映画、「クライマーズ・ハイ」の簡単な評価。
映画冒頭を見逃してしまっているので何とも言えないが、個人的には面白かった。
カメラワークやカット割りを工夫していると言うのを以前何かで見た。例えば主人公から離れた場所で室内を広く捉えるカットがあったとして、その中で登場人物は各々意志を持って動いている。
カメラは確か基本的には一つだから、多角で同時撮影はしていない。
なので、そこからより主人公に寄ったカットに切り替わる、そのシーンの撮影の時に役者は、さっきの全景で動いていた動き、タイミングを再現して演技をしなければいけない。
こうした形で撮影することによってカット事に切り離されたものではなくて、地続きの、時間的により連続、連動したものとして捉えやすくなっている。
これは作品としての緊迫感、臨場感を生み出しやすくなっている。舞台が新聞社で、締め切りに終われる、刻一刻の勝負を描いている本作ではこれが有効に働いていると思える。
カットも頻繁に切り替わり、色々な角度から捉えているから、社内全体の雑然とした感じもうまく捉えられていた。
こういった形で細かくカット割りを(あるいは編集を)しているおかげで、作品としては非常にテンポの良さを感じた。また、盛り上がりにも寄与していると思う。
もちろん、繋がりが一部疑問に思えるところもあったが、概ね、新聞社内での政治的駆け引きがメインとなる本作においては機能していた。
この恋愛要素をほぼ抜き去った政治的色合いの濃さ、社内での人間関係のパワーバランス、権力闘争、出し抜き、駆け引き、そう言った物が個人的にはツボだった。
非常に面白かった。そこに、主人公の過去、家族関係、心理的弱みとの戦い、そう言った物を絡めていた。
その点に関して冒頭を自分は見ていないために、この作品の評価を決することができない。ひとつひとつのエピソードや、作品の流れ、展開、結末、これらの繋がり、意味を。
半落ちは原作も読んだが、一歩ずつ着実に盛り上がり、頂点に達したところで、事情によりそれが頓挫(振り上げた手を下ろ)してしまう。ということが度々ある。
それは作品の性質上仕方がないことだし、最終的に質の違う感動へと集約されていくのだが、このクライマーズ・ハイでもそう言ったところが見られた。
出来れば満額で、最後にカタルシスを得られる物を、横山秀夫さんの著作で読んでみたい(あるいは見てみたい)。
映画冒頭を見逃してしまっているので何とも言えないが、個人的には面白かった。
カメラワークやカット割りを工夫していると言うのを以前何かで見た。例えば主人公から離れた場所で室内を広く捉えるカットがあったとして、その中で登場人物は各々意志を持って動いている。
カメラは確か基本的には一つだから、多角で同時撮影はしていない。
なので、そこからより主人公に寄ったカットに切り替わる、そのシーンの撮影の時に役者は、さっきの全景で動いていた動き、タイミングを再現して演技をしなければいけない。
こうした形で撮影することによってカット事に切り離されたものではなくて、地続きの、時間的により連続、連動したものとして捉えやすくなっている。
これは作品としての緊迫感、臨場感を生み出しやすくなっている。舞台が新聞社で、締め切りに終われる、刻一刻の勝負を描いている本作ではこれが有効に働いていると思える。
カットも頻繁に切り替わり、色々な角度から捉えているから、社内全体の雑然とした感じもうまく捉えられていた。
こういった形で細かくカット割りを(あるいは編集を)しているおかげで、作品としては非常にテンポの良さを感じた。また、盛り上がりにも寄与していると思う。
もちろん、繋がりが一部疑問に思えるところもあったが、概ね、新聞社内での政治的駆け引きがメインとなる本作においては機能していた。
この恋愛要素をほぼ抜き去った政治的色合いの濃さ、社内での人間関係のパワーバランス、権力闘争、出し抜き、駆け引き、そう言った物が個人的にはツボだった。
非常に面白かった。そこに、主人公の過去、家族関係、心理的弱みとの戦い、そう言った物を絡めていた。
その点に関して冒頭を自分は見ていないために、この作品の評価を決することができない。ひとつひとつのエピソードや、作品の流れ、展開、結末、これらの繋がり、意味を。
半落ちは原作も読んだが、一歩ずつ着実に盛り上がり、頂点に達したところで、事情によりそれが頓挫(振り上げた手を下ろ)してしまう。ということが度々ある。
それは作品の性質上仕方がないことだし、最終的に質の違う感動へと集約されていくのだが、このクライマーズ・ハイでもそう言ったところが見られた。
出来れば満額で、最後にカタルシスを得られる物を、横山秀夫さんの著作で読んでみたい(あるいは見てみたい)。
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