内憂外患につき。

2003年4月1日

ネガティブシンキンング アンド ロウテンション イズ ため息。

ため息の毎日。

皆さんこんな経験は無いでしょうか?
楽しみにしている番組や楽しみにしていた予定が終わってしまうと、それを楽しみに頑張っていた日々に目標が無くなり、急にポッカリと心に穴が出来てしまうことが。

予想はしていましたが、まさかここまで大きく影響するとは……。
仕事にはだんだん慣れてきたけどさ。
心が満たされんのよ。
内憂外患。
という言葉を高校の頃覚えました。
いや、中学だったかな?

近いうちにだんだんと残業も出てくるでしょう。
というか、うちの工場、ほとんどの人間が半強制の残業。
俺も近いうちにそうなると思う。
そうなるとさらに時間が無くなる。

やっぱり10年だな。
どんなに頑張っても。
大幅に早まるかもしれない。



潤いの無い日々の中思ったのだけど、人間は経験が重要という考え、それが持論でしたが、経験よりも吐き出す力の方がもっと重要じゃなかろうか? と思ったり。

経験しても、それを日常なり仕事なりで吐き出さないと意味が無い。
日常の会話でもさ、うまい例えが出てこないときのもどかしさや、思い浮かんでもうまく言葉に直せなかったり。はたまた見当違いな例えになっちゃったり。

吐き出す力を持ってる人って、変な話、日常で何にも特別な経験をしてなくても、その中から目に付いたものを拾い上げて、うまく説明しちゃったりするんじゃなかろうか?

それは、小説を書く上でのテーマ……題材を決めたりする場合でも役立ったり。
経験してもそれを生かせないんなら、経験しなくてもうまく伝えられる方が重要なのでは?
とか。
ま、これは今日思いついて即興で考えただけなのでわかりません。

そういえば小説のテーマで思い出したけど、
スティーブン・キングの書いた
「スタンド・バイ・ミー」という話し、
実は子供の頃に線路の上に死体があったのを見てしまったらしく、
それがその話を書く大本になったらしい。
……さすがホラーの王様。キングオブホラー。
この前テレビで聞きました。
「シャイニング」も、子供が自分の原稿に落書きしているのを見て(絵そのものはかわいらしかったらしい)、「何てことするんだ、殺してやる」と思ったのが原点らしい。

ゲストの人(確かリング書いた人……鈴木なんとかさん)が言うには、彼の場合そういう子供の頃の経験とかそういったものが、普通の人より強く強く引っかかっていたんじゃないか、と。自分の中で。

これを見ていて思ったのが、日常の中には幾らでも作品の原点に成りうるものが落ちているんだな、ということ。
ちょっとした言葉、感情、風景、などなどが、実はひとつの壮大な(あるいは矮小な)お話になるんだな、と。

自分の場合、父親の発言など、それをキャラクターのセリフに出来ないかとか、感じたことをセリフに出来ないだろうかとか考えていましたが、お話しのテーマとか、あるいは原点にすることも出来るわけですね。

あの番組は見れて良かったです。
後半しかビデオに取れなかったのが痛かったですが。



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