像を膨らませる。そのとき自分が何を見ていたか、どんな風に見つめていたか……。そのことと向き合うのが面白い。
人もまた、一人で自分を知るのは困難なことかもしれない。人と関わり、その形に自分自身の姿が映し出され、自分を知っていく。
写真を撮るとき、ファインダーを覗いていると、対象となるものと一対一の関係になる。その集中した感じが、個人的な空間の雰囲気が、好きなのかもしれない。或いは、そこにある微妙な距離感が好きなのかもしれない。」
写真というものを日常よく使っているようですが、自分の目でものを見るときも、ファインダーを覗くようにして距離感を計り、窺っているのかもしれません。
写真自体はどうかというと。素晴らしいとは思えませんでした。正直な話ですが。
日常で彼女の心に留まったものを撮影しているので、彼女自身には思い入れのあるものですが、自分としてはとりとめのない作品が多かったです。良く言えば、素朴な良さはありますが。
ただそんな中でも幾つか自分でも気に入ったものはありました。
ビルの窓に映った夕焼けのアップ。これは、色彩が豊かで、ルービックキューブのようにも見えました。また、共演した役者さんの豊かな表情を抑えた写真。それに、最後、犬たちの写真。
犬間関係というエッセイで、実家で飼っている犬たちの微妙な関係を記していました。
3匹いる内の2匹が兄弟で、もう一匹がその2匹の仲間に入ろうとしても、なかなか入れず、終いに背中に孤独な陰を漂わすようになった、という話です。
それを象徴的に捉えた写真がありました。ベッドで寝ている3匹ですが、兄弟は比較的近いところで寝ているのに、もう一匹は間を空けて一匹で寝ているのです。これには何だか、切ないなあと思ってしまいました。
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