9月16日の日記
2007年9月15日「子供の頃の話なんですけどね」
アマノがタバコを口に咥えて火をつけると、フウといっぺんに息を吐き出した。それからもう一呼吸置いて灰を指で落とすと、ちらりとこちらを上目で確認して、思い出す様子で話し始めた。
「スドウ君ってのがいたんですよ。小学生の頃かな」
アマノは子供の頃複数回引っ越しを経験している。物心ついて初めての引っ越しが小学校の中学年の時で、随分田舎の方だったらしい。それまでは都会とは言わないまでも、不自由のない土地で暮らしていた事もあって、何もないその土地がとても退屈に感じたようだ。
土地が違えば人もやはり少し違う。コミュニケーションが微妙に違うのだ。初めての引っ越しというものを社会性の帯び始めてきた歳で経験して、なかなかクラスに馴染めなかったようだった。
環境への不満が高まって、アマノはよく一人で外に出て、何とはなしに長い間歩いて遠くまで出かけたり、家出まがいのことも何度かしたらしい。親には怒られたが、それでもやめなかった。
「わからないですね。今となっては。たぶん、反抗というか、環境全てに対してだと思うんですよ」
そんな時だった。スドウと出会ったのは。
「隣の村か、そのもっと先の所だったかは良く覚えてないんですけど、空き地があって、一人でボーッとしてたんですよ。木の枝振ったりなんかして」
一人でとぼとぼと歩いてきて、その空き地の土管に座っていた。気がついたら空は真っ赤だったという。
仰向けに寝ていて、足をぶらぶらさせていた。そろそろ帰ろうかと思っていたところに、誰かが顔を覗き込んできたのだ。
「ビックリしましたよ。だってもうほんと、目の前なんですから」
驚いて慌てて起き上がると、その少年は笑い転げた。
眉の上で切りそろえられた髪、半ズボンによれたシャツ、腕や足は汚れている。清潔とは言えない出で立ちの彼は、強いギョロッとした目を細め、口を裂けそうなくらい広げて笑顔を作った。
スドウだと名乗った。
少し警戒心はあったが、彼が随分と積極的に話してきたこともあって、アマノはだんだんと気を許していった。
「ちょっと変なところはあったけど、話してみると悪いやつじゃないんです。学校も違うということがわかって、自分のその時の環境の、一歩外の人間でしたから、まあいいかと思ったんだと思います」
スドウとは急速に仲良くなっていった。一週間のうちほとんど毎日、だいたいはアマノが遠く歩いて会いに行っていた。
遊ぶといっても二人だから大きな遊びは出来なかったが、一人の時とは明らかに出来ることが違う。
どんなことをするのかはスドウの方が主に決めていた。土地に不慣れなアマノがするよりもずっと色々なことをい知っていたからだ。
内容に対しては特に不満はなかった。久しぶりに友達と遊ぶという楽しさを思い出していたのだ。
他愛のない話をしたり、バカみたいな遊びで体を汚したりして日々が過ぎていった。
「虫を殺したりしましたよ。昆虫とかね。スドウが何の躊躇もなく殺すんですよ。何しろ田舎だから一杯いるし、遊び道具みたいなもんなんでしょうね。今虫に平気で触れるのは、あの頃の成果ですよ」
アマノは口の端を吊りながら煙を吐き出す。
スドウはいつも、会うたび四肢を埃にまみれたように汚していたが、こんな調子だったのできっと学校で遊んだりして汚れたんだろうと気にしなかった。
そんなある日。
「それまでもたまに、話の流れで学校とか友達とかのことに触れる機会があったんですけど、そこの部分にはあまりノリが良くなかったですね。楽しそうにしてるときでも、なんか誤魔化そうとしているっていうか」
その理由がわかったのはその日だった。
いつものように二人で遊んでいると、同年代の子供が7〜8人くらいでやってきた。先にアマノが気付いて、それにつられてスドウも見つけたようだった。
「様子がおかしかったですね。集団が来たから、どうしようかと思ってスドウを確認したんですね。そしたら、何かぶつぶつ言ってるんですよ」
よく見ると小刻みに震えているようだった。
行こう、と言って、スドウはアマノの手首を掴むと、子供達と反対方向に歩き出した。あまりに強く引っ張るから、思わず痛みで声が出たほどだった。
しかしすぐに集団が追いかけてきて、抑えられた。
スドウはみんなに囲まれると、散々なじられながら叩かれたり蹴られたりした。みんな笑いながら遠慮がない。
「気持ち悪いんだよとか、スドウの分際で、とかね。まあいわゆるイジメですよ。自分はどうしていいかわからなくて少し離れたところで立ってましたね。二人くらいでマークされてて、助けようと思ってもたぶん無理です。それに、人数が人数ですからね」
リーダー格と思われる体付きのいい少年は、アマノがどこの誰で、スドウとどういう関係なのかを聞いた。聞くだけで特に何もされなかった。
「まあ、威圧はかけられましたけど」
そして最後、帰り際に、もうスドウなんかとは遊ぶな、もし遊んでたら酷い目に遭わせるぞ、と言って去っていった。
残されたスドウは見るも無惨だった。呻いて、半泣きで、砂埃が舞うとほとんど地面と区別が付かなくなるくらいに薄汚れていた。
「もう遊ぶという雰囲気じゃないですから、その場で解散ですよ」
アマノはその出来事があってから、次第にスドウと遊ぶ回数が減っていった。
「威圧に負けたとかそういう事じゃないんですよ。丁度その前後くらいから、学校でもだんだん友達ができはじめてたんです」
スドウという友人を得て、少し余裕が出てきていたのかもしれない。クラスメイトともうち解けてきていたのだ。当然、彼らと付き合うようになれば、時間を捻出しなければいけない。必然的に、今までが異常だと言えるほど遊びすぎていたスドウとの時間を、地元の友人達に充てることになった。
タイミングが悪かったのだ。
会いに行く回数が減る中で、スドウの元気も以前より少し減っているように見えた。また、地元の友人達と密度の濃い時間を過ごすようになると、逆にスドウとのやり取りに違和感を覚えるようになっていった。
「友達同士の呼吸の間とか、あるじゃないですか。あれが合わなくなってくるんですよね」
そういったことが積み重なって、ますます遊びに行かなくなっていた時だった。
5日ほど空けて会いに行くと、いきなりスドウが恐ろしい形相でまくし立ててきた。
「お前、俺を見下しているんじゃないか。お前、俺のこと嫌いなんだろ、とかね」
アマノが友達を作ったことへの嫉妬だったのか、不安だったのか。
実際アマノは友人が出来たことで随分心に余裕が出来ていたらしい。優越感というと言い過ぎだが、そういう部分は態度に表れやすいから、スドウは敏感に感じていたのかもしれない。スドウのような弱者は、そういったことに過敏であったりする。
「そういうことがあるでしょ。だからだんだん会ってもつまらなくなっていたし、楽しいと言うより、むしろ気味が悪くなると言うか、怖かったね。最初に会ってた頃の、変わってるなと感じていたところが、悪い意味で今度はスドウのほとんどを占めるようなったというか。自分の中で」
友人が増えていくにつれ、スドウの風変わりな風貌や性格が受け入れられなくなっていった。
ようやくその土地の環境にも慣れ始めて、毎日が充実し始めた頃だった。
「親に、また引っ越すって聞かされたんですよ」
せっかく馴染んできたのにという寂しさ、名残惜しさがあったが、仕方がなかった。クラスメイトに話すと、残念がってくれたという。
「嬉しかったですね。寂しかった」
遠い目をしながらアマノは言った。
転校まであと僅かという頃になると、もうスドウとはほとんど会っていなかった。
心のどこかでスドウに対する引っかかりはあったが、それは片隅で、忘れて楽しく過ごしていた。
「本当に時たま思い出すとか、それくらいだったんですよ」
そして、出発まであと三日と迫った時だった。
「地元の友達と遊んで帰ってきて自分の部屋に行くでしょ。二階だったんですよ。もう日が暮れて薄暗くなっていたんですけど、何気なく窓から外を見たら、家の前にスドウがいたんです」
戦慄を覚えたという。
「だって、家なんて教えてなかったんですよ。どうやって知ったのかって思うじゃないですか。いつ、もし遊んだ後とかにつけられていたのかと思うと」
スドウはじっと立って玄関を見つめていた。しばらくすると、ゆっくりと顔を上げて、ゆっくりゆっくりアマノの覗いている窓に首を回した。
アマノは慌てて顔を引っ込めた。部屋の電気は付けていない。相手に見ていたことを気付かれているかはわからなかった。
すると、インターホンが鳴った。
母親がアマノを呼びに来た。降りていくと、玄関にいつもの汚れた格好でスドウが立っていた。
「来ないから来たよ」
そう言って、ニッと笑った。居間の光がスドウの瞳に返って油のように光っていた。
スドウと話をする気になれなかった。スドウにはもうすぐ引っ越すと伝えて、やることがあるからと、帰ってもらうように話した。
「やることがあるのに、他の奴と遊んでたんだ」
いちいち冷たくて、ねっとりしている。喋りに感情の起伏がない。いや、あるのだけど、それは気持ちのいいものではなかった。平坦な中に、何かの感情を抑えている、というのがわかるのだ。
「引っ越しても、また遊ぼうな。来れなかったら、俺が行くから」
彼はもうすぐ闇になる、陰った深い紫の下に姿を消していった。
「あいつとの会話は、それが最後でした」
3日後、クラスの仲間に見送られて、アマノは新天地に発った。
新しい学校では、経験もあって、割とすぐに馴染めたという。
「最初の頃はスドウの言葉が不気味で気になりましたよ。実績ありますからね。でも、すぐに忘れました」
笑いながらアマノは言った。
それ以降もやはり度々転校を繰り返したという。
その後は特に、何かありましたかと聞くと、アマノは明後日の方を向いて思い出す仕草を見せた。
「んー、まあ、特には。その後は全然順調ですよ。転校にも慣れましたしね。逆に、仕事について落ち着いちゃうと何かそっちの方が違和感ありますね」
そうですかと言ってノートを閉じる。ひとしきり談笑して、軽くご飯を食べた後、席を立とうとした。するとアマノは立ち上がる気配がない。
どうしました、と訊く。アマノは、虚ろな目をこちらに向けた。
「最後に一ついいですか」
はい、と答えると、アマノが口を開いた。
「この間、仕事で外を回ってたんです。暑くてスーツを脱いで腕に抱えて、急いでたんで小走りでした。汗が噴き出してくるんで、ハンカチで拭ってたんですけど、粒が片目に入っちゃって、ちょっと目を閉じながら走ってたら、ぶつかったんです。子供に。小学生でしたね。ごめんと言って振り向いたら、こちらを向いてニッと笑ったんです。今どき半袖半ズボンかなんて思ったんですけど、時間がないんで行きました。違和感はあったんです。あったんです。しばらくしてから気がついたんです。その小学生、スドウにそっくりなんです。でも何年経ってると思います。そんな馬鹿なと思って、気にしてませんでした」
アマノはグラスの水を勢いよく飲んだ。
「そのあと、一日か二日して、自宅のベランダから外を眺めてたんです。そしたら、この間の小学生が、マンションの裏の道を俯きながら歩いてました。薄暗かったんでよく分からなかったんですけど、間違いないと思います。何か、見つかるのがイヤで、何となく、部屋の中に逃げました。その次の日、今度は、仕事から帰ってきて、階段を上っていると、マンションの入り口前の道路に、小学生が立っているのを見つけました。ジッと。嫌な気持ちになって、走って部屋まで駆けました。なぜだと思います。そいつ、ゆっくり、ゆっくり、階段の下の方から、顔を見上げてくるんですよ。最後、ほとんどあいつの視線と自分の部屋の階とが重なりそうになったとき、ドアを開けて飛び込みました。見つかったかどうかはわかりません。しばらくすると、インターホンが鳴りました。ドアに背をつけて座り込んでいました。息を切らして。開けずにいると、また鳴って、焦っている、という感じはないんです。一定の間隔で、ずっと。だから、そんなはずはないと思って、立ち上がって、覗き窓を見てやりました」
渇いた喉を、アマノは唾を飲み込んでやり過ごす。
「誰もいませんでした。インターホンも止まりました。へたり込んで、三角座りになって、笑いましたね。そしたら、ドアの、新聞受けの開く音がしたんです」
アマノの指に挟まれたタバコは落とされていない灰で半分になっていて、じわりじわりと残りを焼いていく。
不意に、固まりが折れて机に落ちた。
よく見ると、アマノの手が小さく震えていた。
「やっと見つけた、って聞こえたんです」
アマノの顔からは生気が抜けたように表情が消えていた。
「最近、部屋の中で足音が聞こえるんです。俺、一人暮らしですよ。もちろん。ベランダを挟んだカーテンに、人影が映ったり。俺、疲れてんのかな」
気力のない笑い滓が、口から二、三回吐き出される。
アマノさん、と呼びかけても、彼は続けた。
「朝起きたら机にカッターで変な言葉が刻まれてるし、最近、よく事故に遭いそうになるんです」
アマノさん、強く呼びかけて目で見据えると、彼は我に返ったように目を開いた。
「ねえ、ほんとに、お払いって、効くんですかね?」
受けなさいと答えた。それしか答えられなかった。
「本当にごめんなさい。今日は、取り乱しちゃって」
アマノを伴って会計を済ませ店の外に出る。
覗ってもいいですかと前置きして、刻まれた変な言葉は何なのかと訊いた。
一呼吸間を置いて、彼は答えた。
「来れないから来たよ。一緒にこっちで遊ぼう」
起伏のない喋り声を聞いて振り返った。
アマノの肩に青白い指がのっている。首元から、光のない右目がこちらを覗いている。眉の上でそろった髪。薄汚れた青白い肌。
ニッと笑って隠れると、アマノは一礼して、向こうに歩いていった。
-----------------------------------------------------------
平山夢明をちょっと意識しました。
でも怖さは全然足下にも及ばない。
難しいなぁ。怖い話って。
後半疲れた。
タイトル思いつかない。
アマノがタバコを口に咥えて火をつけると、フウといっぺんに息を吐き出した。それからもう一呼吸置いて灰を指で落とすと、ちらりとこちらを上目で確認して、思い出す様子で話し始めた。
「スドウ君ってのがいたんですよ。小学生の頃かな」
アマノは子供の頃複数回引っ越しを経験している。物心ついて初めての引っ越しが小学校の中学年の時で、随分田舎の方だったらしい。それまでは都会とは言わないまでも、不自由のない土地で暮らしていた事もあって、何もないその土地がとても退屈に感じたようだ。
土地が違えば人もやはり少し違う。コミュニケーションが微妙に違うのだ。初めての引っ越しというものを社会性の帯び始めてきた歳で経験して、なかなかクラスに馴染めなかったようだった。
環境への不満が高まって、アマノはよく一人で外に出て、何とはなしに長い間歩いて遠くまで出かけたり、家出まがいのことも何度かしたらしい。親には怒られたが、それでもやめなかった。
「わからないですね。今となっては。たぶん、反抗というか、環境全てに対してだと思うんですよ」
そんな時だった。スドウと出会ったのは。
「隣の村か、そのもっと先の所だったかは良く覚えてないんですけど、空き地があって、一人でボーッとしてたんですよ。木の枝振ったりなんかして」
一人でとぼとぼと歩いてきて、その空き地の土管に座っていた。気がついたら空は真っ赤だったという。
仰向けに寝ていて、足をぶらぶらさせていた。そろそろ帰ろうかと思っていたところに、誰かが顔を覗き込んできたのだ。
「ビックリしましたよ。だってもうほんと、目の前なんですから」
驚いて慌てて起き上がると、その少年は笑い転げた。
眉の上で切りそろえられた髪、半ズボンによれたシャツ、腕や足は汚れている。清潔とは言えない出で立ちの彼は、強いギョロッとした目を細め、口を裂けそうなくらい広げて笑顔を作った。
スドウだと名乗った。
少し警戒心はあったが、彼が随分と積極的に話してきたこともあって、アマノはだんだんと気を許していった。
「ちょっと変なところはあったけど、話してみると悪いやつじゃないんです。学校も違うということがわかって、自分のその時の環境の、一歩外の人間でしたから、まあいいかと思ったんだと思います」
スドウとは急速に仲良くなっていった。一週間のうちほとんど毎日、だいたいはアマノが遠く歩いて会いに行っていた。
遊ぶといっても二人だから大きな遊びは出来なかったが、一人の時とは明らかに出来ることが違う。
どんなことをするのかはスドウの方が主に決めていた。土地に不慣れなアマノがするよりもずっと色々なことをい知っていたからだ。
内容に対しては特に不満はなかった。久しぶりに友達と遊ぶという楽しさを思い出していたのだ。
他愛のない話をしたり、バカみたいな遊びで体を汚したりして日々が過ぎていった。
「虫を殺したりしましたよ。昆虫とかね。スドウが何の躊躇もなく殺すんですよ。何しろ田舎だから一杯いるし、遊び道具みたいなもんなんでしょうね。今虫に平気で触れるのは、あの頃の成果ですよ」
アマノは口の端を吊りながら煙を吐き出す。
スドウはいつも、会うたび四肢を埃にまみれたように汚していたが、こんな調子だったのできっと学校で遊んだりして汚れたんだろうと気にしなかった。
そんなある日。
「それまでもたまに、話の流れで学校とか友達とかのことに触れる機会があったんですけど、そこの部分にはあまりノリが良くなかったですね。楽しそうにしてるときでも、なんか誤魔化そうとしているっていうか」
その理由がわかったのはその日だった。
いつものように二人で遊んでいると、同年代の子供が7〜8人くらいでやってきた。先にアマノが気付いて、それにつられてスドウも見つけたようだった。
「様子がおかしかったですね。集団が来たから、どうしようかと思ってスドウを確認したんですね。そしたら、何かぶつぶつ言ってるんですよ」
よく見ると小刻みに震えているようだった。
行こう、と言って、スドウはアマノの手首を掴むと、子供達と反対方向に歩き出した。あまりに強く引っ張るから、思わず痛みで声が出たほどだった。
しかしすぐに集団が追いかけてきて、抑えられた。
スドウはみんなに囲まれると、散々なじられながら叩かれたり蹴られたりした。みんな笑いながら遠慮がない。
「気持ち悪いんだよとか、スドウの分際で、とかね。まあいわゆるイジメですよ。自分はどうしていいかわからなくて少し離れたところで立ってましたね。二人くらいでマークされてて、助けようと思ってもたぶん無理です。それに、人数が人数ですからね」
リーダー格と思われる体付きのいい少年は、アマノがどこの誰で、スドウとどういう関係なのかを聞いた。聞くだけで特に何もされなかった。
「まあ、威圧はかけられましたけど」
そして最後、帰り際に、もうスドウなんかとは遊ぶな、もし遊んでたら酷い目に遭わせるぞ、と言って去っていった。
残されたスドウは見るも無惨だった。呻いて、半泣きで、砂埃が舞うとほとんど地面と区別が付かなくなるくらいに薄汚れていた。
「もう遊ぶという雰囲気じゃないですから、その場で解散ですよ」
アマノはその出来事があってから、次第にスドウと遊ぶ回数が減っていった。
「威圧に負けたとかそういう事じゃないんですよ。丁度その前後くらいから、学校でもだんだん友達ができはじめてたんです」
スドウという友人を得て、少し余裕が出てきていたのかもしれない。クラスメイトともうち解けてきていたのだ。当然、彼らと付き合うようになれば、時間を捻出しなければいけない。必然的に、今までが異常だと言えるほど遊びすぎていたスドウとの時間を、地元の友人達に充てることになった。
タイミングが悪かったのだ。
会いに行く回数が減る中で、スドウの元気も以前より少し減っているように見えた。また、地元の友人達と密度の濃い時間を過ごすようになると、逆にスドウとのやり取りに違和感を覚えるようになっていった。
「友達同士の呼吸の間とか、あるじゃないですか。あれが合わなくなってくるんですよね」
そういったことが積み重なって、ますます遊びに行かなくなっていた時だった。
5日ほど空けて会いに行くと、いきなりスドウが恐ろしい形相でまくし立ててきた。
「お前、俺を見下しているんじゃないか。お前、俺のこと嫌いなんだろ、とかね」
アマノが友達を作ったことへの嫉妬だったのか、不安だったのか。
実際アマノは友人が出来たことで随分心に余裕が出来ていたらしい。優越感というと言い過ぎだが、そういう部分は態度に表れやすいから、スドウは敏感に感じていたのかもしれない。スドウのような弱者は、そういったことに過敏であったりする。
「そういうことがあるでしょ。だからだんだん会ってもつまらなくなっていたし、楽しいと言うより、むしろ気味が悪くなると言うか、怖かったね。最初に会ってた頃の、変わってるなと感じていたところが、悪い意味で今度はスドウのほとんどを占めるようなったというか。自分の中で」
友人が増えていくにつれ、スドウの風変わりな風貌や性格が受け入れられなくなっていった。
ようやくその土地の環境にも慣れ始めて、毎日が充実し始めた頃だった。
「親に、また引っ越すって聞かされたんですよ」
せっかく馴染んできたのにという寂しさ、名残惜しさがあったが、仕方がなかった。クラスメイトに話すと、残念がってくれたという。
「嬉しかったですね。寂しかった」
遠い目をしながらアマノは言った。
転校まであと僅かという頃になると、もうスドウとはほとんど会っていなかった。
心のどこかでスドウに対する引っかかりはあったが、それは片隅で、忘れて楽しく過ごしていた。
「本当に時たま思い出すとか、それくらいだったんですよ」
そして、出発まであと三日と迫った時だった。
「地元の友達と遊んで帰ってきて自分の部屋に行くでしょ。二階だったんですよ。もう日が暮れて薄暗くなっていたんですけど、何気なく窓から外を見たら、家の前にスドウがいたんです」
戦慄を覚えたという。
「だって、家なんて教えてなかったんですよ。どうやって知ったのかって思うじゃないですか。いつ、もし遊んだ後とかにつけられていたのかと思うと」
スドウはじっと立って玄関を見つめていた。しばらくすると、ゆっくりと顔を上げて、ゆっくりゆっくりアマノの覗いている窓に首を回した。
アマノは慌てて顔を引っ込めた。部屋の電気は付けていない。相手に見ていたことを気付かれているかはわからなかった。
すると、インターホンが鳴った。
母親がアマノを呼びに来た。降りていくと、玄関にいつもの汚れた格好でスドウが立っていた。
「来ないから来たよ」
そう言って、ニッと笑った。居間の光がスドウの瞳に返って油のように光っていた。
スドウと話をする気になれなかった。スドウにはもうすぐ引っ越すと伝えて、やることがあるからと、帰ってもらうように話した。
「やることがあるのに、他の奴と遊んでたんだ」
いちいち冷たくて、ねっとりしている。喋りに感情の起伏がない。いや、あるのだけど、それは気持ちのいいものではなかった。平坦な中に、何かの感情を抑えている、というのがわかるのだ。
「引っ越しても、また遊ぼうな。来れなかったら、俺が行くから」
彼はもうすぐ闇になる、陰った深い紫の下に姿を消していった。
「あいつとの会話は、それが最後でした」
3日後、クラスの仲間に見送られて、アマノは新天地に発った。
新しい学校では、経験もあって、割とすぐに馴染めたという。
「最初の頃はスドウの言葉が不気味で気になりましたよ。実績ありますからね。でも、すぐに忘れました」
笑いながらアマノは言った。
それ以降もやはり度々転校を繰り返したという。
その後は特に、何かありましたかと聞くと、アマノは明後日の方を向いて思い出す仕草を見せた。
「んー、まあ、特には。その後は全然順調ですよ。転校にも慣れましたしね。逆に、仕事について落ち着いちゃうと何かそっちの方が違和感ありますね」
そうですかと言ってノートを閉じる。ひとしきり談笑して、軽くご飯を食べた後、席を立とうとした。するとアマノは立ち上がる気配がない。
どうしました、と訊く。アマノは、虚ろな目をこちらに向けた。
「最後に一ついいですか」
はい、と答えると、アマノが口を開いた。
「この間、仕事で外を回ってたんです。暑くてスーツを脱いで腕に抱えて、急いでたんで小走りでした。汗が噴き出してくるんで、ハンカチで拭ってたんですけど、粒が片目に入っちゃって、ちょっと目を閉じながら走ってたら、ぶつかったんです。子供に。小学生でしたね。ごめんと言って振り向いたら、こちらを向いてニッと笑ったんです。今どき半袖半ズボンかなんて思ったんですけど、時間がないんで行きました。違和感はあったんです。あったんです。しばらくしてから気がついたんです。その小学生、スドウにそっくりなんです。でも何年経ってると思います。そんな馬鹿なと思って、気にしてませんでした」
アマノはグラスの水を勢いよく飲んだ。
「そのあと、一日か二日して、自宅のベランダから外を眺めてたんです。そしたら、この間の小学生が、マンションの裏の道を俯きながら歩いてました。薄暗かったんでよく分からなかったんですけど、間違いないと思います。何か、見つかるのがイヤで、何となく、部屋の中に逃げました。その次の日、今度は、仕事から帰ってきて、階段を上っていると、マンションの入り口前の道路に、小学生が立っているのを見つけました。ジッと。嫌な気持ちになって、走って部屋まで駆けました。なぜだと思います。そいつ、ゆっくり、ゆっくり、階段の下の方から、顔を見上げてくるんですよ。最後、ほとんどあいつの視線と自分の部屋の階とが重なりそうになったとき、ドアを開けて飛び込みました。見つかったかどうかはわかりません。しばらくすると、インターホンが鳴りました。ドアに背をつけて座り込んでいました。息を切らして。開けずにいると、また鳴って、焦っている、という感じはないんです。一定の間隔で、ずっと。だから、そんなはずはないと思って、立ち上がって、覗き窓を見てやりました」
渇いた喉を、アマノは唾を飲み込んでやり過ごす。
「誰もいませんでした。インターホンも止まりました。へたり込んで、三角座りになって、笑いましたね。そしたら、ドアの、新聞受けの開く音がしたんです」
アマノの指に挟まれたタバコは落とされていない灰で半分になっていて、じわりじわりと残りを焼いていく。
不意に、固まりが折れて机に落ちた。
よく見ると、アマノの手が小さく震えていた。
「やっと見つけた、って聞こえたんです」
アマノの顔からは生気が抜けたように表情が消えていた。
「最近、部屋の中で足音が聞こえるんです。俺、一人暮らしですよ。もちろん。ベランダを挟んだカーテンに、人影が映ったり。俺、疲れてんのかな」
気力のない笑い滓が、口から二、三回吐き出される。
アマノさん、と呼びかけても、彼は続けた。
「朝起きたら机にカッターで変な言葉が刻まれてるし、最近、よく事故に遭いそうになるんです」
アマノさん、強く呼びかけて目で見据えると、彼は我に返ったように目を開いた。
「ねえ、ほんとに、お払いって、効くんですかね?」
受けなさいと答えた。それしか答えられなかった。
「本当にごめんなさい。今日は、取り乱しちゃって」
アマノを伴って会計を済ませ店の外に出る。
覗ってもいいですかと前置きして、刻まれた変な言葉は何なのかと訊いた。
一呼吸間を置いて、彼は答えた。
「来れないから来たよ。一緒にこっちで遊ぼう」
起伏のない喋り声を聞いて振り返った。
アマノの肩に青白い指がのっている。首元から、光のない右目がこちらを覗いている。眉の上でそろった髪。薄汚れた青白い肌。
ニッと笑って隠れると、アマノは一礼して、向こうに歩いていった。
-----------------------------------------------------------
平山夢明をちょっと意識しました。
でも怖さは全然足下にも及ばない。
難しいなぁ。怖い話って。
後半疲れた。
タイトル思いつかない。
コメント