腹筋をしながら一文字一文字タイプしています。
2004年8月5日どうもこんにちは。世界が滅べばいいと思っているジンです。
ここ毎日毎日とても暑いので、このまま世界が溶けて無くなってしまったらいいんだよと切に願いながらクーラーの効いた部屋で過ごしています。
さて、最近の私のブーム、俗に言うマイブームというやつは、「新聞のテレビ欄を見ながら番組と番組を、局と局をどう梯子するかに付いて考察する」、という事です。
私は朝刊を手に、自分にとって有益なものを取り入れるべく、朝方からテレビ欄を凝視し、一日の設計図を組み立てるのです。
これは非常に重大なテーマです。この梯子のかけ方を一つ間違えば、とんでもない事態に陥ってしまうという、極めて慎重かつ適切な判断を要求されるものであるからです。
そういった高度な選択技術を要することを強いられながら、日々鍛錬を重ねてきた私は、最近一つの、慎重にならなければいけない状況に気が付きました。
一体どういう場面が慎重にならざるをえないか、例を交えて書き記しておきましょう。
例えば、昼の一時半から、日本テレビで「踊る!さんま御殿」のスペシャル版が再放送されていたとします。
この番組は司会を務める明石屋さんまの力もあって、(笑えるという点に於いて)とても有益な時間を過ごせる、質の高いバラエティ番組である。なので、私の目はこれを捉えると、嬉々としてまずこの番組を見るということを前提に他を探ります。
しかしです。
昼の一時半という放送時間に問題がありました。この一見何の変哲も無いような部分に、重大な落とし穴があるのです。
私はマイタイムテーブル(通称MT。その日の予定表と言ってもいい)を埋めるべく、他の自分にとって有益な番組を探します。
そうすると、午後一時から、フジテレビで「奇跡体験!アンビリバボー」の再放送があるではありませんか!!
この番組はまるで神の意志が働いたかのごとく奇跡的な展開を見せる実話や、神秘的な出来事を紹介する番組である。放送時間は一時間であるので、計算だと、放送終了は午後の二時になる。
つまり、である。
「踊る!さんま御殿」が放送を開始する午後一時半から、「奇跡体験!アンビリバボー」の終了時刻である午後二時までの間、どちらを見るべきか悩む三十分間の「グレーゾーン」が発生してしまうのである!!!
これはまことに遺憾な事態である。
どちらの番組もある程度質は保証されているし、簡単にどちらかを捨てきれる話ではないのである。しかも、仮に「奇跡体験!アンビリバボー」を途中で放棄し、「踊る!さんま御殿」に梯子した場合どうなるか。
うまく話の切り替わりの時に移れればいいが、もし中途で移動した場合、両局を行ったり来たりして結局どちらも中途半端にしか見れなかった、という事態になりかねない。これでは消化不良である。
片方に集中したとしても、やはり他方が気になり、後悔の念を抱いてしまうことも否定できない。
この問題は精神的健康状態を左右しかねない、まさに一大事なのである。
この点は最大限の注意を払い、慎重な行動を取るべきです。
この「グレーゾーン」によって、私たちは日常に於いてどれだけの有益な時間と情報を損失しているか、計り知れません。
私はこういった状況に陥った場合、どういった選択を取るべきか悩み、途方もない苦悶を強いられます。音楽を聴いて気違いのようにのた打ち回ります。クーラーの効いた部屋で「今日の昼ご飯何やろ。ハーゲンダッツ食いたい」などと思案に暮れます。
いずれにしても十分自分で割り切れる結論に至らなかった場合、または決断を下すことが出来なかった場合に於いて、まるで神が私のこの苦悩を優しく諭されるように、その御意思を働かせてくれます。
寝ます。
いや、正確には自然と深い眠りに落ちるのです。神の御意思によって私は深い眠りに落ちるのです。
目を覚ますと、私はこの深遠なるご配慮に感謝の念を抱き、また同時にその御意思に内包された真理を探すのです。
そこで得た結論とは、要するに、一言で表しますと、
「見なきゃいいじゃん」
ということです。「そんなに悩むなら見なきゃいいじゃん」という神の御言を耳の内で聞いた様な気がしました。
「寝ちゃいなさいよ。あんた寝ちゃいなさいよ」
と仰られる神の声は私に安息を与えてくださるのです。
こうやってひと時を安らかな状態で過ごした私は、真夜中に起きてひたすらゲームをします。ゲームに没頭できるように疲れを取り除く方法を取っていただいた神の御意思に私は深く深くお礼申し上げ、精神の安静を享受するのです。
つまり、私は、腐ったダメ人間だということです。
これが言いたかった。
あぁ、あと、タイトルに腹筋しながら打っていると書いてありますが、嘘です。どうしようもない嘘です。信じた人はたぶん明日くらいに骨折します。
ここ毎日毎日とても暑いので、このまま世界が溶けて無くなってしまったらいいんだよと切に願いながらクーラーの効いた部屋で過ごしています。
さて、最近の私のブーム、俗に言うマイブームというやつは、「新聞のテレビ欄を見ながら番組と番組を、局と局をどう梯子するかに付いて考察する」、という事です。
私は朝刊を手に、自分にとって有益なものを取り入れるべく、朝方からテレビ欄を凝視し、一日の設計図を組み立てるのです。
これは非常に重大なテーマです。この梯子のかけ方を一つ間違えば、とんでもない事態に陥ってしまうという、極めて慎重かつ適切な判断を要求されるものであるからです。
そういった高度な選択技術を要することを強いられながら、日々鍛錬を重ねてきた私は、最近一つの、慎重にならなければいけない状況に気が付きました。
一体どういう場面が慎重にならざるをえないか、例を交えて書き記しておきましょう。
例えば、昼の一時半から、日本テレビで「踊る!さんま御殿」のスペシャル版が再放送されていたとします。
この番組は司会を務める明石屋さんまの力もあって、(笑えるという点に於いて)とても有益な時間を過ごせる、質の高いバラエティ番組である。なので、私の目はこれを捉えると、嬉々としてまずこの番組を見るということを前提に他を探ります。
しかしです。
昼の一時半という放送時間に問題がありました。この一見何の変哲も無いような部分に、重大な落とし穴があるのです。
私はマイタイムテーブル(通称MT。その日の予定表と言ってもいい)を埋めるべく、他の自分にとって有益な番組を探します。
そうすると、午後一時から、フジテレビで「奇跡体験!アンビリバボー」の再放送があるではありませんか!!
この番組はまるで神の意志が働いたかのごとく奇跡的な展開を見せる実話や、神秘的な出来事を紹介する番組である。放送時間は一時間であるので、計算だと、放送終了は午後の二時になる。
つまり、である。
「踊る!さんま御殿」が放送を開始する午後一時半から、「奇跡体験!アンビリバボー」の終了時刻である午後二時までの間、どちらを見るべきか悩む三十分間の「グレーゾーン」が発生してしまうのである!!!
これはまことに遺憾な事態である。
どちらの番組もある程度質は保証されているし、簡単にどちらかを捨てきれる話ではないのである。しかも、仮に「奇跡体験!アンビリバボー」を途中で放棄し、「踊る!さんま御殿」に梯子した場合どうなるか。
うまく話の切り替わりの時に移れればいいが、もし中途で移動した場合、両局を行ったり来たりして結局どちらも中途半端にしか見れなかった、という事態になりかねない。これでは消化不良である。
片方に集中したとしても、やはり他方が気になり、後悔の念を抱いてしまうことも否定できない。
この問題は精神的健康状態を左右しかねない、まさに一大事なのである。
この点は最大限の注意を払い、慎重な行動を取るべきです。
この「グレーゾーン」によって、私たちは日常に於いてどれだけの有益な時間と情報を損失しているか、計り知れません。
私はこういった状況に陥った場合、どういった選択を取るべきか悩み、途方もない苦悶を強いられます。音楽を聴いて気違いのようにのた打ち回ります。クーラーの効いた部屋で「今日の昼ご飯何やろ。ハーゲンダッツ食いたい」などと思案に暮れます。
いずれにしても十分自分で割り切れる結論に至らなかった場合、または決断を下すことが出来なかった場合に於いて、まるで神が私のこの苦悩を優しく諭されるように、その御意思を働かせてくれます。
寝ます。
いや、正確には自然と深い眠りに落ちるのです。神の御意思によって私は深い眠りに落ちるのです。
目を覚ますと、私はこの深遠なるご配慮に感謝の念を抱き、また同時にその御意思に内包された真理を探すのです。
そこで得た結論とは、要するに、一言で表しますと、
「見なきゃいいじゃん」
ということです。「そんなに悩むなら見なきゃいいじゃん」という神の御言を耳の内で聞いた様な気がしました。
「寝ちゃいなさいよ。あんた寝ちゃいなさいよ」
と仰られる神の声は私に安息を与えてくださるのです。
こうやってひと時を安らかな状態で過ごした私は、真夜中に起きてひたすらゲームをします。ゲームに没頭できるように疲れを取り除く方法を取っていただいた神の御意思に私は深く深くお礼申し上げ、精神の安静を享受するのです。
つまり、私は、腐ったダメ人間だということです。
これが言いたかった。
あぁ、あと、タイトルに腹筋しながら打っていると書いてありますが、嘘です。どうしようもない嘘です。信じた人はたぶん明日くらいに骨折します。
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